278 生きてこそ
278 生きてこそ
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(2日目 PM6:49 G−3地点 東の森北東部)
彼らは未だ、生きていた。
首魁、ザドゥ。
魔剣カオスを杖代わりに両膝を支え、牛歩の歩みを見せている。
刺客、カモミール芹沢。
ザドゥの肩を借り、引きずられるように歩いている。
先刻、感情の昂ぶるに任せて芹沢へ拳を見舞ったザドゥではあったが、
そこで芹沢を切り捨てたわけではなかったのだ。
ただし、同胞意識や思いやりなどは露と消えていた。
ザドゥの腹の底には芹沢に対する怒りがとぐろを巻く蛇の如く鎮座している。
だのに何故、ザドゥは芹沢を捨てぬのか?
それは、意地だ。
意地のみが彼の両の足を支え、芹沢を放棄するを許さぬのだ。
『大将も自己満でカモミールを殺さないよーに、気をつけるがとしか言えんきね』
今、ザドゥの脳裏の大部分を占めるのは、黄色く変色した包帯を全身に巻きつけ、
腐敗臭とケミカル臭を撒き散らす、仲間と呼ぶのも憚られる男の言葉だった。
ザドゥは嫌悪感に眉を顰めつつ、己の思いを反芻する。
(あの狂人医師の【呪い】にまで負けるわけにはゆかぬ)
ザドゥは死そのものをさほど恐れてはいない。
拳に賭けるを選び、悪事を為すを自覚し、欲望の赴くまま生きてきた自分が、
まっとうな最期を飾れるとは思っていない。
それでも、笑って死ねるという確信があった。
好き勝手に生きてきた己の生涯に、一片の悔いもないのだから。
ザドゥの自負心は不動のものだった。
完成し完結しているものだった。
この島に来るまでの彼はそう信じていた。
それが、今、粉微塵に砕けようとしている。
軋みを与えたのは、タイガージョーの熱き拳となお熱き言霊だった。
亀裂を走らせたのは、アインの冷徹な覚悟と研ぎ澄まされた執念だった。
しかしザドゥは、彼らを好敵手であると認めている。
ある種の敬意を抱いていると言ってよいだろう。
故に、どちらも深刻な敗北感をザドゥの胸に刻みはしたが、背骨を折るには至っていない。
ぽろぽろと零れ落ちる矜持の破片を必死で拾い集めては、接ぐことくらいは出来ている。
しかし。
『大将も自己満でカモミールを殺さないよーに、気をつけるがとしか言えんきね』
口に出すも憚られるほどの外道にして、仲間であったことを恥じたくなるほどの下種。
ここで芹沢を捨ててしまっては、あの素敵医師にすら敗北したことになる。
そしてこの一敗地に塗れてしまえば―――
ザドゥの矜持は、二度と陽光の下を歩けぬほどに打ち砕かれてしまうだろう。
ザドゥは沈黙を保っている。芹沢も口を開かない。
あの口の減らないカオスですら、今は器物としての役割に徹している。
黙々と、ただ黙々と。
二人と一刀は森を抜けるべく歩みを進めている。
煙に巻かれ、炎を迂回し、ルートの断念に迷走を重ね、方向感覚など既に失って
久しくはあるが、それでも彼らは炎の渦中からは脱していた。
しかしそれは、生命の危機から脱したを意味しない。
煙は容赦なく視界を塞ぎ、不足する酸素は彼らの肉体から回復機能を奪い、
炎もその手を緩めることなく背後から迫ってきている。
絶命の機会は、そこかしこで廉売されている。
故に、一行のうち最も冷静な同行者・カオスは、状況をこう分析していた。
《これは、もうダメかもわからんね》
カオスは心中で嘆息し、ザドゥが初めて自分を振るったときのことを思い出す。
『俺の心はとうに漆黒だ』
それは己の為す悪を自覚し肯定しての発言であったのだろう。しかし。
《闇と黒は違うんじゃよ……
理性を感情が、意志を欲望が駆逐することを闇と言うんじゃ》
ザドゥが芹沢を捨てぬ理由が己のプライドに起因することまでは、
読心能力を持たぬカオスには見通せぬ。
だが、ザドゥの生へ欲望が、より強い欲望に駆逐されている。
故にこの惨状。
そのことは理解できたいた。
《生きてこそなのじゃがのう……》
カオスはそれを口に出さない。
訴えたとて聞き入れられる状態にないことを誰よりも知るが故に。
《じゃがもし――― ザッちゃんだけでも救える機会があるとするならば。
