197 炎の少女と鋼の男

197 炎の少女と鋼の男


前の話へ<< 150話〜199話へ >>次の話へ 下へ 第七回放送までへ




(二日目 13:01 学校校庭)

一人の少女が、体育座りでそこにいた。
何も写していない瞳をぼんやりと空の雲へ向けながら、観月しおり(No.28)はそこにいた。
その全身は泥に塗れており、彼女の持ち得ていた可愛らしさを台無しにしてしまっている。
ついさっきまで、しおりは鬼作とアズライトの埋葬を行っていたのだ。
本来なら一人では到底できない作業であるが、凶となったしおりにとっては
時間こそかかったものの難しくはなかった。
「……どうしよう、マスター……」
空を見上げたまま誰にともなく言う。
彼女にとって、マスターであるアズライトの為に生きる事だけが全てであった。
マスターの笑顔を見るためにしおりの存在意義があったと言ってもいい。
だが、そのアズライトはもういない。
「……マスター……!」
名前を言うだけで涙が流れ落ちる。
さっきの声のようなものはしおりも聞いていた。『しゅさいしゃ』か『さんかしゃ』を
全員殺せば何でも願いが叶うらしい。
『何でも』という事はアズライトの蘇生も可能なのだろうか?

―――だが、自分にできるだろうか?

自分よりも遥かに強いアズライトですら殺されてしまったのだ。
『しゅさいしゃ』に自分が勝てるとは到底思えなかった。
では『さんかしゃ』には?
その答えは、未だしおりには出せていなかった。
「これからどうすればいいのかな、マスター……?」


再度そう呟いた瞬間、
「!?」
しおりは、全身の毛が総毛立つような戦慄を感じた。
とっさに立ちあがり、全神経を周囲に向ける。

誰か来る。

強い、とても強いヤツが。

気配を隠そうともせず、悠然と、堂々と。

どこから来る?

―――校舎の中から!?

そんな、さっきの機械人形達は全て姿を消した筈だ。
それにこの気配は明らかにそれとは違う、人間の物。
凶となった事で目覚めさせられた、しおりの戦闘本能が高速で処理を開始する。

『しゅさいしゃ』の人だ。
きっと今の声を聞いて、『さんかしゃ』を殺しに来たんだ。
逃げる?
戦う?
戦って勝てるのかな……?
分からない、えと、でも、相手がただの人間なら―――勝てる。
……と、思うよ。
だって、マスターがくれた力だもの。
マスターが、しおりのためにくれた力だもの。
さっきのみたいなのは難しいかもしれないけど……多分、勝てるよ。

「……………」
しおりは口腔内の唾を飲み込むと、傍らに置いていた日本刀を手に取った。


「む?」
本拠地からの連絡通路を抜け校舎に出たたザドゥは、廊下の途中で立ち止まった。
ザドゥの立つ位置から十数m先、大体2教室分の距離を置いて校舎入口に一人の少女が立っている。
否、少女と言う呼び名が躊躇われるほどに幼い娘が立っている。
血と泥に塗れたワンピース。
風にそよぐ、腰近くまで伸びた髪。
その表情は昼下がりの日光で逆光になっており、伺うことはできない。
―――そして、その右手にだらりと持たれた刀。
「(この娘は……しおり、だったか?)」
智機の報告内容を思い出すザドゥ。確か、『凶』とかいう亜人に変質
しており、自然発火能力を有する超人との事だった。
「(フッ、いきなり面倒に当たってしまったな……)」
本来ならばザドゥとしても相手をしたい所であったが、今は事情があった。
うかつな事で時間を割いていては素敵医師が逃亡してしまう。
ザドゥは彼女を制する為に口を開いた。
「待……」

