175 第5回定時放送 AM06:00
175 第5回定時放送 AM06:00
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(第二日目AM05:47)
深い深い縦穴には日の光は届かない。
ゴゥンゴゥンと低く唸るようなモーター音が反響するなか、
カモミール=芹沢を乗せた昇降機は粗い岩肌を嘗めるように下っていく。
足もとから流れ出してくる墓地を思わせる黴たような匂いが彼女の鼻をついた。
やがて、軽い衝撃とともに昇降機は停止する。
急ごしらえの昇降機はイマイチ性能がよろしくなく、
きちんと「停止レバー」を引いておかないと、いろいろな不具合が起こるらしい。
銀色に塗装された無骨な鉄の棒の先にプラスティック製の赤い握りのついたレバーを引き上げた。
「よっし!」
昇降機があるため丸底フラスコの底の部分のように少し開けている昇降機乗り場、
その岩に囲まれた空間に降り立って、芹沢は気を引き締めた。
そして、羽織っている段だら模様の羽織の襟を正すと、
フラスコの底の部分に彫られた横穴の向こうの臨時会議室へと歩みを進めた。
短い暗がりを抜けると、ふたたび開けた空間に出た芹沢はそこにいる面々を見わたす。
壁際に設置された蝋燭が放つオレンジ色の光が部屋中を淡く照らし出すなか、
ザドゥ、素敵医師、椎名智機に御陵透子の四人の姿が浮かび上がる。
着座して待つ四人に今しがた帰還したカモミール=芹沢を含めて、大会を管理する五人がここに揃った。
彼らが火山中腹にある神社の地下の秘密基地に一堂に会するのはこれがはじめてのことである。
「7分の遅刻ですね、芹沢?」と眼鏡を押し上げながら智機は冷ややかに言い放った。
「アハハハハ、ゴメンね〜」
「・・・・・・任務に失敗した上に遅刻とは、いい身分ですね、カモミール=芹沢局長?」
「ム・・・・・・あたしが何の任務に失敗したっていうの」
智機の嫌味を笑って流そうとした芹沢だったが、「局長」の部分を強調されたことと、
次に続いた非常に人間くさい肩をすくめるジェスチュアを交えながらの嘆息にはカチンと来たようだ。
少し腹立たしげに言い返すと、白い頬をむくれさせた。
「26番グレン・コリンズ、31番法条まりな、両名からの首輪の解除キーの回収
あなたは丁度18:00にここをあとにし、18:30に両名と接触、
19:00にグレン・コリンズの逃走を許した」
理路整然と犯した失敗をあげ連ねられ、芹沢はうなだれる。
「・・・・・・ちゃんと、女のほうは始末したもん」と反論する声も弱々しい。
「問題はッ!」
どんと智機が机を叩いて声を荒げる。
「法条まりなを始末したかどうかではなく、解除キーを回収できたかどうかなのだ、芹沢」
芝居がかった声の抑揚が余計に芹沢を不愉快にさせたが、
確かに非は自分にある以上、言い返すこともできず、黙って足もとを見た。
「へケケケ、センセはぎっちりとオシゴトしたがよ、ヒィの、フゥの・・・」
指折り数える素敵医師を智機は鋭い視線でにらみつけ、芹沢は恨みがましい目で見た。
「ヒヘへ、怖い怖い」
どこを見ているのか、焦点の定まらない目で、素敵医師はもう一度薄気味悪く笑って黙った。
透子は黙ってそんな光景を見ていた。いや、本当に見ていたかどうかはすこぶる怪しい。
ただ、そちらに何となく顔を向けてはいた。
「栄養が胸にしかいっていない人間というものを、私ははじめてみました。
これは記録しておくことにしましょう」
乾いた声で笑うと、智機は既に言いたいことを言ったのか黙って目を閉じた。
「その辺にしておけ、椎名」
上座に座るザドゥは低く落ち着きのある声で椎名を制し、
「芹沢も席につけ」と促した。
すぐ左前の席に芹沢が座るのを見計らい、ザドゥはもう一度口を開いた。
「我々は仲間ではない、つい数時間前に顔をあわせたばかりだ」とそこで言葉を切って、ザドゥはそれぞれの顔を見る。
「が、我々には共通の目的がある」
彼は目を閉じ、クッションの悪い座席に深く身をもたせかける。
彼のまぶたの裏に愛しい女性の姿が一瞬浮かんで、すぐに消えた。
「すなわち、今回のこのゲームを無事に終了させること、
さらに言えばその先にあるそれぞれの願いを成就させることだ。
そのためには、各々の任務を着実に完遂せねばならない」
芹沢はくやしそうに唇を噛み、智機は相変わらず目を閉じたまま、口の端をゆがめた。
