167 流された血のために彼女は
167 流された血のために彼女は
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(第二日目 AM04:30)
そのとき、まひるはなぜか線香花火の膨らんだ火花を思い出していた。
黙々と、半ば引きずるようにしてオタカさんを運ぶまひるの額には汗の玉が浮かんでいる。
「ねぇ、オタカさん、大丈夫?」
まひるはオタカさんの顔を覗き込んで言った。
「・・・おー・・・、ま、だいじょーぶだ。なーに、これくらいなんてこたぁねぇよ・・・んっ」
軽口を叩きながらも苦悶の表情を浮かべるオタカさんを見て、まひるの焦りは昂じていく。
けれど、オタカさんの状態を考えると歩調を上げるわけには行かない。
オタカさんの脂汗を浮かせた顔から目をそらして、ぐっと眉根に力をいれた。
「もーすぐ、病院だから・・・ね。」
それきり口をつぐんで、まひるは舗装されていない砂利道を歩く。
そして先ほどから聞こえてくる音が悲しくて、洟をすすり上げた。
血液が大量に失われたことで体温が下がったのか、オタカさんがずっとカチカチと歯を鳴らしているのだ。
日に焼けて健康を全力でアピールしていた顔もすっかり色を失しなってしまっている。
(急がなきゃ・・・)
じりじりと身を焦がす思い出一歩、また一歩と果てなく続く森の中に足を踏み出していく。
やがて黙々と歩くうち、遠くに灰色の小さな建物が見えてきた。
まひるは肩に担いだオタカさんの逞しい腕に、いたわるように頬擦りする。
「もーすぐだから。ね、がんばって?」
「へへ、お前さっきも同じこと言ってたぜ、まひる。」
軽くやり返すオタカさんに、まひるはにっこりと笑った。
ようやく病院の戸を叩いたとき、溢れ出した血でまひるの制服は全身真っ赤に染まっていた。
血だらけのシーツの上に横たえられているオタカさんを照明が冷ややかに照らし出す。
「とりあえず、これで血を止めるくらいは・・・」
隣の部屋から救急箱を抱えて戻ってきたまひるは、中から消毒液などを取り出して、そっと近くの台の上に置いた。
眠るオタカさんの青白い顔をじっと見る。
オタカさんはベッドの上に身を横たえさせた途端に気を失ってしまった。
こみあげてくる涙を手の甲で拭うと、まひるはオタカさんのシャツを脱がせはじめた。
「うわっ、うわぁ・・・」
筋張った三角筋のあたりに一つ、隆起した胸のあたりにもう一つ、傷口が口をあけていた。
そのふちは少し肉が盛り上がっており、打たれてから数十分は経ったというのに、
いまだ出血が止まる様子もなく、ぴくぴくと痙攣している。
とりあえず、まひるはマキロンの蓋を外すと傷に振りまき始めた。
肌に触れると透明な液体は泡立ち、赤い血液と交じり合ってなめらかな肌の上を流れていく。
どろりとした血が流れ、オタカさんの下のシーツに滲みこんで薄赤色の波を描いていった。
「次は・・・と」
銃創の治療などしたことのない彼は救急箱の上で手をさまよわせ、
いろいろな医療品を取り出してはそのまま元にあった場所に戻す。
オタカさんに肩を貸して歩いているうちは、病院にたどり着くことができれば何とかなると思っていた。
広い部屋にぽつねんと立つまひるの目にとまっていた涙がまた溢れ出した。
「あたし・・・何の役にも立たないね。ゴメンね、オタカさん。」
情けなそうに笑ってしゃくりあげると、手術台を背にしてリノリウムの床にぺたりと座り込んでしまった。
糸が切れたように、まひるの体は動かなかった。
次から次へと流れ落ちてくる涙を拭おうともせず、無機質な白塗りの壁の戸棚をただぼんやりと眺める。
いろいろな医療器具が整然とその中に並んでいるのが見える。
まひるはその戸棚がひどく遠くにあるように感じ、けしてたどり着くことはできないような気がした。
ぐったりと体を弛緩させ、窓を透ってくる月の光に身を晒す。
淡い光の中に舞う埃を見ていると、ドアをノックするコンコンという音が聞こえた。
振り向くと戸口には古めかしい絣を羽織った老人と楚々としたセーラー服姿の少女が立っていた。
「お困りのようじゃな?」