カモちゃんが自ら、置いていかれることを懇願した場合かのう……》
カオス自身に、ザドゥや芹沢に対する思い入れはさほど無い。
芹沢のダイナマイツぶりにうほほーいではあるが、それだけの事だ。
出会って一時間程度の間に、強固な絆が結ばれることのほうが稀であろう。
それでもなお、カオスがこの2人に入れ込んでいるかの如く感ずるのは、
彼の過去とこの2人の現状が、多分に重なるところがあるが為だ。
かつて彼がまだ人間―――救世の大英雄(エターナルヒーロー)であった頃。
足手まといとなったリーダーでもあり親友でもあった男を置き去りにして、
神の座にたどり着いた経歴を持っていたのだ。
その際に剣となったカオスの力が、当代の魔王封印を果たしたのだから、
彼らの判断は歴史的に見て正しかったと言えるだろう。
それでも、カオスは仲間を見捨てたことを、割り切ることは出来なかったのだ。
《あの時あいつは、必死で助けようとするわしらに、
自分を置いてゆけと主張して譲らなかったのぅ……》
意志の篭ったそれでいて穏やかな眼差しと、自己犠牲を偽善と感じたらしい含羞の声色。
カオスの脳裏に置き去りにした友の顔がフラッシュバックされる。と、同時に。
それはいかなる共時性か。
この元盗賊の記憶をなぞるかの如く、芹沢もまた嗄れた声でこう囁いたのだ。
「ザッちゃんさぁ、もうあたしのこと置いていきなよ……?」
言葉とともに、芹沢の四肢から力が抜けた。
ザドゥの肩に思わぬ重量がかかり、彼は芹沢もろとも無様に尻餅をつく。
「何をいう、芹沢。薬中のお前にはわからんのだろうが、
ここに置き去りになぞしたら、お前は―――」
「すぐに焼け死んじゃうよねぇ……」
その返答にザドゥは息を呑む。
芹沢がいつの間にか現状を把握しうるだけの思考力を回復していたことに気付いて。
そして、自らが辿る運命を理解しつつ、置いてゆけと提案したことに気付いて。
言葉を失うザドゥに向けて、芹沢は力なく言葉を重ねる。
「あははー。足手まといは捨て置くのが戦場の倣いってやつだし。
何人、何百人死んだって、最後まで旗が立ってた方が勝ちなんだから、ね」
破天荒で磊落な逸話ばかりが面白おかしく、或いは悪役然として後世に伝わっているが、
彼女もまた、幕末動乱の時代を一介の武士の覚悟を持って駆け抜けた女丈夫の一人だ。
奉仕の対象は違えど、その精神性は高町恭也の御神流に相通ずるものがある。
即ち、自らは仕えるものの為の捨石に他ならぬ、と。
故に、ザドゥの決して見捨てぬという意地が本気ならば、
芹沢の自分を置いてゆけという覚悟もまた本気だ。
主催という【お家】のザドゥという【頭領】を生かすことこそ、彼女の本分なのだから。
「やー、ごめんねーザッちゃん。
あたしが正気ならこんなに苦労しなくて済んだし、ともきんも壊れなかったしぃ。
戻ったらさ、ともきんにもごめんねーって言っといて」
「戻ってから自分で言え」
芹沢はザドゥの命令に困ったような笑みとウィンクを発し―――
そこまでで精一杯だったのだろう。意識を闇に落とした。
《……覚悟、汲んでやらんか?》
カオスもまた、ザドゥの背を押した。
自らも同じ選択を踏み越えてきたこの剣の言葉は、重い。
「お前まで……」
《正直に言うぞ。このままでは共倒れじゃ。苦渋を飲め、辛酸を舐めろ。
そうして生きてここから出ることで、カモちゃんの尊厳を守ってやれい》
「っっ……」
それは奇麗事だ。おためごかしだ。
そんなことはザドゥにも分かっている。
わかっているが、しかし。
ザドゥの芯に触れる奇麗事であり、おためごかしでもあった。
尊厳。
芹沢の心の中の、自分が最も大切にしているそれを、守る。
ぐらり、と。
ザドゥの芯が揺れる。
ここぞとばかりに彼の生存本能が、甘く囁いた。
―――生きてこそ。
部下を踏み台にし、組織を、トップを守ること。
それは闇の格闘暗殺者集団を束ねていたザドゥにとって至極当然な判断であり、
実際に何度も部下を使い捨てきている。
(今、芹沢を置き去りにすることもそれと同じことなのではないか?
それは決して恥じることではなく、寧ろ首魁としての責任の取り方ではないか?)
