164 名探偵の静かなる電撃作戦(第三波)
164 名探偵の静かなる電撃作戦(第三波)
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「うぅーん・・・」
蒸し暑い小屋の薄暗い照明が淡い陰影を落とすなか、まどろむ広場まひるは寝ぼけた声をあげた。
(んー・・・・・・何だろう、これ・・・かったいなぁ・・・)
夢うつつのままにまひるは頬の下にあるものに頬擦りをする。
それは硬くはあるがしっとりとして、それでいてなめらかな肌触りで、
よくなじんだ良質な革のような感触はまひるにとって、けして不愉快なものではなかった。
むしろ、トクントクン、という規則正しい音のするそれは
めまぐるしい一日を終えたあとの疲弊したまひるの心を慰撫してくれるようにさえ思えた。
(はぁ〜〜・・・えへへ・・・あったかーい・・・)
仔猫が甘えるように、さらに頬を密着させると
まひるの頬の下のものは震えるようにぴくぴくと波打ち始めた。
「お、・・・いお・・・・・・・・・」
小刻みに揺れるそれをいぶかしく思っていると、途惑うような声がまひるの耳に入った。
それでも頓着なく、頬を擦り付けていると、揺れはさらに大きくなり、
聞き取りにくかった声もより明瞭に聞こえるようになった。
「う・・・ゃ、く・・・ぐったいって、お・・・。勘弁・・・、ま・・・る。」
(んぅぅ・・・誰の声だろ、うるさいなー・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・この声って、なんだか・・・オタカさんの声に似てるなー・・・
オタカ・・・さん・・・・・・・オタカさん・・・の声・・・オタカさん・・・
・・・あたしのこと、許してくれるかなぁ・・・変なヤツとか・・・思われてないかなぁ・・・
・・・アレ?・・・何かおかしーなぁ・・・えーと・・・オタカさんとあたしはバラバラのところにいて・・・
・・・だから・・あたしにはオタカさんの声は聞こえないはずでぇ・・・・・・
なのに、どーしてオタカさんの声が聞こえるんだろ・・・?
・・・ひょっとして・・・・・・・・・・・・・・・・・・このやたらとゴツゴツとして、
それでいて暖かい肌触りのこれは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・筋肉・・・ですかぁ?)
「オタカさんっ!
・・・フギャッ!!」
声の主に思い至り、一瞬にして覚醒したまひるはガバッと勢いよく跳ね起きた拍子に、
自分の寝顔を覗き込んでいたオタカさんの顎に後頭部をしたたかに打ち付けた。
「あつつつつつぅ、・・・えーと・・・だいじょーぶ、オタカさん?」
「お・・・おお、大丈夫だ。そっちこそ、頭、何ともないのか?」
やはり痛むのか自分の顎をしきりにさすりながら、オタカさんは聞き返した。
「ウン・・・だいじょーぶ、みたい。・・・にはは」
まだ痺れの残る後頭部を撫でながらまひるは、自分達が物別れになっていたことを思い出した。
オタカさんもそれに気づいたらしく、気まずくなった二人はそのまま黙り込んでしまった。
互いにかける言葉が見つからず、所在なげにあたりを見回してみたり、
滴り落ちてくる汗を拭ったりして、やり過ごそうとするが目の前にいる以上それも上手くいくはずがない。
二人きりの暑い部屋の中になんともいえない沈黙がわだかまった。
口を開くことが何となく憚られるような、もどかしく居たたまれない空気、
二人は無言のままじっと座っていた。
「ゴメン・・・ね?」
先に口を開き、沈黙を破ったのはまひるのほうだった。
恐る恐るといった感じでそれだけ言うとまひるはうつむいてさらに言葉を続けた。
「その・・・さっき・・・は・・・あ、さっきってゆーのは、
あたしが最後にオタカさんに会ったときのことなんだけど、あのときは、そのー・・・いきなり・・・」
「すまん、悪かったッ!!」
「・・・ふぇ?」
小屋全体が震えるような大声でまひるの言葉をさえぎると、
ひるんだまひるに向かって、オタカさんは「ぱんっ!」と両手を合わせて頭を下げた。
「いやーーーー、その、なんだ。さっきは、悪かったな?
