246 もう、泣くことしかできない。

246 もう、泣くことしかできない。


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(二日目 PM5:50 東の森・楡の木広場)

朽木双葉が式神星川に意識を向けた。
その死刑執行のロスタイムに、しおりは意識を取り戻した。
しおりは祈る気持ちで妹を呼んだ。
わたしの意識と一緒に戻ってきたかもしれない。
そんな甘い期待を胸に。

「さおりちゃん……」

痛みもある。死も間近に感じられる。
しかし、そんなものの恐怖はしおりにとって些細なもの。
最も恐ろしいことは。しおりが震えているのは。
頭上に迫った式神の重量感溢れる足裏に拠るものではない。
さおりの返事が、ないこと。
―――やはりさおりは、失われたのだ。

「さおりちゃん……」

しおりとさおりはいつもいっしょだった。
お留守番するのも一緒だったし、
初めてのエッチの相手も一緒だったし、
さらに言えば3Pだった。
結婚式もその相手も、一緒にしようと笑顔で誓い合った。

「さおりちゃん……」

愛情を受けて育った子供は孤独に耐えられない。
人生経験の少ない子供は深い悲しみに処する方法を知らない。
なす術の無くなった子供は―――

「ひとりにしないでぇ!!」

もう、泣くことしかできない。



慟哭。続いて地響きを伴った倒壊音。
式神星川に気を取られていた朽木双葉がしおりを振り返る。

「ふぇぇぇえええん!!」

しおりはただ泣いていた。
全身全霊を以って涙を流し、出し惜しみ無い力で声を張り上げていた。
そこまではよかった。

ここからがいけなかった。
彼女にトドメを刺すべく待機していたはずの人型式神の足はこげ落ち、
その体が炎に蹂躙されていた。
しおりの涙は火の粉となり、火の粉は周囲に撒き散らされ。
彼女を守るように全身を炎が包んでいた。
耐火性能に優れているのか、それすら凶の特性なのか、
しおりの首に嵌っている首輪や衣服に引火する様子は無い。

これは、甘えんぼの姉を守るべくしっかり者の妹が残した、
最期の置き土産なのか。
或いは、攻撃的な妹の精神が失われたために、
泣き虫の姉の精神に凶の力が一本化された故の特性変化か。


風に乗った紅涙が呆然とする双葉に降り注ぐ。
駆けつけた式神星川が双葉に飛びつき、その禍を妨げる。

涙を流して攻撃の手を止める。
それは全世界共通の敗北宣言。
それなのに。
その涙こそがイージスの盾。

いまやしおりの周囲に漂う紅涙が充ち、
既に結界と呼んでいいほどの密度を誇っていた。
朽木双葉は式神星川の腕の中で悟る。

またしても敵にトドメを刺す機会を失したのだと。


「双葉ちゃん逃げよう、今度こそ」

式神星川は放心する双葉の手を握り、森からの脱出を図る。
また拒絶されるかもしれぬと内心怯えていた彼であったが、
意外にも双葉は手を引かれるままに任せていた。
式神星川の胸中に甘い疼きが満ちる。

(ボクの思いが、通じたんだ―――)

そんな式神星川には残酷な話ではあるが、
手を引かれながらも双葉の心はここに在らずだった。
自分の内面だけを見ていた。

(ホント甘いな、あたし。
 トドメの前に星川と話をしようなんて。
 星川の悲しい顔の理由を知りたいなんて。
 それ自体が既に結論先延ばしのいいわけで。
 あの子を殺すことからの逃げじゃない)


溜まりに溜まった鬱屈は、風船のようにはちきれる物。
我慢強ければ我慢強いほどその爆発は威力を増す。
我慢の許容量と爆発エネルギーの火薬量は等号で結ばれる関係。

朽木双葉はこの島での悲劇と悲しみと屈辱に、
歯を食いしばって耐えてきた。
耐え抜いてきた。
泣き喚くなんて恥ずかしいことだけはしてこなかった。
悩みに悩んで、理性を諦めず、溜め込み続けていた。
故に―――彼女の胸は限界寸前まで張り詰めていた。

(あーあ。あたしってどこまでもハンパだなぁ……
 星川のように善人にもなりきれなくて。
 素敵医師のように悪人にもなりきれなくて。
 アインのように冷徹にもなりきれなくて。
 ランスのように自分勝手にもなりきれなくて。
 ああ、そうか。なんだ、結局……)

「自分のこと嫌いなんだ、あたし」

この呟きが最後の一吹き。
風船は忽ちに破裂した。


朽木双葉の視界が開けた。
能力に制限がかかっていることも、その制限が首輪によって
もたらされているという疑念も、一気に氷解した。

双葉は、気づいたのだ。
全ては自分の思い込み。
悪いことの原因を自分ではない何かに預けたかっただけ。
だが、自分が嫌いだと、自分が悪いと認めてしまえば―――
自分を嫌いにならない為の「いいわけ」の縛めは、全て解ける。