刹那、しおりが床を蹴る。

「!」

半瞬後、ザドゥの眼前にしおりの殺意に満ちた瞳が光っていた。

信じ難い程の超高速、
「クッ!」
しかし、ザドゥはそれを認識した瞬間に上体を逸らし後方に跳躍した。
同時に1秒前までザドゥの頚椎があった場所を通過する刃。
「わああああああぁぁぁっっッ!!」
叫び―――否、雄叫びと共にしおりは刃の向きを変え追撃する。
「チッ!」
ザドゥは舌打ち一つすると身を横にして切っ先をかわし、同時に刀の平を
掌打で弾いた。
「わわっ!?」
予想外の方向からの衝撃に揺らぐしおり。
「フンッ!」
廊下に振動が走る程の踏み込み。
瞬間、伸びきったしおりの脇腹にザドゥの左が叩き込まれた。
「ぎゃうッ!」
苦悶の声を上げ、小さな体が吹き飛ばされる。
常人ならば悶絶は必至、あるいは即死の衝撃である。
しかし―――しおりは既に常人ではない。
「ま……まだだよッ!」
一呼吸も置かずに壁を蹴り、再度ザドゥに肉薄する。
「ほう!?」
少なからぬ驚きを感じつつもザドゥは腰を落とししおりを迎え撃つ。
「ああああぁぁッ!」
再び斬撃、今度は左からの袈裟懸けである。
「素人が!」
これも難なく体捌きで避けるザドゥ。
確かに速度は凄まじいが、その技法は素人もいい所だ。攻撃をする前から
狙っている部位などが全て分かってしまう。
先程と同様、伸びきっているであろうしおりの脇を……
「ッ!?」
刀の先に、それを持っているべきしおりの姿は無かった。

持ち手を失った刀はそのままザドゥ後方の廊下に飛んでゆく。
同時に、腹部付近に感じる高熱と風圧。
「えるぼーっ!」
叫びと共にしおりの右肘が大きく振り被られ、ザドゥの鳩尾に打ち込まれた。
「カハッ!」
刀を振り下ろした瞬間にその手を離し、相手が切っ先に意識を向けている内に懐に入り込む。
理屈の上では単純極まりないが、それが可能な速度とは如何程のものか。
「(ぬかった!)」
相手の能力を低く見ていた己を罵りつつ、ザドゥはしおりとの距離を置こうとする。
だが、離れない。
後ろに下がるザドゥとほぼ等速でしおりは距離を詰めてきている。
「(速度で……負けるだと!?)」
「だぶるえるぼーっ!」
両の肘が背後に弓の如く引かれ、次の瞬間同時に叩き込まれる。
初撃の倍の衝撃と熱がザドゥの腹筋を焼き、捩れさせる。
至近距離で小型焼夷弾の直撃を食らっているようなものだ、常人ならば
『良くて』内臓破裂の打撃。
しかし―――ザドゥもまた、常人ではない。

「……ぬるいッ!」
悲鳴をあげる内臓を歯の噛み締めで制し、とどめの一撃を放とうとするしおりの
手首をザドゥは素早く掴んだ。
「ああっ!?」
そのまま高々と差し上げられ、しおりの足が床を離れる。
「んっ!」
とっさに蹴りを繰り出そうとするしおり。
「ハアッ!」
だがそれよりも先にザドゥの振り下ろされた頭がしおりの額に激突する。
頭突き。
恐ろしく原始的な攻撃方法であったが、自由を奪われたしおりの混乱を加速
させるには充分な一撃であった。
「あぐッ!」
額が割れたようだ。血がしおりの鼻筋に流れ始める。
すかさずザドゥはしおりの身体を上に放り投げた。
身を屈め、体内の気を右の掌に集約させる。
「……お別れだ!」
大会開始時にタイガージョーを屠った奥義『狂撃掌』である。
狙いは一点、無防備に落ちてくるしおりの心臓上。
「狂撃掌ォッ!」
「……マスターッ!」
その瞬間、しおりは両手を向かってくる拳に向けて広げた。
その大きさは、両手合わせてもザドゥの片手一つに届かない。
例えガードしようとしても、渾身のザドゥの一撃が手ごとしおりを破壊する
のは明確だった。

