300 ちぇいすと☆ちぇいすっ!〜復路〜
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(ルートC・2日目 23:15 I−7地点・海岸線・岩場)
灯台南部の磯は静寂の中に在った。
引く潮は穏やかに細波も立てず、北東の風は火災の禍を運ばず。
つい先ほどまで喜びの歓声を上げていた二人の乙女も、
今は、泣き疲れてか、笑い疲れてか。
腰を下ろし肩を寄せ合って、沈黙と共に、水面を眺めている。
(この二人、百合ん百合んか? 勿体無いのぅ……)
下品な魔剣も一応は空気を読むらしい。
下卑た思念波を発することなく心中で呟くに留めていた。
―――主催者は誰一人として地位を失っていない
―――ゲームを満了させれば願いは叶えられる
仁村知佳は先刻、エンジェルナイトから読み取った一通りの情報を
御陵透子に語って聞かせていた。
今、沈黙の中で透子は、それらの情報を咀嚼している。
殊に透子の意識を占めているのは、以下の一節であった。
―――蒼鯨神を楽しませる限り資格は失われない
実は透子は、この島に来てからの記憶/記録の検索の中で、
図らずもルドラサウムの記憶/記録にも幾度か触れていた。
つぶさに思い返してみれば、鯨神の記録は実にシンプルであった。
大別すれば二種類にしか分類できなかった。
楽しい。
つまらない。
その傾向も、実にシンプルであった。
動きがあれば、楽しい。
動きがなければ、つまらない。
ここでいう動きとは、心の動きではない。
悩んだり迷ったり勇気を振り絞ったりを指さない。
あくまでも体の動き、アクションである。
撃ったり刺したり燃やしたりである。
と、いうより。
ルドラサウムは、心を読んだりはしないらしい。
あくまでも表層の表れにのみ着目している。
耳目によってのみ、ゲームを鑑賞している。
例えば、椎名智機が学校にて鬼作らを制裁した折。
例えば、椎名智機が病院を急襲した折。
ルドラサウムは、笑い転げていた。
ゲームのルール云々などは一切関係なく、
主催者/参加者の枠を意識することなく、
ドンパチや自爆や建物の崩壊を楽しんでいた。
そんな記録が、空間には残っていた。
故に、透子は決意した。
願いの成就の為、己が為すべきを改めた。
(私も、戦う―――)
であればと、透子は考えを進める。
今後の具体的な身の振り方を検討する。
自分のテレポートは有用ではあるものの、戦闘力に措いては非常に乏しい。
肉体的な能力が著しく低いためである。
それは、先刻の亡霊・勝沼紳一追跡の折に、身を以って知った。
そんな自分が単独で、海千山千のプレイヤーたちを向こうに回せるとは思えない。
力が、必要である。
ザドゥとカモミール芹沢。
この、戦闘に特化した能力を持つ同胞の力無しでは、勝ち抜けぬ。
その為には。
シェルターへ戻り、朝まで目覚めぬ二人を守らねばならぬ。
「ありがとう、透子さん」
唐突に、知佳が礼を述べた。
知佳はゆっくりと立ち上がり、姿勢を正し、深く頭を下げた。
その動きは、畏まったものであった。
その声色は、固いものであった。
その両方に、知佳らしからぬ硬質な冷たさが含まれていた。
「……なにを?」
透子は知佳の辞儀の意味を図りかね、問い返す。
「魔獣から逃げることができたのは、透子さんのお陰だよ。
あの時、私はあなたに命を救われたの」
地下通路で、知佳に襲い掛からんとするケイブリスを諌めた。
そんなこともあったなと、透子は思い返す。
「ううん」
「お礼を言うのは私のほう」
透子は姿勢を正し、深々と頭を下げて。
受け止めた知佳の感謝を、より大きな感謝で以って返礼した。
「紳一を倒してくれて」
「ありがとう」
「自殺を止めてくれて」
「ありがとう」
「天使を読んでくれて」
「ありがとう」
「私のほうがいっぱい」
「ありがとう」
透子がこれほどの言葉を連ねるのは、何百年ぶりかのことであった。
その全てが、衷心からの言葉であった。
しかし、知佳の顔に笑みは戻らない。