まひるが何も言わずに黙っていると老人が話を振ってきた。
彼は手術台をはさんで丁度まひるの向かい側に立つと、安心させるようにニカッと笑った。
「儂が来たからには安心せい。
わしの名は魔窟堂野武彦、逃げも隠れもするが嘘はつかない、魔窟堂野武彦じゃ。
なーに、おぬしらとことを構えようというつもりはない。
レディが困っておるのを黙って見過ごすのはいささか礼儀に反すると思っての。
それであっちにおるのが・・・」
戸口の壁に寄りかかったままでいるアインのことを手短に紹介すると、
魔窟堂はオタカさんの傷口をあらためはじめた。
「あの、魔窟堂・・・さんはお医者さんなんですか?」
「うん?いや、そういうわけではないがな。ム・・・、これは・・・」
「あの、よくない・・・ですか?」
魔窟堂がわずかに顔を曇らせたのを見て、まひるは身を乗り出すようにしてたずねた。
「ん?いや、思ったより出血がひどいようなんでの。
じゃが、まぁここは儂に任せておけ、伊達にブラックジャックを全巻読破したわけではないぞ。」
ドン、と胸を叩くと魔窟堂は壁際の棚をあさり始めた。
「何してるんですか、その・・・魔窟堂さん?」
「胸部の弾丸はかなり奥の方まで入っておるんでな。ちょっとしたオペが必要じゃ。その準備を、な。」
「オペって、手術するんですか!?」
素っ頓狂な声をあげて、まひるは魔窟堂の顔をまじまじと見つめる。
「なーに、銃弾の摘出などオタクにとっては必須のたしなみの一つじゃよ。
ささ、二人には悪いがしばらく外で待っていてもらえんかの。
人間の体というのは存外デリケートに出来ておるんでな。
悪い菌でも入ったら、せっかくのオペが台無しになってしまうこともある。・・・アイン。」
棚から引っ張りだした手術着を着込みながら、魔窟堂は黙ってみているアインに話し掛けた。
「しばらく、彼女のことを頼めるかのう。」
「あの、アインさんは・・・どこに住んでいらしたんでしょーか?」
「ニューヨーク」
「あ、そうですか。ニューヨークですか。英語、お得意なんですか?
いいなぁ、あたしなんてこの前の英語のテストがさんざんで・・・」
「別に得意ではないわ。必要だから、覚えただけ。」
「ああ・・・そう、ですか。」
まひるの返事に軽く頷くと、もう用はすんだとばかりにアインは再び森へと目を転じた。
(うぅ・・・気まずいっ、実に気まずいですよ、奥さんっ!!とりつくしまが1エーカーもないです。
自分でこんなこと言うのもなんだけど、傷心の乙女が気をつかって話し掛けてるんだから、
そこんとこ汲んでくれてもてもいいんじゃないのかなー。ねぇ、そう思いません?)
まひるは見えない奥さんに向かって涙ながらの苦情申し立てすると、
アインの死角でダムダムと煉瓦造りの花壇を叩いた。
二人は先ほどから、ずっとこの調子の会話を繰り返している。
まひるが質問し、アインがそっけなく応える。
(もっと、こー、なんていうか、対話っていうんですか、会話のキャッチボールっていうんですか。
初対面の人間同士の食うか食われるかの腹の探りあいみたいなそーいうのが
あってもいいと思うんですが、どんなもんでしょう、奥さん?)
ふたたび奥さんに意見を求めると、まひるは一つため息をついて背にした建物を見やった。
(魔窟堂さんは任せろって、いったけど・・・)
「大丈夫よ。きっと。」
「・・・え?」
見透かしたかのようなアインの落ち着いた声に、思わずまひるは振り返った。
「大丈夫よ、きっと。」
アインは相変わらず森の奥を見据えたまま、もう一度そっくりそのまま繰り返す。
「彼を信じなさい。」
「でも、オタカさん、血だっていっぱい出たし、顔だってすごい青くなって、二回も撃たれて、それで、それで・・・」
「彼を、信じなさい。」
その一言で、なぜかまひるはゆっくりと噛んで含めるようにして言い聞かせてくれるアインの強い瞳を信じた。
そして、薄明かりの漏れ出る手術室の方を見た。
「そうだよね。大丈夫・・・だよね。きっと・・・」
「さて、初めてのオペが滅菌も満足に出来んところというのは少々心もとないが、
どのみち十分な器具があったところで使いこなすことなど出来んのだから、同じことかの?