―――弾けるような音が廊下に響いた。

「ああああぁぁぁぁぁっ!」
断末魔を思わせる叫びと共に吹き飛ぶしおり。
「あぐっ!」
頭から落下し、そのままごろごろ転がって……壁に当たり、止まる。
その身体はぴくりとも動かない。
対して、ザドゥは先程と同じ場所に立っている。
「………グゥッ!」
しかし、その顔には苦渋が浮かんでいた。
しおりを打ち抜いた筈の右の掌を持ち上げ、じっと見つめる。
「……やられたな」
果たしてその掌は激しく焼け爛れていた。
「ウッ、うぅ……!」
同時に倒れていたしおりが声を上げる。

しおりが手をザドゥの狂撃掌に向けたのはガードが目的ではなかった。
彼女は、自分とザドゥの拳との間に超高熱の炎を発生させたのである。
瞬間的に浮かんだ陽炎に気がつかずそのまま狂撃掌を打ち込んでいれば、しおりは
死んでいだろうが、同時にザドゥの拳も炭化していたかもしれない。
インパクトの瞬間に腕を引き、放出された気の余波だけでしおりを吹き飛ばした
ザドゥもさる事ながら、とっさにその方法を考え付くしおりの執念も相当な
ものであったと言えるだろう。

「この力……今、消しておかねば厄介かもしれんが……」
ザドゥは小さく呟くと、ゆっくりとしおりに近づいた。

「ウッ、うぅ……!」

どうしよう、どうしよう、どうしよう!
動かない、身体が動かないよ……!?

床に倒れたままのしおりはパニック状態にあった。
凶として備わっている回復能力は、確かにしおりの機能を回復させてはいる。
しかし、それは本来備わっている筈の速度から比べると非常に遅いものであった。
カリ……
僅かながら指が動いた。

逃げなくちゃ、逃げなくちゃ!
逃げないと殺されちゃう……!

そう思いつつ、必死に手を使って這いずるしおり。
ちょうどザドゥへ背を向けているしおりには、彼の様子は足音でしか分からなかった。
足音が少し遠ざかり、止まる。
何か落としたのだろうか?

もっと、もっと早く……!

更に指の力を込める。
脇腹がじくじくと痛む。さっきの攻撃で骨折とまではいかなくともヒビ程度は
入っているのかもしれない。
そうこうしている間に、足音は再び鳴り始めた。
今度はまっすぐにしおりの方向に向かって歩いてくる。

!?
間に合わない!?
嫌……マスター!マスター!助けて、助けて! 

既に足音はしおりの足近くまで来ていた。
「マスター……ッ」
叫ぼうとしても、力の入らない身体からは弱々しい声しか出なかった。
そして、足音はしおりの真横に到着した。
何かが落ちる音。

……………ッ!

……だが、その足音はしおりの横を通過した。
「……え?」
固く閉じていた眼を恐る恐る開ける。
『しゅさいしゃ』はしおりに背を向け、出口へ向かっていた。
先程の落ちる音がした地点を見ると、しおりがさっき投げた日本刀が置かれている。

……ど、どーゆう事なの?

「しゅさいしゃ」はこちらを一瞥もせずに校舎を出ようとしている。
しおりは、痛みを感じながらも息を大きく吸うと、精一杯の声で「しゅさいしゃ」
に呼びかけた。
「……あ、あの……!」
「……ん?」
何とか届いたのか男の足が止まり、こちらを向く。
しおりは傍らの刀を握ると、それを杖代わりによろよろと立ちあがった。
「……なんで、殺さないの……?」


