255 大きな楡の火の下で 〜windward〜

255 大きな楡の火の下で 〜windward〜


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(二日目 PM6:08 東の森・楡の木広場方部)

最初にそれに気づいたのは素敵医師だった。

「あひーあひーひあああああああ!!」

激しい頭痛に体が慣れ始めたザドゥが彼の狼狽ぶりを見て訝しむ。

(なぜ長谷川は俺やアインではなく、頭上を見て怯えているのだ?)

解答は一挙動で得られた。
素敵医師に倣い上空を見上げたザドゥの眼前に、
真っ赤で巨大な質量が迫っていた。

「芹沢、こっちだ!」

ザドゥはぺしぺしと自分の額を叩いている芹沢の腰を抱き、横っ飛び。
直後、彼らが先ほどまでいた位置に楡の巨木が倒れてきた。
ずぅぅぅん!!
内臓まで響く地響き。接地時の風圧はさながら台風の如し。
誰もが堪らず目を閉じる。

突風が去った。
目を開けた。

彼らを取り巻く世界が劇的に変化していた。


嗅覚を支配するのは煙と煤の刺激臭。
触覚を支配するのは肌を焦げ付かせるかの如き熱気。
聴覚を支配するのは木々と炎とが奏でる破裂音。
味覚を支配するのは込み上げる吐き気の酸味。
そして、視覚を支配するのは倒壊した楡の巨木から立ち昇る炎の赤。
さながら、あちらとこちらを隔てる炎の壁。

「あはははは! ざ・きゃんぷふぁいやー♪」

はしゃぐ芹沢を片手で抱え込み、ザドゥは周囲を見回す。
少し離れた地点でアインがえずいている。素敵医師の存在は確認できない。
白煙に遮られて視界は不明瞭であるが、
どうやら楡の木広場をぐるりと炎が囲っているように見受けられる。

(いつの間に……?)

ザドゥは管制室にコールをかける。
その手が震えているのは一酸化炭素中毒によるものか、
あるいは流石の彼にとってもこの状況が恐怖に値するためか。

「椎名! 何が起きた!? 辺り一面が火の海だ。
 状況の報告……ではない! 救助だ! 至急救助を寄越せ!」
『確約しかねます』

対する無線の向こうからの返答は簡潔にして非情。
ザドゥは思わず頭を振る。
流麗なサンディブロンドの髪に付着していた煤が辺りに散った。


『ザドゥ様、勘違いしないで頂きたい。
 朽木双葉の幻術は解けたようだし、わたしとしても救助を出したい。
 しかし、わたしは管制管理の代行権しか持たないレプリカです。
 他のわたしたちを起動したり指示を与えたりすることが出来るのは
 アドミニストレーター権限を有するオリジナル智機ただ一機。
 透子とケイブリスに救助依頼をかけてはみようと思いますが……』
「お前では話にならん。本体を出せ」
『No。現在オリジナルは誰にも連絡が取れない状況となっています』
「どういうことだ?」
『お察し下さい…… としか申し上げられません』

プランナーと智機が裏でつながっていることは当人たち以外誰も知らぬ。
故に、智機の歯切れの悪い返答からザドゥが思い浮かべたのは哄笑する巨大な鯨。
それは勘違いだが、これ以上の追求が不可能な相手である点では勘違いとも言い切れぬ。
どのみちザドゥが選べる対応は沈黙しかないのだから。

ザドゥは改めて周囲を見渡す。広場の西から火の手が迫っていた。
彼が思考のために費やせる時間が、刻一刻と削られてゆく。

(自力脱出しかないのか……)

脱出は可能だ。ザドゥはそう判断している。
特に根拠も計算も無いが、彼の尊大な自負心は揺ぎ無い。
ただし、腕の中できゃらきゃらと笑っている芹沢のことを考えなければ。
故に、ザドゥは救助要請を諦めぬ。

(椎名と俺の立場…… 代行…… オリジナルの不在……
 指揮命令系統…… アドミニストレーター権限……
 俺の権限!!)


辛抱強く思考を転がすザドゥに、ひらめきが宿った。
既に猶予はない。
おそらく通信に時間をかけられるのはこれが最後だろう。
焦りも苛立ちも恐怖も飲み込んで、ザドゥは代行レプリカに問う。

「アドミニストレーター権限、と言ったな。
 首魁である俺がそれを与えることは可能だな?」
『そのようなルールはありません。が、それを否定するルールもまた然り。
 緊急避難の概念から考察するに、
 本来のアドミニストレーター・オリジナル智機が不在の今、
 代行者として権限の一時委譲を受けることは可能であると解釈します』
「わかった。権限など幾らでもくれてやる。救助を寄越せ。至急だ」
『Yes。権限の一時委譲を確認。至急救助プロセスを構築、実行します』

答えたレプリカの声が、喜びに震えているように感じられた。
ザドゥは己の見通しに誤まりが無かったことに胸を撫で下ろす。

『今、学校待機の4機のわたしをそちらに救助に向かわせました。
 また、救助物資を持たせた1機をカタパルトより射出すべく準備を進めます』
「どのくらいかかる?」
『カタパルト射出については10分以内にて。
 この10分だけ、なんとか自助努力にて命を繋いで頂きたい。
 その通信機はビーコン機能もついています。
 それが壊れない限り、こちらがそちらをロストする心配はありません』
「わかった。―――頼んだぞ、椎名」
『……最善を尽くしましょう』

通信は切れた。条件は明確になった。あとは行動だ。
ザドゥの胸に気力が満ちる。


胃液を吐けるだけ吐き、ようやく落ち着きを取り戻したアインへ
ザドゥが厚い掌を差し伸べた。
同じ素敵医師を追った者として相通じるものを感じたからだろうか。
彼の表情にらしくない気遣いが見て取れる。

