264 終わる長い夢

264 終わる長い夢


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(二日目 PM6:13 東の森・双葉への道)

広場中央には長谷川の姿はなかった。
辺りは炎と煙に囲まれ、巨木の近くにいただろう、双葉の姿を確認する事もできない。

「た……」

さっきから耳鳴りがする。巨木が倒れた時からだ。
わたしはそれに構わず、追跡を続行するため、即座に広場の外周を観察した。

「そこね」

一ヶ所だけ火が途切れてる箇所があるのを見つけた。
罠の可能性も考えて、わたしは他に抜け道がないかどうか観察する。
……今度は見当たらない。長谷川はあそこから逃げたのだろうか?

ドズンッ!

「!」

背後に大きな物体が落ちる音がした。
燃え盛る音と熱風が一層強くなったような気がした。
耳鳴りもいっそう強くなった。
わたしは他に道は無いと悟り、抜け道の入り口まで走った。

「え……」

目の前が急に暗くなった。


わたしは急停止し、不安を打ち払うように視線を下にして目を何度も瞬かせた。
徐々に視界が元に戻り、それから地面を凝視すると火に照らされた枯れ草がはっきり確認できる。
幸いにも視覚障害に陥った訳ではなさそうだ。
これもカオス使用の副作用だろうか?
わたしは前を見つめつつ、姿勢を低くしながらゆっくりと走る。
この道もわたしを誘い出すためのものだろうか?

……別にそれでも構わない。
いくら翻弄されようと最後に奴をこの手で始末さえできれば、それでいい。
病院で撃った時、猛獣でさえ殺せる攻撃を当てたのにも関わらず奴は生きていた。
だから今度こそ追いついて、確実に始末する。
その後、わたしは火災から逃げる時間と余力を失い命を失う事になる。
それでもいい。
遙を……ようやく持てたわたしの夢を踏みにじったあの男を始末できれば、それでいい。

……キーーーーーーーーン…………

うるさい。
わたしは耳鳴りを打ち消すように頭を振る。
双葉の生死は確認できてない。
彼女の扱うまやかしを警戒し、眼前の道自体が幻でないかどうか凝視する。
経験上は安全……それ以上は判断の材料もないのは確かだけれど、行くしかない。
最悪、無駄死に覚悟でその道にゆっくりと足を踏み入れる。
進んで行くと、両端には遠目ながらも燃え移っていない木や草がところどころ確認できた。

わたしは姿勢を屈め、ゆっくり前進していく。
うっとうしい耳鳴りは未だに続いている。
戦闘に支障がなければいいのだけれど……。


左目が失明してるのはもとより、胃とわき腹も痛む。
力を出し切れるだろうか……アインである以上命を失う事に恐れはない。
けれど……。
長谷川は2人がかりだったとはいえ、あのザドゥと長時間渡り合ったほどの相手。
簡単にはいかないだろう。

「…………」

ぱちっ……ぱちぱちぱちっ、バキばき……

突然、両脇の樹が爆ぜて火の粉が舞った。
舞った火の粉は燃えてない木々にいくつか飛ぶ。
駄目ね……急がないと。
わずかに歩幅を広く、わずかに歩調を速めながらわたしは進んだ。
耳鳴りに連動するように、後方から熱風が流れる音が聞こえた。

「!?」

足元に異物感。何?
そしていきなり目の前に黒い塊が倒れてきた。

ドンッ!!

大木の欠片が砕け、周囲に飛び交う。
遅れた!
わたしは息を止め、腕で防御しながら全速力で迂回する。
すぐ横には火が上がっていたが、数センチぎりぎりの距離で通り過ぎた。
距離を置いてから、一瞬だけ振り向き、後方から火の手が来ないのを確認した。
息継ぎをしさらに前進した。


「はぁ……はぁ……ごほっごほっ……」

しまった。
火の粉はわたしに移らなかったが、少し煙を吸いこんでしまった。

「ごほっごほっ……ごほっ……」

わたしはすすを吐き出そうと懸命に何度も咳をした。
胃と肺も痛んだ。
そんな状態でも耳鳴りは続いてる。さすがに困った。

「はぁ……はぁ……」

わたしは咳をし終え、ゆっくりと追跡を再開した。
……火が広がるのが早すぎる。
あの子供が放火して回らない限り、ここまで早くはならないはず。
双葉が再度あの子を言いくるめて、放火の指示を出したのだろうか?
……彼女の性格上それが出来るとは考えにくいが、可能性はゼロではない。
もし、この先にあの子供と双葉が生きて、長谷川と一緒にわたしを待っているとしたなら。
カオスがない今、それこそ……