ザドゥの胸中で、芹沢を捨て置く事が、現実感を伴ってどんどん膨らんでゆく。
それを好機と目敏く捉えてか、生存本能の囁きに、彼の一億万の細胞が唱和した。
―――生きてこそ。
(チャームを…… 蘇らせねば)
彼が何故このような悪趣味なゲームを管理しているか。
それは愛妾を再びこの手に抱く為だ。
(その初志を貫徹することと、局所の一勝一敗に拘泥すること。
どちらが大事で、どちらが小事だ?)
ザドゥの煤に塗れた顔に表れているのは苦悶。
カオスは彼の隠し切れぬ葛藤を見つめ、結論づけた。
《これで決まりか、の》
芹沢を捨て置くを推し、それが採択されようとしているにも関わらず、
カオスの胸中も複雑だ。
安堵もしている。
落胆もしている。
結局、彼自身もかつての選択に釈然としない思いを抱いていたのだ。
理性でこの選択を支持しつつも、感情で違う選択を期待していたのだ。
考えても、悩んでも、決して答えの出ない問いに対して。
ザドゥが芹沢の顔を見つめる。脳裏にその存在を焼き付けるために。
思い返す。カモミール芹沢という女が、いかなる女であったかを。
短い付き合いではあったが、濃い付き合いでもあった。
弱さも強さも垣間見た。
情も交わした。
薬物に侵されてからの奇矯な振る舞いには辟易もしたし、
今、この様な生死の狭間に身を置いているのは彼女のせいに他ならない。
だが、こうして顔を改めて眺めると、不思議と憎しみは掻き消えてゆく。
言葉にして表すなら……
(戦友)
まさに、その一言に尽きる。
同じ主催者として、唯一同胞意識を抱ける存在だった。
鼻持ちならぬ椎名智機。
何を考えているのか分からぬ御陵透子。
野卑で愚鈍なケイブリス。
そして……
もう一人の名を脳裏に浮かべた途端、ザドゥの脳内に忌々しき嘲笑が響き渡った。
『へき、へけけけ』
憎々しき呪詛を伴って。
『大将も自己満でカモミールを殺さないよーに、気をつけるがとしか言えんきね』
(長谷川、均……)
「長谷川っ、均っっ!!!」
点った。
ザドゥの心の最奥にある、未だ点したことの無い蝋燭が。
映った。
ザドゥの両の瞳に、揺らめくことなく直ぐに立ち上る炎が。
(―――逃げるな、ザドゥ!)
ザドゥは心中で生存本能の胸倉を掴み上げ、本気の拳を鼻っ面にぶち込んだ。
一億万の細胞たちの足を払い、マウントポジションからタコ殴りにした。
(その初志を貫徹することと、局所の一勝一敗に拘泥すること。
どちらが大事で、どちらが小事だ?
そんなもの……どちらも大事に決まっているだろう!
俺の望む全ては、手に入れるべき全てだ。
取りこぼしなどあってたまるか!)
声に出して、叫ぶ。
彼は、全ての思いをワンセンテンスで過不足無く表現しきった。
「俺はザドゥだ!」
それで、生存本能も細胞たちも沈黙した。
ザドゥは起き上がりざまに芹沢を担ぎあげる。
《無茶をするでない!》
カオスの焦りは正しく、ザドゥは芹沢の重量に2、3歩よろめいた。
だが、ザドゥは転倒することなく耐え切った。
膝は震えている。
息は乱れている。
であるにも関わらず、頬には不敵な笑みすら浮かんでいた。
カオスはザドゥの横顔を見て大きく頷く。
《……ならば見せてくれよ、ザッちゃん。
儂が見ることの出来なんだもう一つの可能性のその先を、の》
「お前の思いなど知るか。黙って見ていろ」
ザドゥは、まだ意地を張る。
ただ、意地の為に意地を張る。
【グループ:ザドゥ・芹沢】
【現在位置:G−3地点 東の森北東部】
【スタンス:森林火災からの自力脱出】
【主催者:ザドゥ】
【所持品:魔剣カオス、通信機】
【能力:我流の格闘術と気を操る】
【備考:右手火傷(中)、疲労(大)、ダメージ(小)、カオスの影響(大)】
【主催者:カモミール・芹沢】
【所持品:虎徹刀身(魔力発動で威力↑、ただし発動中は重量↑体力↓)
鉄扇、トカレフ】
【能力:左腕異形化(武器にもなる)、徐々に異形化進行中(能力上昇はない)、死光掌4HIT】
【備考:脱水症(中)、疲労(大)、腹部損傷、気絶中】