284 少女タナトス

284 少女タナトス


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(Cルート・2日目 PM8:45 G−7地点 学校・体育用具室)

校庭の南の隅に、重厚な南京錠にて施錠された簡素なプレハブがある。
中にあるのはボールの詰まった籠。饐えた臭いを発する跳び箱。ライン引き用の石灰。
おおよその学校が備えているであろう体育用具が収納されていた。
しかし、それ以外の多くもあった。

紫堂神楽が注入された素敵ブレンド麻酔&睡眠薬があった。
涼宮遙が嗅がされたマキシマム精神安定剤があった。
伊東遺作が飲まされた超精力オットピンZがあった。
カモミール芹沢に注がれた異形の覚醒剤があった。

つまり、只の用具室にしか見えぬ此処こそが、素敵医師の薬品小屋なのだ。

その、運動用具と薬品毒物が互いの主張を譲らぬまま乱雑に入り乱れているこの空間に、
ひとりの少女がいた。
彼女は整頓されぬ棚を危うい手つきで掻き分け、真っ当な薬品を探している。
己の上役と同僚の治療に、少しでも寄与するために。

(……あった)

ようやく見つけた解熱用の座薬を前に、少女の表情は晴れぬ。
長い睫毛を伏せた憂い顔の少女、御陵透子。
沈黙は彼女の常態ではある。
しかし眉根に寄る皺が、常の彼女から逸脱していた。

(でも……)
(助けたところで……)
 


彼女の苦悩は、主催者としての資格を剥奪されたとの思いから生まれていた。
それは即ち、彼女の幾百万年の願いが叶わぬを意味しているが故に。

最初に違和感を抱いたのは、記憶/記録の検索範囲が狭められたこと。
違和感が疑念となったのは、【世界の読み替え】能力が制限された為。
疑念が確信となったのは、本拠地への瞬間移動が出来なくなった為。
 
   しばし前。ザドゥと芹沢が峠を越え、眠りについた頃。
   本拠地との通信機能の生きている方のレプリカ智機が、その機能の異常を訴えた。
   通信不能。
   これを受けた透子は此方の現状の報告と其方の現状の確認を行うべく、
   瞬間移動を試みたのだが―――
 
   「……?」

   願いが【止められている】などという生ぬるい制限ではなかった。
   本拠地へ向かおうと考えることすら拒絶されるかのような感覚。
   重々しく、息苦しい、重圧。
   透子は額に脂汗を浮かべ、乱れた息でレプリカ智機に告げた。

   「本拠地に行けない……」

   それでレプリカの1機は本拠地に向かい、
   もう1機のレプリカは、学校に備え付けられている通信機を試しに向かい。
   透子はザドゥと芹沢の看護を、一手に引き受けることとなったのだ。

《―――おかえりトーコちん。 解熱剤は見つかったかの?》

唐突にカオスの声ならぬ声が掛けられて、透子は自分が瞬間移動したことに気付く。
彼女が立っていたのは、ザドゥと芹沢の眠る灯台の地下室だった。
 



透子が時間と距離を無視して移動しているのか、世界の方が透子を軸に移動しているのか。
それは透子自信にも分からぬ。誰にも解き明かせぬ。
それでも、気付けば。いつの間にか【世界の読み替え】は発動している。

「ん」

透子は最低限の意思表示にてカオスの問いに答えつつ、緩々とベッドへと歩み寄る。
淡々とザドゥと芹沢の下半身から下着を脱がし、肛門に座薬を投与してゆく。

《うぎゃー! 野郎のそんなばっちいモン見せんでくれい!》
《うはうは、やっぱりぱつきんは下のヘアーもぱつきんじゃったな!》

ベッドの脇に立てかけられている魔剣カオスが下品な寸評を挟んできたが、
透子はこれを完全に無視して、2人に下着を刷かせる。

眠る2人の外見は等しく痛々しかったが、彼ら表情は対照的だった。
芹沢は嬉しげな表情をしている。ザドゥは苦しげな表情をしている。
しかし透子はその差異を意識しない。
ただ、ザドゥが眠りに落ちる前の短い一幕を反芻していた。

   彼女は彼に問うたのだ。
   鯨神と連絡を取ることは出来ないのかと。
   自分が願いを叶える資格を失ってはいないのかと。
   ザドゥは2つの問いにただ一言で答えた。