「だが、失敗することもある。召集されたものたちのなかにはなかなか厄介な連中も混じっているからな」
言いながら彼はゲーム開始直後に襲い掛かってきた虎の覆面をした男のことを思い出し、
他のものには見えぬようにして腹のあたりをまさぐった。
「だから、一時のこととはいえ、互いに助け合わねばならん。
それがひいては己の望みを成就することにつながる、以上だ。」
誰も動かなかった。
素敵医師は相変わらずの空ろな目で四人を見ていたし、透子は宙を眺めていた。
部屋を照らす燭台の灯が調度のほとんどない部屋に長い影を作っていた。
ノスタルジックなオレンジ色の灯が彼らを暗闇から際立てていた。
「では、椎名」と軽い溜息まじりにザドゥは呼びかけた。
はい、と答えて今まで考え深げに閉じていた目を開き、智機は現状説明を開始した。
「現在生き残っているのは、
1番ユリーシャ、2番ランス、3番伊頭遺作、5番伊頭鬼作、8番高町恭也
12番魔窟堂信彦、13番海原琢磨呂、14番アズライト、16番朽木双葉、23番アイン、
26番グレン・コリンズ、28番しおり、36番月夜御名紗霧、38番広場まひる、40番仁村知佳の15名、
第四回から現在までに死亡が確認されたのは、
15番高原美奈子、24番なみ、34番アリスメンディの3名です」
「・・・落ちているな」
「はい、開始当初に比べると死亡数は急激に下落しています。
何かしらの対策を講じますか、いくつか手段を講じてありますが・・・」
芹沢の対面、ザドゥの右前に座っている智機の眼鏡が光をはじいて光った。
何を考えているのか分からない瞳をそれが隠した。
「何か考えがあるようだな椎名、だがそれはもう少しとっておくとしよう。
何といってもまだゲームは始まったばかりだ」
しばらく考えたあとザドゥはそう言って、「傍観者どもを楽しませねばならないからな」と苦々しげにこぼした。
そうですね、と智機も特に食い下がるでもなく引き下がった。
「さて、それでは今回の定時放送だが・・・」
「は〜い!」
一同を見渡すザドゥの目に、芹沢が元気よく挙手したのが目に入った。
どうやら、他に立候補するものもいないようなので、
彼女にその役目を任せるとザドゥは次の議題に取り掛かることにした。
「御陵はこれまでどおり、違反者の検出とそちらへの警告を頼む。素敵医師、貴様は・・・」
何の反応も返さない御陵から包帯まみれで異臭を放つ男に目を転じる。
「センセはまだアイン嬢ちゃんの相手で忙しいがよ」
「たった一人の参加者に拘泥する必要はない、他の参加者にもあたってみろ」
「・・・へケケ、りょ〜かい」
そう言うと、素敵医師は席を立ち薄暗い出口の方へ向かった。
「まだ、話は終わっていないぞ」
センセにはもうお話しはないき、といって小馬鹿にしたように後ろ手に手のひらを振ると出口の洞窟の奥へ消えた。
「ザッちゃん」
眉をしかめて素敵医師を見送った彼に芹沢は声をかける。
「あたし、もう1度解除キーの回収にいきたい」
「できるんですか芹沢、あなたに?」
智機の揶揄に芹沢は柳眉を逆立てる。
「・・・いいだろう、芹沢。その件に関しては貴様に任せる。椎名は引き続き情報収集と分析を頼む、以上だ」
そう言って、立ち上がるとザドゥは黒いマントを翻して奥の部屋へと消えた。
芹沢は放送を行うため、智樹は情報を分析するため、それぞれの部屋へと向かった。
残された透子はしばらくの間だまって誰もいなくなった部屋の中でぼんやりとしていたが、
やがて蜃気楼が掻き消えるように中空に姿を消した。
暗い部屋の中、一人になったザドゥは痛み始めた脇腹のあたりに巻きつけたさらしを解き、もう一度撫でてみた。
ミミズがのたくるような蠕動運動をしている。
見た目にはなんともなってはいないが、
皮膚一枚下では薄い脂肪の層はおろか内臓から筋肉にいたるまで踊るようにうねりつづけている。
「30時間も立つのだぞ?さすがは・・・」
忌々しげに吐き捨てて、額に浮かんだ脂汗を拭う。
「噂に聞いた閃真流人応派、伊達ではないといったところか・・・」
完全に打ち抜かれる前に、死光掌を当てることが出来たから致命傷こそ避けえたものの、
30時間のあとにも依然として疼きつづける。
「タイガー・ジョー」
何か思うところがあるのか、すっと目を細めて呟いて、ザドゥは簡素なベッドの上に仰向けに倒れこむ。
しんと静まり返った部屋は湿った匂いがする。
脇腹はしつこく蠢いている。
そして、五回目の定時放送が始まった。