「地獄ね」

…………こんな陳腐な台詞は自らの不幸を嘆いて言ったわけじゃない。。
口にしなければよかった。
これから先、わたしがどんな最期を迎えたところで、この島でも、現実でも悪い方向での大きな変化はないに違いない。
ただ……玲二に心配をかけてしまうかも知れないのが心残りだけれど。
それに、この火災にしたって、わたしと長谷川以外で死ぬのは一人も出ないかも知れないのに……。


「……っ」

腕が突然痛み出し、わたしは小さく声をあげた。
一体、何?
右目で左腕を見た。
服の裾が燃えていた。

「!?」

わたしは火を消そうと、屈んで左腕を地面に擦り付ける。
あの時、着火していた。
そんな、気づけなかったの?
わたしは懸命に火を消そうとする。
火はすぐに消えた。

「……」

わたしは呆然としながら、おぼつかない足取りながら進んだ。
自ら吐いた息が冷たく澱んだもに変わったような気がした。
焼けた裾の布を払った。
見ると左腕に火傷があった。
少し痛むが動きに支障がない軽度のものと判断できた。
だけど、わたしは少しも安心なんかできなかった。

こんな……こんなミスをするなんて……。
動悸が高まって、冷や汗が流れ落ちた。
戦闘や訓練で傷を負ったことは幾らでもある。


けど、こんなつまらない事で怪我をしたことは記憶のある限りない。
こつんと、つま先が何かにぶつかった。
はっとして足元を見ると、それはまたも石だった。

……頭が痛く、暑いはずなのに何か寒くなってきた。
それに伴い耳鳴りも強くなった。足も重くなったような気がした。

「わたし……」

思わず出した呟きは力なかった。
わたしは落ち着きを取り戻そうと、心を静めようと目を瞑り自身をコントロールしようとした。
それを実行する前に――目の前が突然真っ暗になった。


       □       ■       □        ■

――今日、わたしはここを出る。
目の前には薄暗く、古びた木の板で作られた部屋がある。
わたしは手荷物を下ろし、腰を降ろして両手をあごに乗せて感慨深げに部屋をみた。
家具などはなく、部屋はがらんどうだった。
そこは昨日までのわたしの居場所。
物心が付く前、わたしはここに連れて来られた。
故郷から攫われ、ここに売られたのだ。

……でもわたしはそれほど自分を不幸だと思ったことはない。
聞いた話だと、わたしの故郷と思わしき国は飢饉に見舞われて、
多くの人は明日とも知れない日々をすごしているようだったから。
ここに連れてこられなければ、飢え死にしていたのかも知れない。
そう思えばあまり辛くなかった。

この町の外にしたって頼るものなく生きようとするのには、かなりの苦労が必要だろう。
何度も町の外を見ていただけにわかる。
外で生きていくのには積極的に奪う側になるか、奪われ尽くされるかのどちらかの道を、
選択せざるを得ない暴力の世界が待ってるに違いなかったから。

それはできない。
いつの日か、憂さ晴らしにわたしを虐めに来た子を返討ちにした時でさえ、
やりすぎて大怪我させたあの子の友達からの、非難と恨みのこもったまなざしには結構応えたんだ。
わたしはいくつもの深い恨みを買ってまで、ずぶとく生きて行ける自信なんて多分ない。
そんな不毛な道を選ぶくらいなら、まだここにいた方がいいと思う。
……あまりいいところとは言えないけれど、ここでよかった。
勉強させてくれたし、周りの人が結構気遣ってくれたのが解っていたから。


……けれど、それも今日で終わり。
わたしを引き取りに、あの銀髪の陽気な人が迎えに来る。
数日前、わたしを養女にしたいと申し出にきたどこかの国のお金持ち。
店の人が身元を確認した限りでは、大丈夫そうとのことだった。

引き取り先が外国の軍隊とかだったら、どうしようかと思ってただけに安心した。
左の薬指が少し痛んだ。
わたしは怪我した指を見た。
数日前に料理を作ってる時に、切ってしまったんで包帯を巻いてある。
この間は火傷をした。 
やっぱり無理よ。

「……」

外国に行くのに少し、恐い気持ちもある。
あの人にちょっとうさん臭い所があるのは確かだし、この家への未練があるのも確か。
けど、こんな理由で拒むわけにもいかないし、断ったところでもうこんな機会は訪れないかも知れない。
ここには大金が手に入り、わたしがいなくなった分だけ負担が減る。
何より周りの子に疎外感を味あわせなくてすむのなら、これでいい。
これでいい……さみしいけれど……。

わたしは立ち上がりつつもう一度部屋を凝視した。
薄汚く辛気臭いなんの魅力もない部屋。
お香を買ってもらえなかったら、部屋変えを頼んだかもしれない。
けど、それはもう過ぎたこと。
わたしは笑みを浮かべた。
ガタガタと窓が揺れる音が聞こえる。強い風が吹いてるのだろうか?