まぁ、あの嬢ちゃんよりは上手くできるとは思うんじゃが・・・とにかく全力を尽くすのみじゃな。」
魔窟堂はゴム手袋のはめられた手を捧げ持つようにしてあげたまま、表情を引き締めた。
「クランケは二十代女性。左肩と胸部にそれぞれ一つの銃創、弾丸は貫通しておらず、摘出の必要がある。
まず、左肩より処置をはじめ、胸部の弾丸は切開の後に摘出。
では、これよりオペを開始する。」
機械的に宣言したあと、左肩と胸部に局所麻酔を施した魔窟堂はピンセットで肩のあたりに取りついた。
程なくして摘出された血まみれの45口径の弾丸が銀色のボールで乾いた音を立てて踊った。
「さぁ、問題はこっちじゃな。」
誰に言うともなく呟きながら、魔窟堂は明かりの位置を調節した。
浅黒い皮膚の上にメスを走らせ、吹き出る血をタンポンで拭いながら、いくつかの鉗子で切開部を固定する。
「南無三!」
魔窟堂は目を見開いた。
いくつかの毛細血管と神経を縫うようにして弾丸はひときわ太い血管に接して、止まっている。
「下手に動かせば大出血、一発でガメオベア、じゃな。
さりとて当然このままにしておくわけにもいかん、か。
さて・・・・・・野武彦、上手くやれよ。」
「あ!」
手術室の窓からもれ出る光が消えたのを見たまひるは立ち上がり、病院の入り口の方へ駆け出していった。
スカートについた砂埃を払いながら、ゆっくりとした足取りでアインが続く。
「魔窟堂さん!?オタカさん、オタカさんは?」
まひるは返り血のついた手術着をつけたままの魔窟堂につかみかかるようにして尋ねた。
「ウ、ム、そのことなんじゃが。」
「ウソ・・・そんな、もしかして・・・」
「いや、処置は滞りなく済んだ。済んだんじゃが、なにしろ出血がひどすぎて血が足りん。
ここにあった輸血用血液では十分というわけにはいくまい。正直なところ、あとはやっこさん次第じゃ。」
「そう・・・ですか。」
「なーに、心配はいらん。見たところあの御仁は随分と鍛えておるようじゃ。
肉体的に訓練されたものは往々にして精神的にもタフなものじゃからの。」
魔窟堂は自分の言葉に目に見えて落ち込むまひるの肩を叩くと、明るい声で言った。
三人は戸口をくぐると、今は明かりの消えた【手術中】のランプの下の腰掛に並んで座った。
「フゥ、慣れんことをやるとくたびれるわい。」
漆喰の塗られた壁に頭を持たせかけた魔窟堂は目頭を抑えながら深々と息を吸い込んだ。
「これからのことじゃが、万一のときのために彼には誰か付き添いがおった方がよいじゃろう。
それでまず誰がつくかじゃが・・・そうさのう、アイン、頼まれてくれるかの?儂はいささか疲れた。」
「あの、オタカさんの看病だったらまずあたしが・・・」
魔窟堂の言葉にアインがコクリと頷くのを見て、まひるはおずおずと申し出た。
「うむ。心配なことは分かるがの、えー・・・」
「まひるです。広場、まひる。」
「まひる、まひる、か。いい名じゃの。しかしな、まひる殿。おぬしも疲れておろう?
じゃから、彼には儂とアインとで交代でつく。その間おぬしはしばらく休むとよかろう。」
「でも、オタカさんがこうなったのアタシのせいで。アタシの・・・せい・・・なんです。だから。」
涙ぐんでうつむくまひるを魔窟堂は気の毒に思ったが、言葉を継いだ。
「・・・そうか、じゃがな。残念ながらこの戦いは今しばらく続く。
となれば儂らには休息が必要なのもまた事実じゃ。
始まってからこっち満足に休んでもおらんのじゃろう?だから、まずアインと儂とで彼の様子を見る。
おぬしはその間しばし休んで、それから彼につく。これでどうじゃ?」
魔窟堂が尋ねてもまひるは黙ってうつむいているだけだった。
魔窟堂はその小さな背中を見ていた。アインは窓の外の月を眺めていた。
静かな廊下にさわさわと木の葉の揺れる音だけが聞こえ、病院特有の消毒液の匂いがぷんと漂う。
手術着の紐を解きながら、魔窟堂は黙ってまひるの返事を待った。
「分かり・・・ました。少し休ませてもらいます。その間、オタカさんのこと・・・」
長い沈黙のあとで、まひるはゆっくりと顔を上げた。
「ああ、わかっとる。わしらに任されよ。」
まだためらいを残しているまひるに向かって、魔窟堂はどんと胸を叩いて請合った。
まひるが隣の病室に入るのを見届けたあと、腰をあげながら魔窟堂はアインに声をかけた。
「では、悪いがアイン、しばらく彼の看病を頼む。」
「分かったわ。」
