275 悪夢

275 悪夢


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〜知佳〜

(二日目 PM6:54 F−6 東の森・小屋2付近)

炎が宵闇を侵食している。
太陽光など比較にならぬ明るさと温度が周囲に満ちている。
東の森南部、浅いところに位置する小屋付近。
そこから南に程よく距離を置いた潅木の陰に身を潜める少女が一人。
濁ったフィンの乙女、40・仁村知佳。

知佳が偵察するのは数十機の智機たち。
忙しなく、されど整然と、消火活動に勤しんでいる。
音声は皆無。
諧謔や言葉遊び好む智機達ではあるが、音声による情報伝達より
数十倍効率的なデータ通信にての指揮命令を採択していた。

(前、勝てなかったのが2機、か……
 でも、今なら…… 今しか……)

知佳が着目していたのは、赤い智機ことDシリーズ。
この小屋周辺に2機、存在している。
うち1機は井戸のポンプと融合し水の汲み上げに余念なく、
もう1機はショベルカーと融合し木々と土砂の運搬に専念している。
故に。
不意を衝けば―――
先手を取れば―――
あの2機さえ壊してしまえれば、眼前の智機を鏖殺することは難しくない。
一心不乱の作業は、あからさまな隙なのだ。
しかしその隙こそが、知佳の攻撃の手を躊躇わせていた。


(機械たちを壊せば敵は減るけど延焼は止まらないかもしれない。
 機械たちを放置すれば延焼が止まるかもしれないけど敵は減らない。
 どっちが恭也さんたちにとってのマイナスなんだろう……)

指標がない。無き故に迷う。
火災に気付いて30数分、ここに身を潜めて10分。
知佳は結論を出せずにいた。
身動きがとれずにいた。
その知佳の止まった時間を動かしたのは、背後から近づく何かだった。

《この少女は流石にまだだろう。そのはずだ。そう信じたい!》

知佳の鋭敏な聴覚が、後方の不穏な呟きを捕らえたのだ。

「誰!?」

反射的に振り返る知佳の目に人影は無い。
凝らしても探っても特別なものは見当たらない。
炎に照らされた木々と茂みと揺らめく煙のほかには、何も、誰も。

《羽が生えているのか。この娘もまた『人でないもの』なのか?》

しかし、誰もいないはずの空間から聞こえる声は、知佳の心を鋭く抉った。
人でなし。
それは彼女の禁句。癒えぬ傷。幼き日々の孤独の要因。
そこを突かれては知佳も黙ってはいられない。

「私は人間だよっ!!」



数刻の沈黙。
知佳の大声に気付かなかったのか、気付いた上で無視を決め込んだのか
分からぬが、智機たちは動揺を走らせることなく作業を継続している。

《……お前も俺の声が聞こえるのか?》

煙に紛れてゆらゆらと。煙の如く茫々と。
知佳のすぐ近くに声の主はいた。
最初から姿を現していた。気付かなかっただけで。
体の輪郭が背景に対して曖昧で、透けていただけで。
故に知佳はその存在をはっきりと言い当てた。

「幽霊なのね」

幽霊―――
監察官・御陵透子を驚愕させたその存在に、知佳は怯えた様子を見せなかった。
その差は、未知か既知か。
彼女の世界においての幽霊はさほどレアリティの高いものではない。
知佳の住まうさざなみ荘には、十六夜なる霊が住人として名を連ねているほどだ。
しかし、その存在自体には驚きを感じなかった知佳も、
次いでこの亡霊から発せられた質問には度肝を抜かれてしまう。

《では俺の質問に答えろ。処女か?》
「えっ……」

炎に負けぬ勢いで赤く染まり、照れと怒りと後悔がない交ぜとなった
表情を見せた知佳を見て、この不躾な亡霊・勝沼紳一は敏感に悟った。

《おまえも中古か!!!!!》



知佳には中古の意味するところはわからなかったし、
あえて知りたいとも思わなかった。
この下劣で無礼な亡霊に声を掛けてしまったことを後悔していた。
これ以上関わらないようにしよう。
そう、心に誓うことにした。