硬質さはより一層増し、悲痛とさえ言える顔つきで透子から目を反らした。
そして、呟く。
「じゃあ…… もう、借りは返したってことで、いいね?」
何故、今更貸し借りなどと口にしたのか。
透子にその意図は分からない。
「ごめんね、とは言わないよ」
続けて紡がれたのは謝意を否定する形にての謝罪の言葉。
透子にその意味は分からない。
軽く混乱する透子が反応を返すのを待たず、
知佳はその表情のまま背を向け駆け出した。
北々東へと。
ちらりと見えた知佳の横顔には、確かに涙が一しずく浮かんでいた。
その涙の理由もまた、透子には分からない。
「逃げなくてもいいのに」
透子はしばし、呆然と知佳の背を見送り。
知佳が置いていった魔剣カオスの柄を握って。
地下シェルターへと戻ろうと意識して。
そこで、ようやく勘付いた。
自分のテレポート先と、知佳の走行方向が同じであることに。
【 朝まで目覚めぬ ザドゥと芹沢を 守らねばならぬ 】
読まれていたのである。
肩を寄せ合っていたのは読心能力を持つ相手だと分かっていたのに。
透子は、安心感ゆえの無防備で、その思念を漏らしてしまったのである。
主催者の内情を、危機を、秘中の秘を。
ごめんねとは言わないよ―――
この「ごめんね」とは、逃げる事に対する「ごめんね」ではない。
透子が折角取り戻した希望の芽を摘むことに対する「ごめんね」であった。
無防備なザドゥと芹沢の命を奪うことへの「ごめんね」であった。
知佳は、故に、走った。
逃げたのではない。向かっている!
「―――!!」
走り去る知佳の背はすでに小さく、遠く、迷い無い。
透子は念じた。
(知佳に――― 追いつく!)
ここに、知佳と透子の逃走/追跡劇が、幕を開けた。
―――灯台跡まで、あと1000m。
自分が撒いた種で、芽吹いたばかりの希望を、
その自分が、次の瞬間、引き千切り踏み躙る。
知佳がしようとしていることは、そういう行為である。
掌返しの裏切りである。
しかし知佳が心がけてきた、読心による情報収集とは、
まさにこうした情報を欲していた故であり。
その情報を遠方の恭也たちの為に最も活かせる行動が、
無抵抗の主催二名の暗殺であるのだから。
いかに友を傷つけようとも。
いかに友を裏切ろうとも。
この得難き機を見過ごすわけには、ゆかぬのである。
故に知佳は、ごめんねとは言わなかった。
本当は謝りたい気持ちで一杯であった。
それでも言えなかった。
言ってはならなかった。
ここでする謝罪とは自分の心を軽くする為の偽善でしかないのだと、
知佳には、分かっていた故に。
知佳が透子の呆然とした姿を頭に思い浮かべるのと時を同じくして。
その幻像が目の前に、実体として現れた。
透子に残存する唯一の【世界の読み替え】――― 瞬間移動である。
「すとっぷ」
知佳はその突然の出現に驚かなかった。
むしろ登場が遅いとさえ思っていた。
自分が今、為さんとしていることに思い当たれば、
或いは、その記憶/記録を読めば、
透子が自分を止めに来ることは、必然のなりゆき故に。
「気付いたんだ…… 気付いちゃうよね、どうしても」
「ん」
「透子さんを殺そうとは思ってないよ。どいて?」
「どかない」
知佳の頬には、涙の跡がある。
透子の頬にも、涙の跡がある。
しかし、それはあくまでも、跡である。
過去の名残なのである。
確かに咲いた友情の花は、無情の仇花でしかないのである。
「あなたがわたしを」
「殺せなくても」
「わたしはあなたを」
「―――殺せる」
その言葉に、知佳は衝撃を受けた。
そしてすぐに、傷ついた自分を恥じた。
透子を先に裏切ったのは自分である。
だのに、裏切られると悲しいなどとは、なんという身勝手さか。
《敵か? 知佳ちゃんは敵なんですか!?》
カオスが発した戸惑いの思念波で、知佳は我に帰る。
透子の言葉に嘘偽りはなく、既に、カオスは振り上げられていた。
「テレキ……」
テレキネシス、と。
反射的に知佳は反撃しようとして、逡巡した。
対する透子に躊躇は無い。