わたしは窓際まで行き、窓を開ける。
冷たく、心地よい風が流れ込んできた。
あと5分くらいで迎えに来るはず。
向こうにもこれくらい良い風が吹いているのだろうか?
わたしは窓から空を見上げた。
雲がほとんどない青い空が広がっていた。
いい天気……。

ここはいい所とはとても『外』では言えないけれど、それでもわたしの人生の大半をすごした場所。
今日、この日だけは良い所だったとひとりで思いたい。
来る事はもうないけれど、ここを発つ今日という日は忘れない。

わたしの夢。
いつの日かわたしが――。


目の前には地面。
わたしはとっさに両脚に力を入れて強く地面を踏みしめ、前倒しになるのを防いだ。
息を荒く吐き、ゆっくりと顔を上げる。
見えるのは相変わらずの灼熱地獄の中にいることを確認させられる現実。
やや上方を見た。煙が他の場所より明らかに薄くなっていた。
わたしはそれをチャンスと判断し、歩行スピードを少し上げた。
先には燃え残ってる木や草が認められた。
耳鳴りは続いていたが、さっきよりは小さくうるさいと感じられない。

「…………」

吹雪。枯れた草。動物の鳴き声。見知らぬ大人たち、車の中。白い肌のわたし。
古い建物。 長い髪。中年女。お香。古びた窓。怪我した子供。こちらを睨む子供。銀髪の中年男。

一瞬、気を失った時見えたこれらの映像は、白昼夢か、双葉のまやかしか、
カオス使用における後遺症だったのだろう。
気にしてはいけない。
わたしの心と肉体は奴を殺す事で占められなければならないから。
なぜならどれもこれも身に覚えはあるけど、あやふやで気の所為にできるものだから。
現に、わたしに迷いは……。

「え……」

意に反して足は止まった。
気を取り直し小走りに進もうとした、ゆっくり歩いたのみだった。


「何故……?」

耳鳴りがまた強くなった、それに頭が痛く、いえ何か鮮明に……。
脳裏にさっき見た映像のようなものがゆっくりと順に浮かんでいく。
一巡りすると、耳鳴りがまた小さくなり、映像は浮かばなくなった。
もう一度、思い出そうとした。
一瞬だけ、銀髪の男の映像だけが出たがすぐ消える。
わたしは反射的に空を見た。

目に入ったのは炎と黒煙。
嫌な光景……。
また思い浮かべようとする、鮮明じゃないけどぼんやりと何かが浮かんだ。
しかし、浮かぶのはここまで、それ以上深くそれらを知ることはできそうになかった。
銀髪の男が何者であったか以外は。

「走馬灯なの? わたしがそんなものを見るとはね……」

わたしは鼻で笑った。
誤魔化すように。
走馬灯ならこれまで記憶にあったものが、浮かんでくるはずなのに浮かばなかった。
夢にしてはひどく心を引き付けられる映像……いや記憶。
あの銀髪の男がかつてのマスターと同一で。
その映像にいたサイスに対して、懐かしくも新鮮さを感じたという事は……。
何よりそれらを心の奥底で否定できないのは何故。
さっき浮かんで、もう思い出せない記憶を何故わたしは強く求めてるの?
けっして夢でも走馬灯でもない。
これは……。


わたしは足を止めて言った。

「死と地獄を受け入れる覚悟は……していたつもりだったけど、これはなかったわ」

声が震えていた。
長谷川らに事前に薬を打たれていたからだろうか?
一酸化炭素中毒の所為だからだろうか?
カオスを使った後遺症だからだろうか?
理由はいい。
断片的にしか蘇ってない記憶を、サイスに消された記憶をこれから取り戻す事ができるなら。
これから先……。
わたしは顔を睦向かせて、頭を振った。
……けれど 。

「駄目……ごめんなさい玲二」

わたしは同じ苦しみを味わっていた、ここにはいない彼の名をかすれた声で呼んだ。
元の世界で再会してその事を伝えることができたなら、どれだけ彼を安心させることが出来るだろう。
でも……それはもう叶わない。
何故なら、わたしにはもうひとつしか進める道が残されてないから。
でも、それも。
わたしは右腕の火傷を見た。

「……わたしはできるの」

もし長谷川に倒されてしまえば、奴の欲望を叶えるだけの人形に変えられてしまうだろう。
ファントムより醜く悪い存在に変えられてしまう。
弱くなったわたしに奴を殺すことができるの? できるの?