関わりを持ちたくないという点では、紳一も同じだった。
紳一の女を見る基準は2つしかない。
処女か非処女か。
美女か醜女か。
処女かつ美女でなければ、彼の興味の対象外となる。

《破瓜の血の匂いまでするぞ!?くそくそくそ!!
 又しても俺は間に合わなかったのか……》

紳一はショックに項垂れ、とぼとぼと歩き出す。
知佳との邂逅がなかったかのように、彼女の存在をまるで無視して。
知佳と重なり、通り抜けて。

「……あ」

その瞬間、知佳の心に瀑布の勢いで紳一の心が流れ込んできた―――


   
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〜紳一〜

(1日目 17:26 F−8 漁協詰所)

透明人間にあこがれる諸兄は多いことだろう。
では、僥倖にも透明になれたとしたら真っ先にすることは何か?
俺ならこう回答する。
女湯に潜入。
この回答、数多の同意を得られるものと確信している。
覗き―――
そこにはレイプとは趣の違った背徳の興奮が存在するからだ。

漁協詰所に到着したとき、風呂場からまひるの声が聞こえた。
それに気付いたときの胸のトキメキは筆舌に尽くし難い。
まひるは犯す。
いずれ必ず犯す。
それはそれとして、覗けと言わんばかりのこのシチュエーション。
前菜としてうってつけではないか!
亡霊になってしまったのなら、その特性を上手く欲望に生かさなくてな。
だというのに……
俺が見たものときたら……

ち○こだ。


もう一度言う。ち○こだ。

「い〜い湯だな、ハハハン、とくらぁ」

俺が受けたとてつもない衝撃などどこ吹く風で、
イノシシ女の能天気な歌声が風呂に反響している。
その隣で身を縮めているのがまひる。
全身ピンクにそまったまひるの柔い肌。
なんと肌理細やかな、なんとすべらかなことか!
それなのに。

目を擦る。もう一度見る。ち○こだ。
頭を振る。もう一度見る。ち○こだ。
頬を抓る。もう一度見る。ち○こだ。
何度見ても何度見ても、そこにあるのは処女穴ではなく、ち○こ。

俺は…… 俺たちは、あろうことか男に目をつけ男に欲情し、
男を浚って男を脅した挙句、犯されまくったというのか!!?

なんという…… なんという悪夢!!



《ははは……》

何度目になるかわからない自嘲の笑みを携え、俺は漁協詰所を後にした。
裏目だ。
この島に来てからの俺ときたら何をやっても裏目に出る。

処女を犯すという目的にブレはない。
しかし、ターゲットを失った。
次のターゲットの心当たりはない。
歩き回って、探さなくてはいけない。
そう、歩き回って、だ。
幽霊になったからといって都合よく瞬間移動できるものでもない。
徒歩だ。
疲労感は無くても徒労感は重い。
都合よく近場で見つかるといいのだが―――

―――いたよ。

進路を東に取った俺の前方数メートル。
猫のように身を丸めて岩陰に身を潜める少女と、目が合った。
いや、俺の姿は見えないのだ。目が合う道理が無い。
あの少女は単に漁協詰所を見張っているだけだろう。

《こんどこそ処女であってくれよ―――》

ネコミミフードのついたパーカーという幼児性を残したいでたちが、
いやがおうにも俺の期待感を高めてゆく。
俺は小走りで少女との距離を詰める。



《たすけ て》

声が聞こえた。微かな声が。
視界に収まっている少女の口は動いていないのに。

《ケモノ を》

又しても。少女の口は動いていない。
それなのに明らかに少女からこの声が……

《おい はらっ て》

違和感と、予兆。
俺は足を止めて少女をじっくり観察する。
そして気付く。
陽炎のようにゆらゆらと。
少女の肉体に重なる様に、縛り付けられているかの様に。
輪郭があやふやで、亡霊よりも存在感の薄い何かが、そこに在った。