「ファントム、立てるか?」

しかしアインは手を取ることなく、嗚咽に枯れた声でこう告げた。

「忠告するわ。むしろ立たないほうがいい。煙は高いところに昇るものだから」

ザドゥはアインの忠告に従い腰を落とす。
煙の量が少ないのか視界が広がり、呼吸も幾分楽になった。

「10分で救助が来るが、ここでは5分と保つまい。
 風上になんとか活路を見出して、火の手を掻い潜りながら待つことになる。
 ついて来い。脱出までの間は保護してやる」
「あなたはもう、長谷川を追わないのね?」
「長谷川が楡の木の下敷きになった今、追うも追わぬもなかろうよ」
「下敷きに? 憶測で物を言ってはいけないわ。
 わたしは見たの。
 楡の木が接地する瞬間、あの男が向こう側へ転がったのを」
「そうだとしても、だ。
 長谷川とてこの炎の中、風下に身を置いていては助からんだろう。
 懲罰の必要は無くなった」

そう。風は強く吹いていた。
北東から南西へ。
炎の壁のこちらからあちらへ。


ザドゥの見通しは正しい。
アインが見た光景が願望からくる幻影ではなく事実だったとしても、
気力破壊暴発の後遺症に身の自由を奪われている素敵医師が、
今後数分のうちに焼死することは明白だ。
だというのに。それがわかっていてもなお、アインはこう告げた。

「それは間違いないでしょう。でも―――
 私が追いつくまで生きていてくれれば、それでいい」

呼吸が止まった。視線が交錯した。
アインの体がしなやかに後方へと跳ね、ザドゥの伸ばした腕が空を切った。
あくまでも素敵医師を追うのだと、アインの行動は語っていた。
おまえを助けたいのだと、ザドゥの行動は語っていた。
追跡のその先に待つは身の破滅なのだと、2人は悟っていた。

「―――お前に願いはないのか?
 涼宮遙を、よみがえらせなくても?」

その問いは単にアインの思いを問うているだけではない。
復讐に頑なになっているアインに別の目的意識を与えたいだけではない。
愛妾チャームを蘇らせるという彼自身の渇望―――
アインの態度が、その自らの根本を否定しているかの如く感じられたから。
故に、彼は問うたのだ。
短い言葉に、ゲームに賭けた己の全ての思いを乗せて。

「高みから見下ろす者の何を信じるの?
 アリが人に何を求めるの?」

返答は冷めていた。ザドゥは否定された。


アインはさらに追い討ちをかけるかの如く言葉を紡ぐ。

「……あなたは信じているのね。
 対等でもなく利害関係の一致でもない約束を。
 破棄することが相手の不利益とならない契約を。
 わたしには出来ないことだけど、そういう生き方も幸せだとは思うわ」

小娘に己を否定されるは愚か、哀れみすらかけられた。
傲慢とも思えるプライドの高さを誇るザドゥが黙っていられるはずがない。
はずがないが、しかし。
彼が取った行動は、眉間に深いしわを寄せ、沈黙を保つことに留まった。
それほど激しくザドゥの芯は激しく揺さぶられていた。
問いを発した本人が、問われていた。

(恃むは己のみ。それは本来俺が言うべき台詞ではないか?)

自問の渦中にあるザドゥへ、アインの回答は結ばれてゆく。

「それでも、そうね―――
 もし、何かを願わなくてはならないのだとしたら。
 願いは、こう」

一呼吸。そして射抜くような視線をザドゥに向けて。

「―――わたしの邪魔をするな」

声量は少量。声質は穏やか。
しかしその声には、百戦錬磨のザドゥを震え上がらせるだけの迫力、
あるいは覚悟が備わっていた。


もう交わす言葉は無い。

低い姿勢のまま、アインが駆ける。広場中央へと向けて。
足元に低く燃え盛る草々を気にもとめず。
炎の壁を迂回して、あくまで素敵医師を仕留めるべく。

「ふぁいやー♪ ふぁいやー♪」

ザドゥは童女の如くはしゃいでいるカモミールの手を引く。
アインに背を向け、北東方向へと。
素敵医師の懲罰を諦め、己の命を守るべく。
胸に去来するはアインへの圧倒的な敗北感。

(ファントム――― おまえはこの森で命を落とすだろう。
 しかし、必ずその思いを遂げるだろう)



【グループ:ザドゥ・芹沢】
【現在位置:東の森・楡の木広場東部 → 北東方向】
【スタンス:炎から逃げつつ救助を待つ】
【主催者:ザドゥ】
【所持品:ボロボロのマント、通信機】
【能力:我流の格闘術と気を操る、右手に中度の火傷あり、疲労(大)、ダメージ(小)】
【備考:軽度の一酸化炭素中毒】

【カモミール・芹沢】
【所持品:虎徹刀身(魔力発動で威力増大、ただし発動中は重量増大、使用者の体力を大きく消耗させる)
     鉄扇、トカレフ】
【能力:左腕異形化(武器にもなる)、徐々に異形化進行中(能力上昇はない)、死光掌4HIT】
【備考:アッパートリップ。禁断症状沈静化。中度の脱水症状だが、一応戦闘可能。
    疲労(大)、薬物の影響により腹部損傷】

※ カタパルトによる救助は10分後、学校からの救助は到着時間未定


【アイン(元23)】
【スタンス:素敵医師殺害】
【所持品:小型包丁2本】
【備考:軽度の一酸化炭素中毒、左眼失明、首輪解除済み、
    肉体にダメージ(中)、肉体・精神疲労(中)】

※ 魔剣カオスは楡の木広場北東部外れに放置
※ アインの他の放置アイテムは焼失


【素敵医師:生死不明】



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