カオスは既に振り下ろしの体勢に入っており、
力弱いながらも、知佳の額をかち割らんとしていた。
「―――サイコバリア!」
透子が振り下ろしたカオスは知佳の額に到達しなかった。
知佳の前面に展開された、念動の障壁に受け止められた。
「ぁう!」
障壁は、不可視ではない。
その背のフィンに同じく、目視可能な透明である。
シャボンの膜の如き、オーロラの如き。
透明で有りつつも複雑に絡み合う色がうねりを見せる、力場である。
透子にダメージは無かった。
サイコバリアの強度が、緩く柔く、制御されていた為に。
透子の足をふらつかせ、カオスを手放させるに留まった。
殺そうとは思ってないよ―――
知佳のその言葉は、本気の発言であった。
それは、知佳が通すべき筋であり、
己に科した制約であり、
重い罪悪感への軽減措置であり、
また、透子に対する友情への未練でもあった。
「テレキネシス!」
知佳は透子の落としたカオスを念動にて吹き飛ばした。
透子は無言でカオスの飛ばされた先へテレポートし、回収をはかる。
知佳はその僅かなタイムラグの間に少しでも距離を稼ぐべく、疾走を再開する。
―――灯台跡まで、あと900m。
シェルター付近で待ち伏せする。
透子はそれをしなかった。
思いつかなかったわけではない。
できなかったのである。
《この追いかけっこ、どっちが勝つかな? どっちが勝つかな?》
透子は、掴んだのである。
厚き雲の上、星々の宿り、天空の遥か彼方。
そこから発せられるルドラサウムの記録を。
巨大な尻尾をぺちぺちと振り、童の如くはしゃぐその情景を。
(注目されてる―――)
透子は自分の判断に間違いが無かったことに高揚する。
そして緊張する。
ルドラサウムを――― 観客を、失望させてはならないと。
リクエストに答えねばならないと。
この追跡と戦いを半端に終らせてはならないと。
しかし、唯一の手持ち武器・カオスでは、
知佳の足を止めることが出来ぬは、既に実証されている。
サイコバリアに阻まれて、切り裂けぬを知っている。
(……武器が要る)
透子は、その思いで、心当たりの場所へと跳んだ。
―――灯台跡まで、あと800m。
例えるならば、サイコバリアとは「一枚の大盾」である。
前後左右、どの方向にも展開できるが、用を為すのは一方向のみである。
透子の攻撃が盾を構える正面から打ち込まれたなら、弾き返すのは易い。
しかし、盾の背後から打ち込まれたならば。
或いは、盾の側面から打ち込まれたならば。
その攻撃は無防備な知佳の柔い体に齧り付き、喰い破ることであろう。
それでも、武器がカオスであれば、問題は無い。
透子には、長剣に類されるカオスを、自在に振り回す腕力や技量が無い。
知佳はその運動音痴ぶりを既に【読んで】いる。
故に、たとえテレポート能力を駆使されようとも、
刀身が知佳を捉える前に、バリアを必要方向に移すことも可能である。
故に、今。
前面にサイコバリアを展開したまま、知佳は疾走を続けていた。
だが、その知佳の準備に透子が応える様子はない。
もう、それなりの距離を稼いだにも関わらず。
(待ち伏せ…… かな)
透子が知佳を止めるのを諦めた、とは考えられぬ。
何百万年もの間想い続けている愛しい人の復活が掛かっているのである。
その海溝の如き深き情と比せば、あらゆる事象は水溜り程の深さしか持たぬであろう。
ましてや知佳との僅かな交流など、考慮に値すらせぬであろう。
知佳は推測する。
それでも透子が走行の妨害に現れぬということは。
追跡に分が無いを悟り、戦法を待ち伏へと変更したからであろうと。
おそらくは地下シェルター付近で。
おそらくは武装を充実させて。
背水の陣を敷き、眠れる同胞たちを死守するつもりであろうと。
その場合……
殺そうとは思ってないよ―――
その誓いを、覚悟を、守ることが出来るのか?
身体能力に劣るところは無い。
それでも。
本気で、必死で、死に物狂いで向かってくるであろう相手に、
手心を加えた上でやり過ごすことなど、果たして可能であろうか?