その、しおりにとっては当然と思える疑問に男は薄く笑った。
「フン……殺されたいのか?」
ぶんぶんぶん。
首を振るしおり。
「お前達の相手をしている暇は無い。それだけだ」
「……………?」
しおりの顔に更なる疑問符が浮かぶ。
「えと、えと……おじさん、『しゅさいしゃ』なんだよね?」
「……………そうだ」
何故かしばしの間を置いて、男は答えた。
「なのに『さんかしゃ』を殺すヒマが無いの?」
慎重に言葉を選びつつしおりは尋ねる。
「……それを言おうとした矢先に貴様が攻撃してきたのだろうが」
「そ、そうなの?」
「そうだ」
「……………」
「……………」
気まずい沈黙が流れた。
しかしそれは、先程までの殺伐とした空気を押し流す気まずさであった。
沈黙を破ったのは、『しゅさいしゃ』の方だった。
「……貴様も叶えたい願いがあるのだな」
「え!?……う、うん!」
戸惑いながらも、はっきりと答える。
「マスターに……マスターに生き返ってもらうの」
「……ならば参加者を殺せ。その方が遥かに容易い。貴様の能力ならば
 今残っている参加者の多くを屠る事ができる筈だ」
言いたい事を全て言い終わったのか、男はそう言うとしおりに背を向けた。
今度こそ振り返らずに校舎を出てゆく。
「……………」
その遠ざかってゆく背中をしおりはぼうっと眺めていたが、ふと、何か気付いたのか動き出した。
ふらつきながらも入り口近くに置いていた鞘を取り、刀を納める。
その足は、そのまま男の背中を追っていた。

ぱたぱた……ぱた、ぱたた。
不規則な足音にザドゥは振り返った。
見ると、しおりが刀を背負い追いかけて来ている。
「?」
ザドゥはけげんな顔でしおりを見た。
一方、しおりの方もザドゥの視線に気付いたのか慌てて止まる。
「……何のつもりだ」
「……おじさん、えらい『しゅさいしゃ』なんだよね?」
おずおずと聞くしおりにザドゥは面倒臭そうに答える。
「だから何だ?」
「えと、えっと……だったら、私みたいに他の人が攻撃してきたり
 するんじゃないかな?」
しおりは、自分の知っている語彙から何とか上手い表現を見つけようとしているようだった。
「だから、それを私が殺すの!そうしたら、ええっと……」
そこまででザドゥはしおりの意図を理解した。
彼女はザドゥを餌にして他の参加者をおびき寄せるつもりなのだ。
まあ、そこまで直接的に考えているかまでは分からないが、結果的にそうなる
事を考えているのは事実だろう。
とはいえ、それは参加者への干渉を避けたいザドゥとしても好都合であった。
万一参加者が襲撃してきたとしても、それはしおりに任せて行けば良いのだ。
―――今の一戦で予想以上に痛めてしまった拳を、これ以上消耗する訳にもいかなかった。
「……好きにしろ」
ザドゥはそう言い残し歩き始めた。


ぱた……ぱたっ、ぱた。
その後をやはり足音が追う。
「……『しゅさいしゃ』のおじさん?」
「まだ何かあるのか?」
「あの……名前、何て言うの?」
本当に他愛ない質問。
ザドゥは無表情に答えた。
「……ザドゥだ」
「ザドゥのおじさん……?」
「……………」
ザドゥは答えない。

それからたっぷり数十秒の間を置いて、ザドゥは苦々しく言った。

「…………おじさん、は付けるな」



【No,28:しおり】
【現在位置:校舎外】
【所持武器:日本刀
      発火能力】
【スタンス:参加者殺害】
【備考:凶化・身体能力上昇。
    弱いながら回復能力あり。
    打撲多数、現在歩行にやや難あり】


【主催者:ザドゥ】
【現在位置;校舎外】
【所持武器:己の拳】
【スタンス:素敵医師への懲罰
      参加者への不干渉】
【備考:右手に中度の火傷あり】




前の話へ 投下順で読む:上へ 次の話へ
199 道分かつ時・少女の心
時系列順で読む
195 首輪の・・・

前の登場話へ
登場キャラ
次の登場話へ
193 亀裂
ザドゥ
205 寸劇・ある通信内容
184 Menschliches, Allzumenschliches
しおり
214 孤島