   「知るか」
 
   ザドゥは透子を睨めつけ、吐き捨てるように。
   そのシンプルで残酷な返答を口にしたのだった―――



(だから、ここは……)
(……流刑場)

二つの状況証拠から、透子はついに結論付けた。
付けざるを得なかった。
この砕けた灯台にいる透子たちが敗者で、あの強固な拠点にいる智機たちが勝者なのだと。

透子は思う。
だとすれば、智機のやり方が正しかったのか。
ゲームに介入し、殺し合わせるのではなく、直接殺す。
それだけであの鯨神が満足するのであれば。
ただ、血を見れば喜ぶというのであれば。
監察官の役割などに徹さずに―――

(考えてもしょうがない)

透子は後悔を放棄する。
案じても詮無いことは、どこまで案じても詮無い。
覆水は決して盆に返らぬ。
それを覆す【世界の読み替え】が成らぬ今、思い煩うことに建設的な意味は無い。
無駄なのだ。
駄目なのだ。

透子の眉根から苦悩の皺が消えてゆく。
透子の瞳から憂いが抜け落ちてゆく。
後に残ったのは透明感を伴った無表情。



「もう……」
「いい」

透子は呟きと共に全てを諦めた。
大きな変化ではない。
監察官に就任するまでの透子に戻ったに過ぎぬ。
もともと、諦めと惰性で生きてきただけだ。

この島での透子が、特殊な透子だったのだ。
鯨神の見せた奇跡に、何百万年ぶりかの期待を持ってしまった透子。
既に忘れて悠久の希望を抱いてしまった透子。
我を忘れていた透子。
その透子から期待と希望が無残に剥ぎ取られたならば。

(この感じ……)

それは透子にとって馴染んだ感覚だった。
彼女が内包する消失願望が表面化してきたのだ。
その願望が完全に前面に出たのなら、透子は、音もなく消滅する。
彼女が今までそこにいた、という履歴を伴って。

透子は、初めからいなかったことになる。
 

(ほどける)
 



透子が存在する信憑性が薄れてゆく。
全と個の境界が曖昧になる。
あとは、この世から消えるのみだ。
いつかのどこかで、また現れるまで。
透子は目を閉じ眠るように、その瞬間を待つ。

だが、透子は消えなかった。
御陵透子の個を保ったまま、部屋の中に人として在り続けていた。

(通らない……?)

喪失願望が、止められたのだ。
常夜灯の薄橙色の光を鈍く反射させる、ひび割れたロケットに。
そして、透子は知った。
自己の消失すらも、【世界の読み替え】が行っていたのだと。

(じゃあ、これはもういらない)

透子は、契約のロケットをあっけなく放り投げた。
既に望みが叶えられぬ身に堕とされたのだ。
先に契約を破棄したのは鯨神の方だ。
守られぬ約束の印など、後生大事に抱える義理など無い。

(こんどこそ……)

しかして数分後。
契約のロケットは飾りでしかなく、制限は無制限に効果を発揮しているのだと、
透子は思い知る事となった。



透子は放心する。
考えることを自ら止める。
涙など出ない。
何百万年も昔に枯れ果てたから。

(探そう、彼の記録を)
(ずっと探そう)
(いつまでも探そう……)

あらゆる希望を失った透子に出来ることは、
何百万年も繰り返してきたことを、また繰り返すだけだ。
消えたところで、また蘇る。
蘇っても、やることは変わらぬ。
であれば。
消えようとも消えまいとも、なんら変わることはないのだから。

透子は死んだ魚の如き虚ろな目で、緩慢に周囲を見回す。
屍鬼の如き不確かな足取りで、部屋の出口へと向かう。

そんな人ならざる生命体・透子の背に、生き物ならざる剣が、声をかけた。

《トーコちん、どこへ行くんかの?》
 
魔剣カオス。
その暗紫色の刀身が、透子の瞳孔にゆらめいた。

《暇潰しなら儂をお供にどうですか?》



軽口を叩くカオスに、透子は答えない。
しかしその目線は、確かに魔剣を捉えていた。
しかしその目線には、らしからぬ熱が籠っていた。

(刃……)

透子は禍々しい刃先を意識し、唾液を嚥下する。
幾百の人間の、幾千の魔物の命を両断してきた凶器を、見つめる。

(あれで……?)