(コレを使えば―――)
知佳はポケットに左手を忍ばせた。
指先に転がったのは小さな球体、二つ、三つ。
それは、知佳の配布アイテム。
それを、知佳は二度、使用している。
一度は悪漢を倒す為に。
一度は死地から脱する為に。
これ以上ないタイミングで、行使している。
その機を、見極めれば。
その機を、誤らねれば。
(―――透子さんを出し抜ける)
暗澹たる思いで、揺らぐ気持ちで。
それでも知佳は、疾走する。
―――灯台跡まで、あと700m。
「No。君の登場は本当に心臓に悪いな」
透子の目の前で驚愕するのは、レプリカ智機N−21。
二人が立っているのは、崩れた学校の瓦礫の中。
「残念な結果ではあるが……」
校舎の放送施設はやはり死んでいたのだと。
透子が夕刻に放置した通信機を回収したものの、
やはり本拠地との通信は不可能であったのだと。
N−21は突如目の前に姿を表した透子に、
己の調査任務の結果を報告しようとした。
「それはいい」
「銃を貸して」
しかし透子はレプリカの説明を遮った。
前置きも説明も無く、N−21が腰から下げる銃器へと手を伸ばした。
時間を惜しむ余りに。
シェルターまでの正確な距離の程は、透子には判らぬ。
しかし、知佳がそこにたどり着くまで、あと五分と掛からぬ。
その程度の事は理解できていた。
その焦りが、行動に表れていた。
「Why? 御陵透子、なぜ君が銃を欲する?
銃を預けるにやぶさかではないが、理由は聞いておきたいものだね」
「仁村知佳が」
「シェルターに向かってる」
「Yes、それは確かに必要だ。 風雲急を告げている」
N−21は腰に提げた軽銃火器―――グロック17を透子に渡した。
透子は魔剣カオスを放り投げ、銃を受け取った。
《うぉっ、乱暴じゃな!》
カオスの苦情が耳に届く前に、透子は消えた。
知佳を止めるべく、追跡を再開した。
「NO…… 事情はわかるが乱暴なことだな。
同僚の無礼、私が成り代わって謝罪させてもらおう、魔剣カオス」
《えーと…… ともきんちゃんでよかったかの?》
「Yes、魔剣カオス。 卑猥なのはNoと、最初に断わっておくよ」
《……つまらん嬢ちゃんじゃの》
―――灯台跡まで、あと600m。
仁村知佳が、走っている。
暗い闇の中を、一人、走っている。
既に周囲は磯ではない。
潮の臭いも届かない。
構造物も樹木も無い草原を、北々東へと走っている。
タン!
音は知佳の背後に聞こえた。
風圧は知佳の真横に感じられた。
銃撃である。
背後から放たれた弾丸が、知佳の脇を疾り抜けたのである。
(待ち伏せじゃなくて、武器の調達だったのね!)
知佳は振り返る。
背後10mほどの距離に、後方に転倒しかけている透子がいた。
恐らくは始めて発射する銃の反動に膝を崩されたのであろう。
その臀部が地面に衝突する直前に、透子は消えた。
「―――!!」
知佳は咄嗟に身を翻す。
直感は正しかった。
振り返った正面に、透子がテレポートしてきていた。
既に指がトリガーに掛かっている状態で。
タン、タン、と。
軽い発砲音、二発。
一発目は知佳の腹部を目掛けて飛来した。
銃弾はサイコバリアに弾き飛ばされた。
二発目は明後日の方向に逸れていった。
一発目の反動にて銃口が踊ったために。
そしてまた、透子は消えた。
知佳は、足を止め、周囲を警戒する。
一秒、二秒。
吸気、呼気。
透子は現れない。
(これは…… 危険だよ)
サイコバリアの利点と欠点は、先程述べた。
襲撃者が透子であり武装が剣であることでの知佳の有利も述べた。
しかし、銃器であれば、話は変わる。
速度。
射程。
威力。
その全てが、透子の運動能力に依存せぬ故に。
対してサイコバリアは、知佳の意思の下に展開されるものである。
発現にも方向転換にも、知佳のコントロールが必要になる。
その速度は、果たして弾丸よりも速いのか?
仮に早いのだとしても、別方向から間髪入れずに、射撃されたなら。
バリアの方向転換は間に合うのか?
知佳は周囲を見遣る。
遮蔽物は無い。
身を隠す手立ては無い。
タン、と。
知佳の一瞬の迷いを衝くかの如く、凶弾が迫り来た。
反応、左側面。
バリア旋回、左回り90度。
(間に合―――)
弾丸は念動の壁に喰らいつくが、食い破ることなく落下する。
(―――った!)
タン、と。
知佳の一瞬の安堵を衝くかの如く、凶弾が迫り来た。
反応、右後方。
バリア旋回、右回り120度。
そのバリア移動、100度ほどのタイミングで、弾丸は走り抜けた。
知佳の右足、太腿を掠めて。
(熱っ!)