あんまりまひるのチ○ポが可愛らしかったんで、ついついいつもの癖でむしゃぶりついちまった。
ここは、犬に噛まれたとでも思って許してくれ、なっ?このとおりだ。」
オタカさんは一息でこれだけをまくし立てると、それ以上何も言わずにさらに深々と頭をたれた。
まひるは、目の前の筋肉質の女性が自分と同じ気持ちであったことを悟った。
互いに「許し」を求めていて、「失うことの不安」で胸が一杯だったのだ、まひるはそう思った。
だからこそ、謝る前に自分の方から謝ってきたんだと、そう思った。
オタカさんの方から謝ってきたら、きっと自分も同じことをしただろう、そうも思った。
まひるは自分の顔がほころんでいるのが分かっていた。
(でも、気をつかったりなんかして・・・似合わないよ・・・オタカさん。)
(きっと・・・これだけ・・・お互いの気持ちが分かるなら・・・これからも・・・)
「許して・・・くれるか?」
真剣な目で、すがるような目で、オタカさんがまひるの方を見る。
その顔はまひるにとってはじめてみるオタカさんの情けない顔で
「プッ・・・」
「ひでぇな・・・笑うなよ。」
思わず吹き出してしまうまひるを見て、謝罪したことを笑われたと思ったのか、
オタカさんは腕を組み、少し恨みがましい目でにらみながら頬を膨らませる。
「ごめんなさい、でも違うんだよ。」
口元に手を当てて、堪えきれずにクスクスと笑いながらまひるは言った。
「ほら、鼻血、出てるよ?」
先ほどの頭突きのせいで、真剣な顔をしているオタカさんの鼻から、ツゥッと一筋の赤がたれている。
まひるはポケットからきちんとアイロンのかけて畳んである花柄のハンカチを取り出し、
オタカさんの鼻の下をそっと拭った。
「あたしたちってさ、シリアスが似合わないね?」
まひるはそう言ってもう一度笑った。
「で・・・その羽はいったいぜんたい、何なんだ?」
お互いに改めて謝罪したあと、夕食の残りのカレーをすごい勢いでかきこみながら、
オタカさんは隣に座るまひるの背中に生えた羽を指差した。
「何なんだ?ときかれましても、あたしにも何がなんだかさっぱり・・・」
「そーなのか?」
そーなんですよ、と頷き返すまひるに向かって、一瞬だけ考え込むような素振りを見せるオタカさん。
「・・・まぁ、いっか。別に体は何ともないんだろ?」
「ウン、今のところは大丈夫・・・だと思う。
それに、これ空を飛べたりして、けっこー便利なんだよねぇ。」
「なら、問題なし、だな。」
ウンウンと、数度大きく頷くとあっさりと納得してしまったオタカさんを見て、まひるは――
(まぁ、男の人は多少大雑把なくらいが女の子としては母性本能をくすぐられたりするんだよねー。
・・・・・・と、それはさておき、なーんか、忘れてるよーな、何だっけ・・・?)
オタカさんと同じくカレーライスの残りをすくって、スプーンの口に運びながら
まひるはその「何か」を思い出そうと記憶を探ってみる。
そして、カレーライスの中に入っているビーフの塊を噛みしめたとき、
まひるは自分が失神することになった原因――外に散乱する血まみれの肉の塊――のことを思い出し、
思わず口の中にあるものを吐き出してしまった。
「オイ、オイ、大丈夫か、まひる?」
慌てたオタカさんはひざ立ちになって、背中をさする。
「ウン・・・大丈夫。それより・・・」
少し言いよどんで、すっかり蒼ざめて血の気のない顔を上げると、
まひるは窓の外の夜の闇を眺め、その向こうにあるものを思い起こす。
「「アレ」って、やっぱり・・・」
まひるの視線や表情から、言わんとすることを読み取ったオタカさんも顔をゆがめた。
「ああ・・・あのおっさん・・・だろうな。放送、聞かなかったのか?」
「ウン・・・羽、生えてきて・・・わけわかんなくなってて、それどころじゃなかった・・・から・・・」
そっか、というとオタカさんはまひるの口元に冷たい水の入ったコップを寄せ、その中身を口に含ませた。
「・・・悲しいのに、涙、出ないや。」
悲しげに呟くまひるは、困ったように眉を寄せ笑った。
「あたしが・・・」
うつむいたまひるの声は抑制されてはいるが、そのかすかな震えは隠し切れてはいない。
「ちがうっ!!まひるのせいじゃねぇ。」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
ふたたび、二人の間に重苦しい沈黙が横たわる。
「・・・この話はやめようや。」
いたたまれなくなったオタカさんの提案に、まひるは黙って頷いた。
そして今ごろになって溢れ出してきた涙を手の甲でグシグシとぬぐった。
まひるは黙ってオタカさんの肩にぐったりと頭を持たせかけ、オタカさんも黙ってそのままにさせておいた。
パ リ ー ン !!