「……ついてないょ。気付かないフリでやり過ごそうと思ったのに」

ため息と共に、少女が遂に口を開いた。
明らかに俺を見つめて、明らかに俺に対して。

《俺の姿が見えるのか?》
「残念だけど見えるし聞こえるょ」



少女は続ける。

「でも、これ以上関わりを持つ気は無いょ。
 わたしとここで逢った事は忘れて、どっか行ってょ」

それは会話ではなかった。
一方的かつ上から目線の命令だった。

《俺様に向かって大きな態度を―――》

怒りと威圧感を込めて反撃開始。その宣言を言い終える前に―――
俺の首筋の産毛がぞわりと逆立つ。刹那。
少女の気配が爆発的に膨れ上がりその長い腕を俺に向けて伸ばしてきた。

「邪魔するならここで消すょ?」

亡霊で無ければ腰を抜かし失禁していたに違いない。
密度の濃い圧倒的な闇が、少女の形のままに、そこに顕現していた。
これか!
これがあの忌々しい神楽が言っていた『人でないもの』か!
なんという…… なんという悪夢!!

《了解した……》
「ならいいょ。それじゃあバイバイだょ」

俺はくるりと背を向けて、元来た道を逆戻りする。
その背中に、少女の形をした何者かのさらなる要求が述べられた。

《ああ、それと。あの建物の入り口で見張りをしてる堂島って男は
 わたしの標的だから、ちょっかいだしちゃだめだょ?》



俺は無言で頷く。
そこでようやく、俺に伸びていた闇の気配が引いていった。

《お にい さん いかない で》

少女にまとわりつく何かが、悲痛な声で俺を引きとめようとしている。

「呼んでも無駄だょ。あの亡霊にはわたしに逆らうガッツはないし、
 そもそも憑依をどうにかする力は無いょ。藍はいいかげん諦めなょ」
《この からだ は あい の なの に……
 おまえ が かって に はいって きた の に……》

背後では声と声にならない声が言い争い続けている。
もうどうでもいい。
それよりも、なによりも、俺にとって重要な事がこの会話に内包されていたから。
憑依―――
人に取り付き、その体を意のままに操る術。
この少女の怖いほうの何かは、それをして本来の少女の体を支配しているらしい。
根拠はない。
しかし、確信がある。既視感がある。
俺も、憑依できるはずだ。

なぜか分かる。
心身喪失した一瞬か、あるいは睡眠、気絶時なら。
俺は憑依できる!
ははっ……なってみるものだな。亡霊にも。



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〜知佳〜

紳一が知佳をすり抜ける一瞬に、それらが彼女の頭脳にダイレクトに伝わった。
処女を犯す。
それだけの為に、この亡霊―――いや悪霊は、島内を彷徨っている。
憑依、という具体的な手段を持って。
それは、殺し合いとは別種の、女性にとっての悪夢だ。

《どこかに処女の人間はいないものか…… いれば男に憑依して犯すのに。
 どこかに処女の亡霊はいないものか…… いればそのまま犯すのに》

紳一はうわごとのように呟きながら知佳から遠ざかってゆく。
知佳は距離を置いてかの悪霊を尾行する。

(あれを野放しには出来ないよ。でも……どうやって止めるの?)

知佳が放つ念動力も衝撃波も、広い視点では物理攻撃に位置づけられる。
物体ではない霊にそれら一切は通用しない。

(十六夜さん……)

知佳は友人の退魔師・神咲薫の得物である霊刀を思い浮かべる。
この世ならざるものを滅するを可能とするインテリジェンスソード。
あれに匹敵する何かがあれば、あるいは……



【仁村知佳(40)】
【現在位置:F−6 小屋2付近 → 紳一追跡】
【スタンス:@亡霊紳一を止める
      A読心による情報収集
      B手帳の内容をいくつか写しながら、独自に推理を進める
      C恭也たちと合流】
【所持品:???、まりなの手帳、筆記用具とメモ数枚】
【能力:超能力、飛行、光合成、読心】
【状態:疲労(小)、精神的疲労(小)】
【備考:定時放送のズレにはまだ気づいていません。
    手帳の内容はまだ半分程度しか確認していません】

 ※ まひるの性別を知りました。



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