擦過傷では済まなかった。
引き裂かれた皮膚から血が滲んでいた。
(このままじゃやられちゃう……)
知佳は、ポケットに左手を忍ばせる。
小さな球体の、虎の子の、支給品。
知佳はそれを、シェルターに侵入してから使うべきだと考えていた。
逃げ場も回避する空間も無い密室にこそ出番があると決めていた。
しかし、武器・銃器と移動手段・テレポートという組み合わせの妙。
その相性の余りの良さに、知佳は行く手を遮られた。
ほんの少しの油断で、命を奪われる危険に追い込まれた。
(他に手段、無ければ……)
知佳の左手は、未だポケットの中にある。
―――灯台跡まで、あと500m。
知佳がポケットに手を突っ込んだ。動きが止まった。
それはあからさまな隙であった。
透子はグロックのトリガを握り、発砲する。
しかし、弾丸は知佳を掠めもしない。
狙い定まらぬ射撃であった為に。
集中力を欠いた射撃であった為に。
(私は殺せる……)
そのはずであった。
しかし、銃撃の感触から自分の有利を確信した時。
気持ちだけの問題でなく、現実として知佳を殺せるのだと実感した時。
透子の胸は、痛んだのである。
とうの昔に失ったと思っていた感情が、切なく蘇ったのである。
(殺せるけど……)
知佳がシェルター襲撃を諦めてくれたらと、透子は思う。
殺せる覚悟は今なおある。
だが、決して殺したいわけではない。
殺さずに済むなら、それに越したことはない。
いっそ降伏勧告でも行おうか。
そう思い、口を開こうとした矢先に―――
透子は読んでしまった。
《あれれ? 決着つかない雰囲気? つまんないなー、肩透かしだなー》
蒼鯨神が、機嫌を損ねたという記録を。
それは、透子の希望の芽が摘まれる可能性を示唆していた。
それは、情に流されかけた透子を、非情の本流に戻させるに十分な記録であった。
(殺すしか……)
思い直した透子は、きょろきょろと周囲を警戒する知佳を見つめ、
為すべき必殺の方策を練り上げる。
まず、バリアの背面から、遠距離にて撃つ。
その弾丸が知佳に達する前に、テレポート。
出現ポイントは側方至近距離。すぐさま連撃。
遠距離のものと、近距離のもの。
その銃弾が同時に知佳に届くことが要である。
即ち――― ひとり十字砲火である。
透子はここまでの六度の銃撃の結果から、あたりをつけていた。
サイコバリアの欠点と、己のテレポートの利点を把握していた。
知佳の危惧は正しく、知佳が立つのは絶対の死地であった。
(……ばいばい)
空間跳躍。
知佳の背後15m。
―――知佳がポケットから左手を出した。
即座に射撃。
即座に空間跳躍。
―――知佳が左手に握った何かを地面に叩き付けた。
知佳の右側面5m。
即座に射撃。
移動、照準、射撃、タイミング。
土壇場で奇跡の如き集中力を発揮した透子は、
それら全てを理想通りに成し遂げた。
必殺のクロスファイアの完成である。
弾丸は疾り抜ける。
北から―――
東から―――
知佳の居らぬ空間を。
今の今まで、確かにいたはずの空間を。
(―――!?)
ばさばさと。
翼のはためく音が背後から聞こえ、透子は振り返る。
距離、目測にして15m。
そこに、知佳がいた。
大きく展開したエンジェルブレスが、知佳を空へと舞い上がらせる。
ありえない移動であった。
姿を消した瞬間に他の場所に移るなど、
透子の如き瞬間移動でもせぬ限り不可能であった。
(知佳にテレポート能力は)
(無いはず―――?)
透子は状況を飲み込めぬ。
飲み込めぬがしかし、知佳が飛び去ろうとしていることは理解した。
透子は、知佳の真下にテレポートする。
銃口を真上に向けて発砲する。
しかし弾丸は20mと昇らぬうちに力なく頭を垂れて、
あとは重力に引かれるままに、落下してしまった。
その結果を見届けてか、知佳は飛んでゆく。
透子の銃の届かぬ高度を飛んでゆく。
北々東へ。
ザドゥと芹沢が眠る地下シェルターへ。
―――灯台跡まで、あと400m。
仁村知佳にテレポート能力は無い。
それは事実である。
では、今見せた動きはなんであるのか?
いや、事は今だけに止まらぬ。
森の中で海原琢磨呂に詰め寄った際に為した不可思議な移動が、
新校舎にてDレプリカから逃走した際に壁を透過した挙動が、
テレポートで無いとするならば、一体何であったというのか?