「なんだっ!?」
粉々に砕かれ、撒き散らされた窓ガラスが証明を受けて照り返すのに混じって、
拳大の石が転がっている。
オタカさんは立ち上がり、それをひったくるように掴むとドアのほうへと向かった。
「待って、オタカさん!」
「なんでだ?ふざけた真似してくれたスットコドッコイのコンコンチキにゃ、
きっちりと「お返し」してやらなくちゃだろうが?」
「迂闊に外にでちゃ危ないよ。」
「・・・どういうこったまひる?」
「どうしてだかわかんないけど、そんな気がする。
この石はきっとおとりで、あたしたちがドアの出たところで何か仕掛けてくるつもり・・・だと思う。」
「ふん・・・そっか、おとりか、なるほどな。冴えてるじゃねぇか、まひる。」
バンバンと力任せに背中を叩かれたまひるは咳き込んでしまう。
「で、具体的にはどうすりゃいいんだ?」
「う〜ん、どうしよう?」
にはは、と能天気な笑いを浮かべて頭を掻いて、オタカさんのほうを見返す。
そして、二人は頭をつき合わせて打開策を考えた。
「そうだ!ドアから出るのがまずけりゃ、反対側の窓から出りゃいいんじゃねぇか?」
「オタカさん・・・そんな、安直な・・・」
苦笑いを浮かべるまひるの頬に大きな汗が伝う。
「じゃ、どーすんだよ。このままここにいるのは賢いやつのやることじゃねぇだろうが?
とにかく、ここはいちかばちか、やってみるしかねぇ、違うか?」
いまいち煮え切らないまひるの態度に、オタカさんは少し苛立った声をあげた。
「・・・ウン、そーだね。」
きりりと口を結んでまひるは窓枠に手をかけた。
「よーし、男だったらそーこなくっちゃな!!」
「・・・だがしかし、それとてもこの天才の推理の範囲内なのだよ。」
物陰に隠れてターゲットの出現を待つ天才探偵は余裕たっぷりにほくそえんだ。
パァンッ!!
地味な音を立てて、琢麿呂の手の中におさまっているコルトが火を吹く。
射線の先にいるのは窓枠に手をかけ、肩を乗り出している高原美奈子。
その頭部に狙いを済まして、琢麿呂はトリガーを引いたのだった。
夜闇にまぎれた弾丸が空を切り裂いて一直線に飛ぶ。
グァッ、という声が小屋のあたりから聞こえ、続いて何か重いものが落ちる音が聞こえた。
「やったか?」
琢麿は小さな声で喝采をあげ、空いた手で盗聴器のボリュームをひねる。
「オタカさん!?」
そこからは女のような声と、ぜぇぜぇという荒いと息遣いが聞こえてきた。
それはとりもなおさず高原美奈子がまだ生きていることの証でもあった。
「チッ、外したか!?
だが、まだだっ!この付近の地形は既に頭の中に入れてある。
まだ、私のほうが有利だっ!!」
琢磨呂は忌々しげに吐き捨てると、荷物を肩にかけ暗がりのなかを物陰伝いに移動をはじめた。
「オタカさん、大丈夫?」
まひるは小屋の外に出ると、肩のあたりを抑えてうずくまるオタカさんの側に駆け寄った。
「ああ・・・なんとか・・・な・・・んっ!!」
「うわっ、うわっ、ホントーに大丈夫?」
たくましい筋肉につつまれた肩口のあたりの銃創からは、とどまることなく血が流れ出し、
白いシャツをみるみる真っ赤に染めていく。
「このくれー、なんてこたぁねぇよ。それよりも、まひる。」
「うん、とにかくどこかに身を隠さないと・・・」
まひるはオタカさんの腕を肩にかけると、半ば引きずるようにして小屋の裏側に身を潜めた。
(オタカさん、大丈夫って言ってるけど、銃で撃たれて大丈夫なはずないよね。)
そんなことを考えていると、
「すまねぇな、まひる。」
「いーんだよ、こーゆーときはお互い様、でしょ?」
オタカさんの言葉にまひるはにっこりと笑って応える。
「でも・・・どーしよー・・・、まだ近くにいるよね?」
「・・・そー言えば、さっきはどうしてあの石ころがおとりだって分かったんだ?」
「え?あれは、その、さっきも言ったけど、何となく・・・、ほんとに何となく、そんな気がしただけで・・・」
「じゃ、今はどうだ?」
「ダメだよ、何も感じない。」
「そっか、それな・・・ぐっっ!!」
そのとき、突然の銃声が鳴り響き、オタカさんは支えを失ったかのように前のめりに倒れた。
「オタカさんっ!!」
「オタカさんっ、オタカさんっ、返事してよっ、オタカさんってばっ!!」
必死で呼びかけ、体を揺すってみるが、ぐったりと脱力しきったオタカさんからは何の返事もない。
「オタカさんっ、そんな・・・」
真昼は絶句して、腰が抜けたようにペタリとへたりこんでしまう。
建物の影にいるため真っ暗なそこでは弾丸がどこに命中したのかは分からないが、
まひるの足もとは流れ出した夥しい血液のため、既に少しばかりぬかるんみはじめている。
「ウソ・・・でしょ。オタカ・・・さん。返事して、何か言ってよ!」
話し掛けるまひるの語調もだんだんと弱々しくなり、やがてすっかり黙り込んでしまった。
パァンッ!! パァンッ!!