何度も何度も、透子は消失してきた。
繰り返すが、その願望が顕在化さえすれば、彼女は自動的に消滅する。
翻って、死にたい、消えたいと願っても存在を続けているこの状況。
それは彼女にとって在り得ざる状況であり、
彼女はその先の選択肢を見つけることが出来ないでいたのだが。

今、透子の眼前に。
新たなる選択肢が、実体を伴って存在していた。

(あれで、死ねる)

彼女は気付いたのだ。
自分は、能動的に死を選ぶことが出来るのだと。
カオスを手に取り、この身を刺し貫く。
ただそれだけのことで、自分を失うことができるのだと。

透子は甘い蜜を見つけた蛾の如く、ゆらゆらと、カオスに近づく。



《おお、話がわかる嬢ちゃんじゃの!》
 
透子の脳裏を、再び能力制限が掠める。
自己消失は【世界の読み替え】が行っていた。
だとすれば、消失からの再臨もまた同じだろう。
この刃で己を貫けば、命は永遠に失われるだろう。

(なんて―――)
(しあわせ)

永遠の輪廻のくびきから解き放たれる。果てぬ苦しみから解放される。
それは透子が常に願っていたことだった。
むしろ彼女の消失願望は、この思いを根本としていた。

透子は遂にカオスを手に取った。
それは透子にとっては重すぎたので、片手で持ち上げることは出来なかった。
両手で、腰を入れて、ようやく持ち上げることが出来た。

《いいのう♪ 女の子らしい非力さが、何かこう、いいのう♪》

透子の彫像の如く整った顔に喜悦が満ちる。
透子の白磁の如き真白な頬に紅が差す。
今まで透子が見せたことの無い表情が、ぬめりと浮かびあがっていた。
透子はその表情のまま、カオスの刀身を自らの喉元に近づける。

《お、おいィ!? 何の真似じゃそれは!?
 儂をそんな風に使わんでくれ!!》



カオスが己の使用用途を理解し、焦りの念波を発する。
透子は無視。
泥土の如き燐光を放つ刃紋が、白魚の如き透子の喉へと益々近づけられる。

あと5秒と待たず、刃は透子の命を奪うだろう。
その5秒が、経過しなかった。
透子が動きを止めた故に。
透子の記録/記憶の検索用感覚器官が、闖入者の記録を捉えた故に。



《扉や壁を抜けられるという点だけは、この体も便利なものだ》



その記録の主は、透子にとって覚えがあるものだった。
少し前まで、履歴を追いかけていた男の記録だった。

(紳一……)

かつての勝沼財閥総帥。
かつての聖エクセレント女学園バスジャック事件主犯。
勝沼紳一の怨霊が、この部屋に侵入していた。

《む? 女がいるな!》



紳一が照準を自分に合わせたことを透子は知った。
タナトス。
死を求める、破壊の本能。
その誘惑に囚われていた透子の脳髄に冷や水が浴びせかけられた。

《清楚そうな少女ではないか。こんどこそ当たりであってくれよ!》

紳一が自分へと近づいてきていることを透子は知った。
エロス。
生を謳歌する、性の本能。
それを既に死した紳一が体現し、欲望の矛先を透子に向けている。

透子の呆けていた瞳の焦点が合った。周囲を見回す。
緩慢な動きではない。
彼女にとって最大限の俊敏な動きで。

とても厄介。
透子は夕刻、紳一の在り方をそう評した。
彼女はリアルタイムで紳一の現在位置を把握できないが故に。
それを知るのは紳一の情報を拾った上で、その内容を読み解いて後となる。

(わたしはどの時点の記録を読んでいる?)
(10秒前?)
(それとも1分前?)

透子は紳一が自分に気付いたときの彼の視界の記録を精査する。
紳一の目には、透子の後ろ姿が映っていた。
カオスに向かってふらふらと歩いているところだった。



(あの記録は20秒ほど前のもの)
(じゃあ、今、紳一は)
(どこに……?)