回答は矛盾する。
知佳が為したそれら三つの機動は、テレポートであった。
回答は矛盾しない。
それは知佳の能力に非ず。配布アイテムの恩恵であった。
テレポストーン―――
今は亡きシャロンの出身地である影の一族の地下帝国。
遠く遥かな剣と魔法の世界。
そこであたりまえに売買され、使用される道具である。
効能は、瞬間移動。
但し透子のそれに比して、制約も多い。
同一階層であること。
自分が通過したことのある場所であること。
遠距離に過ぎぬこと。
等々の制約はあれども、魔力も超能力も必要とせず、
この小石を足元に叩きつけさえすれば瞬間移動が成るのであるから、
緊急避難・奇襲などに於いては、まさに虎の子であると言えよう。
テレポートには、テレポートで処す。
確かに知佳は予想通りに、透子を出し抜くことに成功した。
成功したが、これで透子は警戒するであろう。
もう虚は突けぬ。
手元に残る二個のテレポストーンを以ってしても。
(使っちゃったな……)
それでも、使いどころは間違っていない。
先刻の知佳は本当に死の崖っぷちに立っていた。
転移の判断が一瞬でも遅れれば、十字射撃のどちらかが、
知佳の体を貫いていたであろうから。
(しかたなかったんだよ、うん。 頭を切り替えないと)
知佳は沈む頭を切り替えようと、こめかみに拳を軽く当てた。
そこに、また―――
銃声が劈いた。
知佳の耳に、はっきりと届いた。
銃弾は貫いた。
濁った羽根、エンジェルブレスを。
「わわっ!?」
不幸中の幸いであった。
羽根は念動力が形を持ったものであり、目には見えども物質ではなく、
打ち抜かれたとて知佳にダメージを与えるものではなかった故に。
「嘘……」
しかし、知佳は戦慄した。
空中であれば、透子の銃撃は無いと考えていた。
そうではなかった。
油断していた。
タン!
またしても、銃弾は逸れた。
しかし、知佳の怖気は益々強まった。
下方では無く上方から銃撃されたから。
地面では無く天空から銃撃されたから。
「嘘じゃない」
「現実」
知佳の耳に、抑揚の無い聞き慣れた声が届いた。
知佳の耳に、自らの翼ならぬ風切る音が届いた。
知佳はその声と音の発生源、上方を見遣る。
透子が、落下してきていた。
そして、消えた。
即時、出現。落下。
即時、出現。落下。
知佳は、透子の瞬間移動能力を甘く見積もっていた。
足場無き位置には跳べないとタカを括っていた。
透子の移動に、時間も場所も関係ない。
存在できるだけの空間さえあれば、どこであろうと、即時に。
出現。落下。出現。落下。出現。落下。出現。落下。
出現。落下。出現。落下。出現。落下。出現。落下。
テレポートを小刻みに繰り返せば。
透子は、スカイウォーカーとなる。
《凄ーい! 今度は空中戦だ! どっちが勝つかな、どっちが勝つかな♪》
大空は、決してセーフティーゾーンではなかったのである。
むしろ、危険地帯なのである。
なぜなら、テレポストーンが使用できない故に。
それは、地面に叩きつけて発動するアイテムであるが故に。
(為す術がないなら…… 前に進むしかない!)
覚悟を決めた知佳が、速度を上げた。
―――灯台跡まで、あと300m。
空中でテレポートを繰り返すという透子の閃きは、成功した。
ぶっつけ本番にしては、上出来であった。
今、知佳がひたすら速度を増したのは、
透子に意識を向けぬのは、
バリアを上方に展開したまま動かさぬのは、
透子が知佳を追い詰めたことを、如実に示していた。
(……決める!)
タン! 側方に逸れた。
タン! 二の腕を掠めた。
タン! 下方に逸れた。
タン! 脇腹を貫いた。
タン! 大きく逸れた。
タン! バリアに弾かれた。
タン! こめかみを掠めた。
カチ!
カチ!
怒涛の連撃は、たった七発で終了した。
さらに二度の空トリガーを引いて、透子は漸く気付いた。
銃口から弾丸が発射されていないことに。
グロック17。
その名の通り、装弾数は17発であり―――
透子はその全てを、撃ち尽くしてしまったのである。
弾数のことなど、計算に無かった。
素人にありがちな判断ミスであった。
(新しい武器を……)
どこに取りに行けばいいというのか。
それを取って戻る時間の猶予はあるのか。
目を凝らせば、眼下に。
北々東の向こうに。
崩れた灯台の瓦礫の山が見えているというのに。
知佳は穿たれた脇腹から血を滴らせ、
それでも速度を緩めずに、
透子を振り返ることもせずに、
ひたすらシェルターを目指している。
まずは十数秒。それだけの時間で、知佳はシェルターへとたどり着き。
さらに十数秒。それだけの時間で、知佳はザドゥと芹沢を永眠させる。
(なにがある?)
