257 大きな楡の火の下で 〜leeward〜
257 大きな楡の火の下で 〜leeward〜
前の話へ<< 250話〜299話へ >>次の話へ
下へ 第八回放送までへ
(二日目 PM6:08 東の森・楡の木広場方部)
最初にそれに気づいたのは素敵医師だった。
「あひーあひーひあああああああ!!」
頭上に猛烈な勢いで振り下ろされる真っ赤で巨大な質量に。
気力尽き果てし素敵医師は指先一つとて動かせぬ。
即ち彼にとっての楡の巨木は、決して避け得ぬ死の実像。
(シシしし死ヌのは嫌がよ!! 助けとおせ! 誰かっっっ!!?)
間近に迫る巨木の恐怖に目を閉じ祈る素敵医師。
その瞼の裏に目眩くは薄ら汚れた人生走馬灯。
苦悩がくるくる。転落がゆらゆら。
罪業と快楽と汚濁と狂気が、ドドメ色の灯りに照らされる。
(―――こんなモン見とる場合じゃないがよ!?)
往生際の悪いこの男が、黄泉路の送りを拒否する。
その時感じた、強烈な衝撃。その時失われた、天地の認識。
ずぅぅぅん!!
すぐ脇から発生した内臓まで響く地響き。そして突風。
突風が去った。
目を開けた。
彼を取り巻く世界が劇的に変化していた。
「……地獄、やか?」
素敵医師が呆けた口調でつぶやく。
彼の周囲は熱気と煙と炎とで満ちていた。
ここが地獄だとするならば、それは焦熱地獄か。
「地獄、ね。確かにあんたに相応しい場所だけど……
残念、ここはまだ森の中。
あんたは生きてるの。あたしの式が助けたから」
素敵医師に語りかけながら近づいて来たのは朽木双葉。
こんな状況下にありながら、心もち声が弾んでいる。
焦りも恐怖も感じられない。
その様子から素敵医師は直感的に悟った。
「こ、こん火事ば…… 双葉の嬢ちゃんの仕込みがか?」
「火事自体は偶然だけどね。
あんたたちがそれに気づかなかったのはあたしの幻術」
双葉がようやく素敵医師の視界に入った。
その姿を見て彼はなるほどこれは用意周到だと感心する。
双葉の左右に侍るは大きな人型式神。
彼らは肩を組み、背を曲げ、双葉を炎と熱気から守っている。
そして口元には小型の式神。
遠目にもわかる十分に潤んだ式神は、双葉の渇きを癒し、
また、煙や煤を吸い込むのを防ぐフィルターになっているようだ。
さらに周囲を飛び回る数体の飛行型式神は、
火の粉や爆ぜる木の枝を、その身を以って防いでいる。
「それにしてもあんたの救助は高くついたわ」
双葉が指差す先には楡の巨木と炎の壁。
その倒木の下に、潰れて焼け焦げた飛行型式神が翼のみを見せていた。
戯れに結んだ協力依頼がこんなところで生きてくる―――
素敵医師は己の悪運の強さを噛み締める。
「あんた、楡の木に気づいたのに逃げようとしなかったじゃない?
仕方ないからアレを使ってあんたを弾き飛ばしたんだけど、
腰でも抜かしてたの?」
「へけ、へけけ。お恥ずかしい話じゃけど、
センセは気力が尽きて動けんようになってしもたがよ」
「えー、ならあんたを式で運ばなきゃいけないってこと?