透子は真剣に。
それこそ惰性で検索していた【彼】の記録を探すよりも熱心に、
紳一を探している。

《新品だっっっっっ!!!!!!》

透子はより近い位置で発せられた紳一の記録を見つけた。

その記録での透子はカオスを喉に当てていた。
その記録での紳一は透子の股間に顔を突っ込んでいた。
下着を凝視していた。
匂いを嗅いでいた。

戦慄が震えを伴って透子の正中線を駆け抜ける。
それは彼女にとってたまらなく不快な映像だった。

(ぅうっ……)

処女を犯す。
その一念で亡霊と化した紳一の執念を透子はくだらないと断じた。
しかし。
その対象として自分が俎上に上るのであれば、こんな不快なことはなかった。
失われた【彼】に数百万年もの長い年月、操を立てている透子にとって、
それだけはあってはならない事だった。



亡霊である紳一は、生者に触れることは出来ないが、
同じ霊体であれば触れることが出来る。
衣装小屋での彼とクレアとの接触が、その事実を裏付けている。
故に。
このまま透子が自決し、果てたとすれば。
放浪の末、やっと見つけた処女の存在に狂喜乱舞している紳一が
彼女を思うさま陵辱することは、日を見るより明らかだ。

(……死ねない)
(紳一が存在している限り)

そう決意してしまえば、今の紳一はそれほど恐れるものではない。
死にさえしなければ、紳一は己と接触できない。
纏わり付かれるのは不快だが、そこは辛抱もできよう。
透子はそのように楽観する。

(見つけないと)
(幽霊を倒す方法を)

故に、透子の思考はその先へと向かって行く。
それが、大いなる先走りであることに気付くこと無く。

《おあつらえ向きに男が眠ってるじゃないか!》

気付けるはずは無い。
透子は紳一の記録の検索を漁港手前で中断していたのだから。
彼がそこで得た【気付き】を知らないのだから。



《憑依だ! この男の体で少女を犯してやる!》

紳一が憑依できる条件はただ一つ。
憑依対象が意識を失っていること。
彼の目線の先には眠るザドゥ。
条件は満たされていた。

「ひょうい……!?」

予想外の展開に、透子はうろたえる。
うろたえつつもその記録の発生時間を探ろうと意識した。
意識する必要は無かった。
素敵医師の強烈な睡眠剤の効果で半日は目覚めぬはずのザドゥ。
そのザドゥの瞼がゆっくりと開かれたのだから。

(逃げっ)

透子は反射的に瞬間移動による逃走を選択した。
選択したかった。

(……られない!?)

選択できなかった。

透子は思い知る。
ロケットは、只の飾りなどではなかったのだと。
世界の読み替えが引き起こす現象は、使い手・透子を以ってしても制御不能だ。
それを曲がりなりにも制御し、「どこそこへ行きたい」という思いを、
瞬間移動という具体的手段に変換していたのは、あの装飾品の力に他ならなかったのだ。



(ロケットを……)

透子が這い蹲り、一度は捨てたロケットを探す。
足を使っての逃走も脳裏を掠めはした。
しかし、いまや彼女は一介の少女に過ぎぬ。
その体力、筋力はユリーシャにも劣ろう。
強健なザドゥと鬼ごっこを行えば、結果は明々白々だ。

(ない…… ない……)

僅かに常夜灯のみが点る地下室で、小さなロケットを見つけることは容易ではない。
探し主の心が焦燥と恐怖に支配されていればなおさらだ。

(ない!ない!)

タイムリミットは無慈悲に訪れた。
ザドゥの笑い声が響いた。
ザドゥがザドゥの声で、ザドゥのものではない喜びを表していた。

「ははっ! やはり俺は憑依できるぞ!」

透子が枯れた筈の涙を浮かべながら顔を上げたその先で。
ザドゥの上半身が緩慢に起きあがる。



(Cルート)

【グループ:ザドゥ・芹沢・透子】
【現在位置:J−5地点 隠し部屋1】
【スタンス:待機潜伏、回復専念】

【監察官:御陵透子】
【スタンス:@指輪を探して逃走する
      A紳一を滅する。その為の手段を模索する
      B自殺する】
【所持品:魔剣カオス(←カモミール芹沢)】
【能力:記録/記憶を読む】
【備考:疲労(小)】


【主催者:ザドゥ(勝沼紳一)】
【所持品:なし】
【スタンス:透子を犯す】
【備考:重態、右手火傷(中)、憑依中、本人意識なし】

※透子は契約のロケット無しに瞬間移動できないことが判明しました
※契約のロケットは、J−5地点 隠し部屋1のどこかに転がっています



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勝沼紳一
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