(なにができる?)
こうして透子が迷っている間にも、
十数秒のうちの数秒が経過していた。
あと数秒で方針を決めねば終わる。
あと数秒で行動を起こさねば終わる。
(……なにもない!)
そう、武器は、何も無い。
有るとすれば……
(私……だけ!)
透子は、瞬間移動した。
知佳の真上に。
サイコバリアの真上に。
透子はクッションの如きそれに柔らかく受け止められる。
知佳は透子のその動きにも反応しない。
脂汗を流し、歯を食いしばり、
ひたすらシェルターへと突き進む。
透子はサイコバリアの縁を掴み、身を乗り出し。
知佳の足首を、両腕で抱えると、それにぶら下がった。
「……つかまえた」
―――灯台跡まで、あと200m。
この異能同士の追跡劇の最終局面は、キャットファイトとなった。
結局、極限まで追い詰められれば、それなのである。
矢尽き盾折れれば、人には、肉弾戦しか選択肢がないのである。
普遍的な、生き物と生き物の争いの形である。
唯一、普遍的でない点を挙げるとするならば。
地上30m超の空中で行われている点である。
不意に足を掴まれた知佳は、その重みにバランスを崩す。
瞬間、翼の制御を失った。
落下、数m。
呼吸を整え、翼を力いっぱい羽ばたかせ、漸く落下は止まったものの、
透子は、知佳の足にぶら下がったままであった。
知佳は、透子の顔を見た。
必死の形相であった。
額に汗は滲み、端正な顔を醜く歪ませて。
瞳の焦点を合わせて、奥歯を噛み締めて。
親の仇とばかりに、知佳を睨みつけていた。
透子は、知佳の顔を見た。
必死の形相であった。
額に汗は滲み、あどけないな顔を醜く歪ませて。
瞳の焦点を合わせて、奥歯を噛み締めて。
親の仇とばかりに、透子を睨みつけていた。
「離して」
「できない」
知佳のサイコバリアは霧消していた。
念動力をフィンに一点集中したが為に。
なぜならば。
フィンの制御を失うということは、飛行不能であるを意味し。
それは逃れられぬ墜落死へと、繋がるからである。
透子の狙いも、将にそこにあった。
故に透子は、なんとしても、知佳を叩き落さねばならぬ。
脹脛に爪を立てる。
ぶら下がり、大きく揺れる。
かと思えば、急に転移して。
知佳の小さな背に、ボディプレスを仕掛ける。
知佳も、透子の意図を理解していた。
故に知佳は、なんとしても、透子を振り落とさねばならぬ。
蛇行して振り払う。
旋回して肘を入れる。
転移の隙に、体勢を整えて。
空中でバック転し、透子の背面を抑える。
「離して」
「できない」
銃撃ではない。
念動ではない。
武器でもない。
道具でもない。
喰らい合うのは、互いの肉と肉、意地と意地。
ぶつけ合うのは、互いの骨と骨、想いと想い。
しのぎ合うのは、互いの血と血、願いと願い。
命と、命。
「離して!」
「できない!」
知佳の眼前に現れた透子が右手を伸ばす。
透子のその手を知佳が左手で払う。
透子の払われた腕は知佳の髪を掴み、引っ張る。
知佳は引かれた勢いに乗り、透子の腹に頭突きを食らわす。
握られたままの髪が纏めて引き千切られる。
知佳が喚く。
透子が呻く。
二人が吼える。
指を使う。爪先を使う。肘を使う。膝を使う。
噛み付く。引っ掻く。踏みつける。しがみ付く。
なんと醜い戦いであろうか。
なんと剥き出しな戦いであろうか。
なんと生々しい戦いであろうか。
《ファイトだファイトだ、とーうこちゃん♪ 負けるな負けるな、ちーかーちゃん♪》
ルドラサウムの興奮が最高潮を迎えた頃。
ついに戦いは、幕を閉じる。
知佳の脇腹に。
グロック17が唯一穿ちぬいた風穴に。
透子が指を差し込んだのである。
「うぁあああ!!」
これまで感じたことの無い激烈な痛みが、知佳の脳髄を焼いた。
そして一瞬、失った。翼の制御を。
(落ちる―――)
確実な死の予感が、知佳の焼かれた脳髄に冷や水を浴びせた。
その瞬間、弾けた。周囲の空間が。
(―――落ちたく無い!)