続けざまに二度銃声が響き渡り、弾丸はオタカさんがもたれかかっていた壁のあたりにめり込んだ。
いまだ放心したままのまひるはゆっくりと弾丸が飛んできたほうを見た。
茂みを抜けて一人の男が銃を構えて出てくる。
「フム。また外した、か。」
琢麿呂は構えを解くことなく、ゆったりとした足取りでまひるのほうへ近づいていく。
「まぁ、いいさ。高原美奈子は死んだ。広場まひる、あとはお前だけだ。
お前の力は未知数ではあるが、私の圧倒的有利というこの状況には変わりあるまい。
どのみち、お前を倒すことさえできぬようならば、人外ひしめくこの戦いを生き抜くことなど叶わぬことだ。
そうだろう、そうは思わないか、広場まひる?」
興奮のあまりいささか饒舌になった琢麿呂はしゃべりながらもコルト・ガバメントを座ったままのまひるに向ける。
「逃げないのか?それとも逃げられないのか?
フフ、月並みな台詞で恐縮だがね。お前もすぐに彼女の側にいけるさ。」
汗の浮かぶ額にガバメントの銃口を押し付けられ、
まひるの頭が力なく後ろにのけぞる。
「では、さよならだ。私という天才の勝利のため、死んでくれたまえ。」
琢麿呂の怜悧な顔に酷薄な笑みが浮かぶ。
まひるは焦点の合わぬ目でぼんやりと目の前の男を見ていた。
「・・・なに・・・ん・・・る。」
「ん?」
すぐ側から聞こえる声に、いぶかしんだ琢麿呂が振り向いた瞬間。
「ウオオオオオオオオオォォォォォォォォッ!!」
獣のような雄叫びをあげ、分厚い筋肉の塊が琢麿呂の腹にめり込む。
「・・・グフゥッ」
「オタカさんっ!!」
腹を抑えて、地べたをのたうちまわる琢磨呂を尻目に立ち上がったオタカさんは
座り込んだままのまひるを肩に担ぎ上げると、ふたたび野太い雄叫びをあげながら、茂みの奥へと走り去った。
「あたしがぼんやりしてたから・・・ゴメンね?」
まひるがオタカ三の顔を覗き込んで、すまなさそうに漏らした。
漁港から村落へと逃げ込んだ二人は、一軒の簡素な造りの民家の軒先に座り込んでいる。
「ハァハァ・・・、気に・・・すんな。ッ・・・それより、お前が無事でよかった。」
オタカさんは白い歯を見せてニカッと笑うが、
青白い顔に脂汗を浮かべるその顔は見ていてとても痛ましく、見ていられなくなったまひるはうつむいた。
「そだ!!確かこの島には病院があったはずだから、そこに行けば消毒くらいは・・・」
うつむいていたまひるは顔を上げると、ポケットにしまっていた島の地図を取り出し、
月明かりにかざしてみた。
2発目の弾丸は腹に命中し、流れ出す血は止まる気配もない。
消毒くらいでどうにかなるとは思えないが、まひるはそれでもそのままにしておくことはできなかった。
(このままじゃ・・・このままじゃ・・・オタカさんも・・・・・・オタカさんも・・・・・・・・・・・・)
泣き出しそうになりながら、まひるは必死で月と地図を見比べて進路を調べる。
溢れ出しそうになる涙で視界はぼやけるが、オタカさんを心配させまいと、
それを拭うようなことはしなかった。
「こっちだよ、行こ、オタカさん。」
だから、まひるはつとめて明るい声で言った。