勘弁してよね。
こういう環境で式をコントロールするのって大変なんだからさ」
文句を垂れながらも双葉に素敵医師を放置するつもりは無いようだ。
左側の人型式神が空いている左肩に素敵医師を担ぎ、さらに風下へと、
広場の南西の外れへと移動する。
「どこに向かってるがか?」
「最終ステージ」
進む先に、道があった。
広場をぐるりと囲む炎の結界に穿たれた亀裂。
燃え残っている潅木の緑が眼に鮮やかに飛び込む。
それは、双葉が森の木々に鞭をうち剣をふるい作らせた、
アインを誘い込むための専用通路。
式神の肩に揺られながら、素敵医師は知恵を巡らせる。
身動きが全く取れない自分がひとまずこの煉獄から生き延びる為には、
朽木双葉を言葉のみで操る必要がある。
その双葉が何故自分を助けたのかといえば―――
(センセを囮にアインの嬢ちゃんば仕留める為。
じゃけん、双葉の嬢ちゃんはセンセをそこで使い捨てても、
ふところばちくとも痛まんち。それがこじゃんとマズかよ。
なにか双葉の嬢ちゃんに捨てられんよーな方法は……)
そして、素敵医師が他人を篭絡する手段と言えば決まりきっていた。
(おクスリをぶっこむしかなか)
バカの一つ覚えとの謗りもあろう。
しかし、今回の方策は今までとは一味違った。
(ただし、ただし―――
今回に限っては副作用の無い、効能の高い、
つまらないおクスリをお勧めするのがええがよ。
センセがアインの嬢ちゃんへの囮以外にも役に立つことを、
どうにかして双葉の嬢ちゃんに判って貰わんと、
センセ、こんどこそオシマイじゃき)
邪道の医師が正道の医療でアピールをかける。
しかし、そこに改心があるわけではない。
あるのはただ打算のみ。
双葉の道はL字構造だった。
その行き止まりの袋小路に素敵医師は乱雑に下ろされた。
並んで腰を下ろした双葉に彼はプッシュを開始する。
ここぞ好機と言わんばかりに。
「双葉の嬢ちゃん、その顔色はなんちゃー?
そんな疲れた顔ばしちょったら折角のお美人系のお顔が台無しがよ」
「うるさいなぁ。疲れてるんだから疲れた顔に決まってるでしょ」
「そう、それ! センセ、仲間の疲労と健康状態を気にしてるがよ。
な、ちくとセンセのウエストポーチを開けとおせ。
ぎっちり効く栄養剤が入ってるがよ」
会話は、自然な流れだった。
双葉はウエストポーチに手を伸ばすだろう。
素敵医師はそう思っていた。
しかし、双葉はそれ以前の意外なところに食って掛かった。
「はぁ? 仲間? 何言ってるの?
あんたはあたしの部下。そうでしょう?」
確かに以前、そのような約束を交わした。
煩わしさは感じるが、まあいい。
序列を気にする相手には謙って尽くせばよい。
素敵医師はそう思っていた。
「けひゃひゃひゃ、忘れちょらんよ。言葉の綾じゃき許しとおせ、な?」
「部下である以上は私の指示に従う事。あんたはそれを呑んだわね?」
双葉が続けたのは更なる約束の確認。
こういう手合いはとことん肯定してやらないといけない。
逆に全ての確認に淀みなく肯定すれば、強い信用を得られるはず。
素敵医師はそう思っていた。
「お手だってちんちんだってやって見せるが」
「そう? なら早速命令してみようかしら?」
双葉の目に点る喜悦の色。
なんだ、もう受け入れられたのか。
素敵医師はそう思っていた。
「センセに出来ることならなんだって!」
「んー…… それじゃあ……」
調子のいい返答に、双葉が笑顔を向ける。
所詮小娘、ちょろいものだ。
素敵医師はそう思っていた。
故に―――
双葉の最初の命令が最後の命令でもあることに気づけなかった。
「死になさい」
処刑は即座に行われた。
人型式神の一体が素敵医師を羽交い絞めにし、
もう一体が腰を押さえつけた。
人型式神の一体が素敵医師を上方に持ち上げ、
もう一体が下方にひっぱった。
全てが瞬間で、全力だった。
「へけ?」
みちちちち…… ぱん。
素敵医師は腰から2つに引きちぎられた。
「へべべべべ!!」