自己否定。
それによって生まれる開放は、確かにある。
しかし、否定した自己を肯定できるよう研鑽を重ねなければ
それはただの自暴自棄。
まっしぐらに転がり落ちるだけ。

(そうと判ればあとは簡単。
 嫌いな自分を守る必要なんて、ない)

もう、双葉は止まらない。
駆け込み乗車した破滅行き特急列車のドアは閉ざされた。

(嫌いな自分を捨てるのはいい。清々する。
 でも、こんなゲームを強いた主催者の連中も嫌い。
 星川を殺したアインなんて大ッ嫌い!
 そんな嫌いなヤツらが、あたしが死んでも生きてるなんて許せない。
 纏めてこの世から消してやる)

双葉の瞳に剣呑なゆらめき。
特大級の自暴自棄が、最大級の無理心中を決意させた。


双葉が式神星川の手を払った。
彼はきょとん、とした目で双葉を見つめる。
見つめて凍りつく。
双葉が今まで見せたことの無い表情だったから。
あまりにも無気力であまりにも力なく、
それでいて幽鬼のように恐ろしい顔だったから。

「星川、いままでありがとうね」
「どうしたの双葉ちゃん、そんないまさら改まっちゃって」
「式神のクセにあたしの意志に反抗するあんたは、
 式神としての機能を抑えてまで星川を一生懸命演じてるあんたは……
 もういらないから。
 幻術の性能を限界まで使用できるただの式神が欲しいから」
「ふ、たば、ちゃ……」
「だから―――バイバイ、星川」

双葉は唇を式神星川に重ねた。
乾いた唇だった。
味などしなかった。
式神星川は、しおりの誰はばかること無い泣き声を聞きながら
急速に薄れてゆく意識の中で思った。

(僕がすべきことは……
 双葉ちゃんを外敵から守ることでも、逃げることでもなく―――
 泣きたいだけ泣かせてあげることだった。
 素直に感情を吐き出させてあげて、
 気持ちの澱を溶かしてあげることだった。
 こうなる、前に―――)

その式神の『星川』としての最後の思考は、後悔だった。



唇が離れた。
あとに残るは物言わぬ意志持たぬただのヒトガタ。
双葉の命令のみを忠実にこなす。それだけの。

「いい? 目標は、この広場にいる全ての主催者とアイン。
 彼らが炎に気づかないように術をかけなさい。かけ続けなさい。
 あんたが壊れるまで」
「全式集合。あんたたちは燃え尽きるその瞬間まで、
 火災と外敵から私を守ること」

しおりは泣き続けている。紅涙は散り続けている。
木々が発する信号は、苦悶、驚愕、恐怖。
燃えたくない。
助けて。
それらの感情が暴風雨のように双葉に降り注ぐ。

朽木双葉はその叫びに耳を貸さない。
それどころか、森そのものに勅を下した。
全ての臣民よ殉死せよ、と。

「今からこの周辺を燃やし尽くすから、
 ありったけの水分を式神たちに託しなさい。
 それで、さっさと乾燥してさっさと燃えて。
 まずは広場を塞ぐように、周りの木から燃えること」


深い悲しみを激しい嫌悪に反転させ、
愛する者の幻影のカタチを自ら壊し、
迷いと明日を捨てた朽木双葉は―――

「みんな道連れにしてやる」

もう、泣くことすらできない。



【朽木双葉(16)】
【現在位置:楡の木広場外れ】
【スタンス:火災による無理心中遂行】
【所持品:呪符7枚程度、薬草多数、自家製解毒剤1人分
     ベレッタM92F(装填数15+1×3)、メス1本】
【能力:植物の交信と陰陽術と幻術、植物の兵器化
    兵器化の乱用は肉体にダメージ、
    自家製解毒剤服用により一時的に毒物に耐性】
【備考:元・星川 幻術に集中。持続時間(耐火)=15分程度
    式神たち 双葉を保護。持続時間(耐火)=1時間未満】

【しおり(28)】
【現在位置:楡の木広場付近】
【スタンス:さおりちゃんやマスターに会いたい】
【所持品:なし】
【能力:凶化、発火能力使用(含む紅涙)、
    大幅に低下したが回復能力あり、肉体の重要部位の回復も可能】
【備考:首輪を装着中、全身に多大なダメージを受け瀕死の重傷
    泣き疲れるまで泣き、その後しばらくは熟睡
    歩行可能になるには最低三時間の安静が必要
    戦闘可能までには同じくらいの時間が必要、多重人格消失】

                   式神星川―――人格消失



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