156 Escape from symbols of Sin

156 Escape from symbols of Sin


前の話へ<< 150話〜199話へ >>次の話へ 下へ 第五回放送までへ




(第2日目 AM00:45))

襲撃者を退けたあと、
アズライトはあどけない表情を浮かべて眠るしおりを膝うえに抱いたまま火にあたっていた。
彼は一言も漏らすことなく押し黙って、
ちらちらと揺れる火をただ瞬きもせずに眺めつづけていた。
憑かれたような瞳でかぎろう炎を眺めていた彼はふいと傍らの男の方を向くと、
「薪、拾ってきますね。」
どこか焦点の合わぬ目で一言そう告げた。
穏やかな寝息を立てていえるしおりに羽織っていたコートを包み込むようにしてかけると、そっと地面に下ろし、立ち上がる。
「そのようなことでしたら、アズライトさんのお手を煩わせずともわたくしめが…」
と言って慌てて腰をあげかける鬼作をやんわりと手で制した。
「いえ、僕が行きたいんです。ですから、行かせてください。」
その返事の硬い口調に鬼作は一瞬怪訝な顔を浮かべたものの、そうですか、と頷いた。
ありがとうございます、と言って軽く会釈して一礼すると、アズライトはすっと立ち上がり、
今しがたまで囲んでいた小さな焚き火のほのかなオレンジ色を背に受けながら茂みを掻き分け、
暗い森の奥へと入っていった。



二人から少し離れると彼は立ち止まり、
この長い長い一日のうちにもう何度もついた溜息をもう一度長く、ゆっくりと吐き出した。
月の光に青白い燐光を与えられ、幻想的にその姿を浮かびあがらせた森の中は
深い深い水底のようにしんと静まり返っていて、
ただ彼の吐息と彼が踏みしめている土の軋む音だけが聞こえる。
やがてアズライトは力なく頭を数回振ると、零れ落ちてくる月明かりに照らされた森の中をふたたび漂うように歩き始めた。
枯れ枝を拾うでもなくぼんやりと、
あちらこちらに視線を走らせてあてどもなく彷徨い歩きながら、
なみとの戦いのさなかに思い出した己の過去をゆっくりと反芻してみる。



それはあるときから突然に始まり、以来連綿と続く。
過去の記憶に悦びはない。
迫害と放浪と侮蔑と怨嗟、これが彼の過去。
人外である彼は、人の中にありたいと願う限り、いつだって異物でしかなかった。
ある光景に行き当ったところではたと足が止まる。
苦い記憶、できれば思い出したくない記憶、
忘れられず今も胸に焼きついている光景が、彼にはある。
血だまりの中に倒れ伏した二人の人間の少女と、それを見下ろす彼と彼の友人。
横たわる少女たちは彼と彼の友人の戦いに巻き込まれて、息を引き取ろうとしている。
(……桜姫)
ロードデアボリカたる旧き友、火炎王に付き従う凶。
彼が作ったもう一人の凶、自己満足の黒い犠牲に供された少女、罪のシンボル。
闇色の靄が濃くなる森の中へとさらに進む。



「僕は、逃げ出した。」
一言一言を噛みしめるようにして同じことをもう一度繰り返して言ってみた。
怖かったから、逃げ出した。
自分の言葉に否もなく従う桜姫が恐ろしかっただけではない。
媚態からではなく心の底から自分に服する桜姫が怖かっただけでは、ない。
怖かったのは桜姫ではなくて、自分。
そんな桜姫を作り出してしまう自分、
一時の激情になすすべもなく流されてしまう自分が怖かった。
だから逃げ出した。
あのとき、本当の自分の傲慢な素顔が暗く深い目で自分の方をじっと見ていたから。
不断の温厚な自分は仮面の自分、頼りなげに笑うことしかできない自分は偽者だということを彼は知っている。
彼の全てを見透かしたような火炎王の恐ろしい言葉がアズライトの心を穿つ。
あのとき、彼はこう言った。
『殺戮、怠惰、殺戮、怠惰、殺戮、怠惰。
どう足掻こうが、それがお前だ。
アズライト』
破壊と頽廃の日々の悦ばしき快楽に埋もれている自分、それを嫌って
何処かにある何かを求めて記憶を落とすことを選んだ自分。
なのに何も変わってなどいやしない。
いつしか月の明かりもここには届かなくなってしまった。



星たちの光に照らされることのない森は漸うと深くなり、その暗さをいや増しはじめる。
まるで強いアルコールでも呷って悪酔いしたかのように、
周りの景色が痙攣的にたわんでは病的にゆがむ。
そしてアズライトは、自分がいつしか地面ばかり見て歩いていることに気付いた。
「焚き木、拾わなきゃ」
思い出したように呟き、その場で腰をかがめるとおもむろに枯れ枝を拾い始める。
黙々と枝を摘み上げては小脇にかかえこむことを繰り返す。
「でも、これを拾って…」
そのあとはあそこに帰らねばならない。
自分のことを兄と呼び慕う少女が待つあの場所に帰らねばならない。
あそこにはやわらかく微笑む桜姫が待っている。
アズライトは息を詰める。
カラン、カランと空ろな音を立てて、抱えられていた小枝が地面に散らばる。
「あそこへ帰って、どうしようというんだろう、僕は?」
立ち尽くし、月明かりさえ届かない暗い空を見上げる。
溢れるものが目の前の暗闇をぼやかしていく。
やがて、くず折れるようにうなだれるアズライト。
深い深い森の闇が広がる。
ゆっくりと一歩を踏み出し、少しずつ早足になり、そして森の奥へと走り出す。
嘲り笑う者の声から耳をふさいで、果てしない闇の向こうへ



【アズライト】
【スタンス:さおりから離れる】




前の話へ 投下順で読む:上へ 次の話へ
169 人民皇帝VS鬼畜王
時系列順で読む
160 再会

前の登場話へ
登場キャラ
次の 登場話へ
142 Never More
アズライト
174 Morgenrote
伊頭鬼作
161 覚醒
しおり