「……」

わたしは右手を上げて……
拳を額に叩き付けた。

「…………何を弱気な事を言ってるの」

痛みとともに、不安が消えていくのを感じた。
このゲームの趣旨に反する事、自体が非常に無謀なもの。
首輪を付けられてた時点で、神のような存在に命を握られてる時点で何を恐れてるの。
倒れてた遙を殺さなかった時点で、もう心は決めていたはずなのに。

「遙」

彼女を手にかけ、長谷川に踊らされたと知ったとき、遙の心を理解できず守りきれなかった悔しさと絶望、
そして奴に対する憎しみがわたしの心を支配した。
だから最初の誓いの代わりに、奴を追い始末することを目的に変えてここまで来た。
わたしは遙が持っていた写真に写っていた光景を思い出す。
許す訳にはいかない……どんな人も実験材料や玩具としてしか見ない、長谷川やサイスのような奴を。
たとえ届かなくても……追うのを止める訳には行かない。
不意に視界が一瞬暗転し、戻ると声が聞こえた。

『頼むよ……』

女の人の声。
昨夜、わたしが殺めた……大柄な女の人の遺言だった。
胸が微かに痛んだ。
わたしは追跡を再開した。


「ひどいわ……」

わたしは小さくつぶやいた。
彼女はわたしに殺害を依頼してから、そう言って眠りについた。
迷ったけれど、彼女の依頼どおりに殺害を実行した。
魔窟堂と別れる口実にする意図が、全くなかったと言えば嘘になるかも知れない。
それでも……名前を思い出せないけれど、残された羽を生やしたあの少女の事を思うと、
この島に来るまで無抵抗の人を殺せなかったわたしにとっても、彼女の頼みは酷だと思った。

あの少女が素人同然の力しか持ってるようにしか見えなかったとはいえ。
憎しみが人を強くするとはいえ。
わたしと同じ道を歩ませた挙句、再会さえしないまま勝手にここで果てるのも酷いと思う。
また視界が暗転して、またさっきの記憶が幾つも浮かんで、新しく記憶もいくつか浮かんで消えた。

「……」

今度はサイスの記憶だけじゃなく、いくつかの記憶が脳裏に残った。
わたしは奇妙な充実感を感じて、わずかに身体を震わせる。
こんな道を歩んでいなければ……生き残って――遙たちと一緒に主催を倒せたならどれだけ良かった事だろう。
先ほどザドゥに対して願いを拒否する事をわたしは示した。
彼らの上に立つ者は少しも信用できなかったし、長谷川を殺せればそれで良かったとさえ思っていたから。
だけどもし願いを叶えられる程の力が、やり方次第で自称神以外にも利用することが可能だったなら。

何らかの形でもこれまで犯した償いようがない過ちを償うことが出来るなら。
たとえ償える可能性がゼロに等しくても。玲二の身に起こったような希望がここにもあるなら……。
考え込むわたしの耳に、ごぉっとどこかで炎が強くなった音が聞こえた。
わたしは深く深くため息をついて、言った。


「もう、これでいい」

記憶を完全に取り戻せなくても、いい。
これだけ思い出せただけでも充分よ。
わたしは長谷川を初めとする主催者達の事を考える。
長谷川は主催いう名の複数ある駒の一つに過ぎない。
ザドゥに遠く及ばない奴相手でさえ、わたしはあそこまで翻弄され続けた。
他の強大な力を持つ主催者たちはいる。
そんな高望みはもうできない。
例え、すぐに奴を殺せたとしても、この火の中、わたしが生き残れる手段は思いつかない。
そして失った記憶を完全に取り戻すのを待てば、奴を始末する時間がなくなる。
もう手遅れなんだ。

「ごめんなさい……」

わたしは搾り出すように目を瞑りながら言った。
声はかすれて、目が痛かった。
これを最後に、もう叶わないだろう希望は考えないことにする。
心は凍てついたままでいい。
今は残る力を最大限に使う為に感情を殺し、殺意で心を満たす。

わたしはまっすぐ前を見つめ、今度こそ迷わず先を進んだ。



【アイン(元23)】
【スタンス:確実に素敵医師殺害、双葉としおりを警戒(だが素敵医師殺害を最優先)】
【所持品:小型包丁2本】
【備考:軽度の一酸化炭素中毒、左眼失明、首輪解除済み、 肉体にダメージ(中)
    肉体・精神疲労(中)、左腕上腕部に軽度の火傷、行動に支障がない程度の記憶混濁】



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