177 彷徨える亡霊
177 彷徨える亡霊
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防波堤に打ちつける波がしぶいてはふたたび海へと向かう。
光の届かぬ朝焼けの陰で奇妙に澱む鉛色の海が、
あの男の目を思い出させた。
細い血管が幾筋も走る薄灰色の濁った目。
死んだ魚のような目が薄気味悪く笑っていた。
病院を抜け出したあと、私は自分のことを「センセ」と呼ぶあの包帯の男を探していた。
私はあてどもなく歩きながら、自分の中に浮かび上がった不思議な感覚に少し戸惑ってもいた。
復讐心。まだ、自分に復讐などという感傷じみた感情が残っていたことに驚いたからだ。
この異質な島で、異質な私はどうなってしまったのだろう。
思えば、あのとき私は遥のために涙を流したのだ。
久しくなかったまるで「普通の人間」のような自分の反応。
埋葬された死者が突然目覚めたような、そんな感覚だった。
朝日に白んだ足元から、背後に向かって影がくっきりと黒く伸びているのが見える。
うつむいたまま、石畳の上に揺らめく長い長い影を見つめる。
この「ゲーム」が始まってから、私は五人の人間を殺した。
彼らも誰かのために涙を流したのだろうか。
歩きながら、私は私を異質なものに作り変えた男のことを思い出していた。
あの時はわからなかったが、彼もまた異質な人間の一人だったのだろう。
「アイン、武器には過去の記憶も美しい心も必要ない。分かるかね?
ただただ人を殺すため、それだけのために研ぎ澄まされ、洗練される。
それゆえに彼らは美しい。彼らには何一つ無駄なところがないからだ。何一つだ」
そこで黙って、男はもの問いたげな目で私を見た。
色素の薄い目が、どんな感情もうつさない青い目がわたしを見ている。
男の視線と素肌に冷えた空気がまとわりつく。
私の顎に手を触れ、そのままその手を下に下ろしていく。
首筋をなで、鎖骨をなぞり、乳の丸みに指を這わせて、そのまま腹を軽く押した。
大方、腹筋の感触を確かめてでもいたのだろう。満足げに薄く笑った。
「アイン、お前にも過去の記憶や美しい心は必要ない。
お前も人を殺すため、ただそれだけのために研ぎ澄まされ、洗練された。
人の形でありながら、記憶や心を落とされた、虚ろな魂。・・・だから、お前は」
男はそこで言葉を切って、琥珀色に満たされたグラスを傾けた。
淡紅色の弱い光に照らされた私の身体を眺める男の目は、宝物を見つめる子供のように輝いていた。
「だから、お前はファントムなのだ。冷えた光を湛える刃のように、鋭く美しい亡霊なのだ、分かるな?」
私を作った男は楽しそうに語り、もう一度念を押すようにたずねた。
もう一度ブランデーをあおって、少し詩的に過ぎるな、といって愉快そうに首を振った。
町が見えてきた。
あそこにあの男はいるのだろうか?