上半身からは大量の血液が零れ落ちる。
下半身からは大量の血液が吹き上がる。
5秒と待たずに出血量が致死量を超えた。
「セ、センセ、まっぷたつがよ!!!?」
神に与えられた異常再生力の影響は凄まじい。
両の切断面から伸びる血管が、神経が、背骨が、内臓が。
千切れた先のパーツを探し、結合しようと蠢いた。
うねうね。にょろにょろ。
うねうね。にょろにょろ。
「ちょ、なにそれ。キモい。
なんかくっ付いたら復活でもしそうだから、
下半身は捨てといて」
忠実な飛行型式神がくちばしに下半身をくわえ、引きずる。
引きずって燃え盛る炎の中に放り込んだ。
「センセの下半身!! センセの下半身!!」
炎の中に横たわり、微動だにしない下半身。
炎の中で踊り、あくまで接続先を探そうとゆらめく臓器。
この時点で、希代の道化師の死亡は確定した。
素敵医師もまた、オリジナル智機と同じ思い違いをしていた。
双葉はアインを殺して生き延びようとしているのだと。
生き汚いこの男には思いも寄らなかった。
双葉が選んだのが無理心中なのだと。
つまり、最初から双葉に素敵医師を生かす気は無かったのだ。
彼を助けたのではなく、運んだだけなのだ。
殺害の痕跡にアインが気づかない場所で安全に殺す為に。
生存への期待を繋いだ分、素敵医師にとって事実ははより無残だった。
=-=-=-=-= ・ =-=-=-=-= ・ =-=-=-=-= ・ =-=-=-=-=
結果から述べると、素敵医師は12分後に絶命した。
通常の人間であれば胴を引きちぎられた時に即死していたであろう。
意志の強さと温度条件などが整っていても1分と意識は保つまい。
しかし、素敵医師にそのような安楽な死は与えられなかった。
神から贈られた異常再生力。
それが彼の死を徒に先延ばししていた。
故に確定している死を、死に等しい痛みを友に待ち続けることになった。
また、痛みに遠くなる意識をも異常再生力が引き戻すため、
素敵医師は絶命の間際まで正気を保っていた。
最初の1分の間、彼は死にたくないと思っていた。
2分めには既に、早く死にたいと願うようになっていた。
3分経つ頃には双葉にトドメを刺して欲しいと懇願していた。
しかしその懇願は声にならず、双葉に届くことはなかった。
その後の8分間もがき続け
その後の8分間苦しみ続け
その後の8分間死を望み続け
12分を迎えて蘇った2度目の走馬灯は
最後まで彼の記憶を映し、回った。
=-=-=-=-= ・ =-=-=-=-= ・ =-=-=-=-= ・ =-=-=-=-=
血の匂いは熱に飛んだ。
血の色も灰に飲まれた。
処刑場は炎に没した。
完全な証拠隠滅がここに成った。
偵察に放っていた飛行型式神が、アインの接近を伝える。
L字構造からI字構造に短縮された双葉の道。
朽木双葉はその突き当たりにある茂みの中に、素敵医師の上半身を隠す。
少しだけ、ほんの少しだけ包帯をほどいて。
わざとらしくない程度に、しかし、それに気づかれる程度に。
「ようやく追い詰めた憎い憎い憎いカタキが、
既に殺された後だと気付いた時に、
あんたはどんな顔を見せてくれるかな?」
朽木双葉は、身を潜める。
素敵医師の死体を隠した茂みの脇の、炎の中に身を潜める。
胸を躍らせて、身を潜める。
最後の招待客の到着を、今か今かと待ちわびながら。
形ある破滅・朽木双葉の影が炎に揺らめく。
【素敵医師(長谷川均):死亡】
―――――――――主催者 あと
5
名
【朽木双葉(16)】
【現在位置:東の森・双葉の道】
【スタンス:火災による無理心中遂行】
【所持品:呪符7枚程度、薬草多数、自家製解毒剤1人分
ベレッタM92F(装填数15+1×3)、メス1本、薬品多数
カード型爆弾一枚、閃光弾一つ】
【能力:植物の交信と陰陽術と幻術、植物の兵器化
兵器化の乱用は肉体にダメージ、
自家製解毒剤服用により一時的に毒物に耐性】
【備考:式神たち 双葉を保護。持続時間(耐火)=20分程度】