短く答えてアインは手術室の中に消えた。
「ふー、それではわしもしばらく休ませてもらうかの。
しっかし・・・さすがにこの歳ともなると徹夜は堪えるわい。
昔は48時間耐久鑑賞会など何ということもなかったんじゃがのう。」
首を鳴らしながら、魔窟堂はまひるの部屋の隣のドアの向こうに消えた。
染み込んだ血が錆び色に変わり始めた手術台のシートの前で、アインはチーク材の丸いすに腰をかけて座っていた。
月明かりに浮かぶ静かな室内には、ぴっ、ぴっ、という規則正しい音が聞こえるだけで、
他には音というほどの音は何も聞こえてこない。
横たわるオタカさんを眺めながら、アインは同じようにこうして病室で眠るものを見たことを思い出した。。
白いシーツの上に横たわっていたものは、事切れていた。
眠っているように穏やかな表情をしていたが、首が奇妙に曲がっていた。
涼宮遙は死んだ。
アインが殺した。
何の表情も浮かんでいないアインの目がすっと細められ、彼女と同じように眠る似ても似つかぬ大女を見下ろす。
その目をオタカさんのぎょろりとした目が突然見返してきた。
「目が醒めたの?」
それには答えず、オタカさんは目の前にいる黒髪の少女のことをじっと見た。
「あんた、堅気の人間じゃねえんだろ?」
アインの饒舌な沈黙を肯定と受け取ったオタカさんは弱々しく笑って視線を天上に向けた。
「答えたくないなら、まぁいいさ。何となくそういう気がしただけだから。
けど、とりあえずはそういうことで、話は続けさせてもらうよ。」
オタカさんはじっとアインの瞳を見て、そして腹に巻かれた包帯を見て、最後に天上に視線を戻した。
「どうだ、あんたから見て、アタシはまた動けるようになりそうか?」
ただ、淡々と話すオタカさんの言葉に暗い感じはない。
月明かりを背にして座るアインはやはり何も言わずに黙っていた。
閑散とした部屋には相変わらず、ぴっ、ぴっ、という音だけが聞こえる。
「遠慮するこたぁねぇよ。ズバッといってくんな。」
それでもアインはしばらく何も言わないでいたが、
オタカさんが黙って言葉を待っているのでやがて口を開いた。
「まず、血液が足りないわ。
輸血しない限り、あなたは立って動くことはおろか、
あと一日生きつづけることも難しいでしょうね。
そして、この島のなかで輸血用の血液が手に入る可能性は限りなくゼロに近い。」
「随分はっきりと言ってくれるじゃねぇか。」
眉一つ動かさず告げるアインを見て、オタカさんは気持ちよさそうに笑った。
「そっか、やっぱりもう助からないんだな。」
大きく息を吐き出し、オタカさんは明かりの消えた蛍光灯を眺める。
薄明かりに澱む部屋は底冷えがした。
「なぁ、一つ頼みがあるんだが・・・」
誰かが叩くドアの音で、魔窟堂の浅い眠りは破れらた。
「ん・・・む・・・・・・、誰じゃ?」
硬いベッドから立ち上がると、絣の合わせを正しながら金属製のノブを回してドアを開く。
そこに立っていたものを見て、魔窟堂は絶句した。
「その恰好。アイン、おぬし・・・」
魔窟堂は何も答えないアインの瞳をじっと見つめた。
「彼女を手術したのは儂じゃ、じゃから彼の状態は分かっておる。
だがな、だからといって・・・何か他にやりようもあろう?」
魔窟堂はアインから目をそらして、ぐっと拳を握り締める。
「この状況で、ただ死んでいったのでは、あの子は立ち直れない。」
アインの言葉に、魔窟堂は黙って唇を噛むだけだった。
「どうするつもりじゃ?」
「私はここにいるべきではないわ。」
「これを・・・持って行け。」
魔窟堂はしばらく考えたあと廊下に立てかけてあったスパスを突き出して、
やりきれないといったふうにぼそりと呟いた。
「・・・ありがとう。」
随分と長い間、魔窟堂とショットガンを交互に見比べてアインは、短く礼を言って踵を返した。
出て行くアインの小さな後姿を魔窟堂は静かに見送った。
「まったく、不器用なやつじゃ。」
アインの服から滴り落ちては転々と跡を残す血を見て、魔窟堂野武彦は去ってしまったもののために涙を流した。
【15 高原美奈子:死亡 】
―――――――――残り
16
人
【広場まひる】
【現在地:病院】
【備考:天子化一時抑制】
【魔窟堂野武彦】
【現在地:病院】
【スタンス:主催者打倒】
【所持品:レーザーガン】
【アイン】
【現在地:???】
【スタンス:素敵医師殺害】
【所持品:スパス12】