知佳の頭の中には、それだけしかなくなった。
死に物狂い。
その意味を、知佳ははじめて知った。
落下、反転、上昇。
知佳は透子をぶら下げたまま、天上を目指した。
昇れば落ちるから遠ざかる。
落ちるの反対は昇る。
そんな単純な考えに凝り固まっていた。
ぐんぐんと、知佳は上昇する。
ロケットの勢いで。
100m超の高度まで。
その重力加速度が、決め手となった。
知佳の肉体にとって、その重力加速度は、既知の衝撃であった。
念動力の実験と称された病院での訓練にて、幾度も経験してきた。
透子の肉体にとって、その重力加速度は、未知の衝撃であった。
故に不可避の急性貧血が、透子の視界をブラックアウトさせた。
のみならず、意識も薄く延ばされ、四肢から力が失われ―――
「……あ」
透子が、口を開いた。無意味な発声であった。
呟きは木霊することなく、知佳の後方へと、下方へと、落下した。
―――灯台跡まで、あと100m。
透子を振り払った。その実感に知佳は安堵した。
安堵はエンジェルブレスの安定をもたらした。
故に知佳は無思慮な上昇を止めた。
透子は、すぐにテレポートしてきて。
透子は、すぐにしがみついてくる。
そう予想し、身構えた知佳の元に、しかし透子は現れなかった。
―――ぱちゃ。
下方から。地面から。
水風船が弾けたかの如き音が届いた。
小さい音であるにも関わらず。
知佳の耳に、はっきりと聞こえた。
いや、聞こえる筈はない。
それは、幻聴であった。
或いは、予兆であった。
虫が知らせた不吉の調べであった。
透子が噛んでいた腕が、痛む。
前歯の一本が、そこに刺さったままになっていた。
―――透子はまだ、現れない。
また、戦法を変えて来るのか。
そんな空々しいことを夢想しても。
―――透子はまだ、現れない。
透子を殺す心算は無い。
そう誓ったのは、果たして誰であったか?
―――透子はまだ、現れない。
肉弾戦になったとき、確かに思ったはずだ。
透子を振り払い、突き落とすのだと。
それは、殺意なのではないか?
―――透子はまだ、現れない。
自分は友の希望を踏み躙って。
裏切って。
誓いを破って。
その果てにこの状況が、ある。
―――透子はもう、現れない。
顛末を見届けること。
それは自分の責任であるのだと、知佳は覚悟を決める。
目を背ける訳にはいかないと、知佳は自分を激励する。
無防備に瞑目。
深呼吸、数度。
知佳は瞳を閉じたまま、降下する。
下りること80m余り。
深呼吸、数度。
そこで知佳は漸く震える瞼を開いて。
目線をゆっくりと、下方に移す。
「ああっ……」
花が、咲いた。
地面に撒き散らされた透子を見た知佳の、感想である。
御陵透子は―――
加速度に、決して離さぬはずの知佳から引き剥がされ。
遠心力に、テレポートを思う間もなく意識を刈り取られ。
重力に、100mの上空から、身構え無しに引っ張られ。
緑の草原に、鮮やかな薔薇の花を咲かせたのである。
その命と、引き換えに。
《きゃはははは! 知佳ちゃんの、かちー♪》
【御陵透子:死亡】
―――――――――主催者 あと
3
名
(ルートC)
【現在位置:J−5 地下シェルター付近 上空】
【仁村知佳(40)】
【スタンス:主催者打倒
@ザドゥと芹沢を殺す
A手帳の内容をいくつか写しながら、独自に推理を進める
B恭也たちと合流】
【所持品:テレポストーン(2/5)、まりなの手帳、筆記用具とメモ数枚】
【能力:超能力、飛行、光合成、読心】
【状態:疲労(小)、精神的疲労(小)、出血(中)、銃創(脇腹)、念動暴走(小)】
【備考:定時放送のズレにはまだ気づいていません。
手帳の内容はまだ半分程度しか確認していません】
※透子のグロック17は落下の衝撃で大破しました。
※魔剣カオスはレプリカ智機N−21が持っています。