152 覚醒と忘却
152 覚醒と忘却
前の話へ<< 150話〜199話へ >>次の話へ
下へ 第四回放送までへ
(20:30)
広場まひるは畳の上で一人、悶えていた。
犯そうとした高原美奈子が去って後、暫くの間泣き濡れていた彼であったが、
2時間経った今、冷え切っていたはずの体が突如熱を持ち始めたのだ。
熱い。熱い。
身に纏った衣服を剥ぎ取りたくなるほどの熱さであった。
先ほどの夢をリプレイしているかのような熱さであった。
ただ一点、先ほどの夢と違うのは、熱の発生源がペニスではなく背中だということである。
その背中が、異様に膨らんでいた。
ぎし。
めぎ。
もごり。
みち、みち。
肩甲骨が軋み、背筋がねじれ、皮膚が蠢いていた。
その中心に、得体の知れない何かが、もの凄まじい勢いで膨れ上がっている。
それが、まひるの背面を圧迫している。
赤ん坊ほどの大きさまで膨張していた。
しかし、まひるはその壮絶な外見ほどに苦痛を感じていなかった。
むしろ快楽を感じているらしく、まひるは虚ろな目で、肌を上気させ、桜色の唇を半開きにし、
濃度の濃い吐息を悩ましげに吐き出している。
「ぁあああっ!!」
まひるはついに絶頂に達したらしい。
目が大きく見開かれ、爪先が反り返る。
それと同時に、射精するかの如く背中でエネルギーが爆発した。
ばさり。
いやぁ……」
タカさんにまひるを託されていた堂島薫は、部屋の中から聞こえた悲鳴を聞き逃さなかった。
「おかーたま、どうしたの!?」
薫ちゃんは母を気遣う言葉をかけつつ、室内へと戻る。
そして、驚愕する。
窓から差し込む淡い月の光に照されたまひるの背から、
服を裂き、白く大きな鳥の羽根が一枚生えていた。
まるで神話の世界に迷い込んでしまったかのような幻想的な光景だった。
彼は放心しているのか、焦点の合わぬ目で虚空を見つめている。
「おかー、たま?」
薫ちゃんが恐る恐るまひるを呼ぶ。
その声に我に返ったのか、まひるが薫ちゃんを振り返る。
その瞳が、紫に光っていた。
瞳の中に妖しげな紋様が浮かんでいる。
まひるは、人間ではない。「天使」である。
これは、まりなの調査書にも書かれていない。
彼の正体を知っているのは、まひるの妹として戸籍上記されている
まひるの半身「ひなた」唯一人であり、彼女はそのことを秘したまま、
まひるを人間として過ごさせようと考えていた。
しかし、島じゅうに漂う死の臭いと生きたいと願う心、
そしてなによりタカさんがまひるに与えた快楽が、
まひるの天使としての記憶を―――
本来の性である牡としての記憶を、皮膚感覚から呼び覚ましてしまい、
まひるの天使化は急速に進行させてしまっていた。
そしてそれは、肉体だけの問題ではない。
肉体は元より、まひるの精神もまた、復活を遂げようとする天使に深く蝕まれつつあった。
いや、まひるという人格は、天使にとって三界の仮衣でしかない。
その、まひるであることを失いつつあるまひるが、嬉しそうな顔をして薫ちゃんに手を伸ばす。
「薫ちゃん…… おいしそう」
漁協詰め所から程近い埠頭で、タカさんは海を眺めていた。
背中を無意識に丸めている。
「わりぃわりぃ」
突然、タカさんはシュタっと片手を上げ、明るくそう言った。
「腹減ったから帰ってきたんだよ。いいからメシ作れ」
不機嫌そうに続ける。
こんな感じで、何事も無かったように家族ごっこを再開できないものか。
タカさんはどうやってウチに戻るか、足りない頭でシミュレートしていたのだ。
「できないだろうなァ、多分……」
タカさんは大きくため息をつく。
一般に『悩む』と呼ばれているその状態に、タカさんは初めて陥っていた。
落ち込んでいる、といってもいいかもしれない。
これもまた、タカさんにとって初めての経験である。
まひるは、許してくれるのだろうか。
どう謝ったら許してくれるのだろうか。
やはり鍵はまひるの言っていた「愛」だ。
じゃあ、愛ってなんだよ?
うまいのか、それ?
……冗談じゃねえ。
タカさんはめそめそと考えている自分に毒づく。
人の顔色を窺うような真似は、タカさんの嫌悪するところであったからだ。
やりたい事をやりたい時に、やりたい放題。
そこで非難が来ようと、白眼視されようと、お構いなし。
人は人。
アタシはアタシ。
そのシンプルな割り切りが、彼女の生き方だ。
だから、嫌われることを恐れている自分が、どうにも納得いかなかった。
自分じゃないような気すらした。
しかし、自分を曲げてでも、押し殺してでも、まひるに嫌われることは嫌だった。
冗談じゃねえ。
堂々巡りする思考に啖呵を切り、勢い良く立ち上がるタカさん。
「もーいい。考えてもわかんねえ。無駄だ。こうなったら当たって砕けろだ!!」
タカさんはウチの方向を向きなおし、ダン、ダン、と威勢良く足を踏み出し。
数秒立ち尽くし―――また座り込んだ。
……冗談じゃねえ。ちくしょ。
躊躇。これもまた、タカさんにとって初めての経験だった。
パン!!
そんな彼女のうじうじした心を断ち切るかのように、夜の港に、銃声が響いた。
「ウチの方角だぞ!?」
タカさんは、今度は躊躇なく駆け出す。
一も二も無く漁協詰め所へ駆けつけたタカさんを待っていたのは、
硝煙冷め遣らぬグロック17を頭上に掲げ、腰を抜かしている薫ちゃんと、
今まさに彼に飛び掛らんとする、一匹の中柄な獣だった。
暗くてよく見えないが、大型犬よりやや小さめのその獣はどうやら翼を持っているようだった。
「薫!! 無事か!!」
タカさんは大きく叫び、薫ちゃんを援護すべく走り寄る。
加勢の存在に気付いたその獣は、おもむろに方向を転換すると、
かさかさかさ、四足で姿勢を低くしてタカさんに詰め寄る。
それは走るというより這いずる、といった動きであった。
膝、肘に当たる関節を体とほぼ水平に保つその歩法は、獣というより昆虫に近い。
獣はタカさんとの距離を3Mほどまで詰めたところで、声もなく跳躍した。
喉笛を一直線に食い破ろうという動きだった。
「うおおおおっ!!」
タカさんは獣に向かって腕を振り上げ、迎撃準備。
狙うは、カウンターでのアックスボンバー。
工事で鍛えぬいたタカさんの腕が繰り出す打撃は強烈無比だ。
野良犬程度ならば一撃でその粗首をヘシ折ることが出来る。
タカさんは、この危険な獣にそれを躊躇無くお見舞いするつもりだった。しかし。
「な?」
タカさんは腕を止めた。
飛び掛ってくる獣の顔が、まひるの物だったからだ。
「まひる!?」
その声に獣の動きも止まった。
タカさんは自分の目が信じられなかった。いや、頭か。
まひるが四足で、昆虫のように走り、自分に襲い掛かる。
そのようなことがあるはずが無い。
あってたまるか。
タカさんは目を擦り、再び獣の顔を確認する。
その顔は、やはりまひるのものだった。
「タカ…… さん?」
獣―――まひるの瞳に浮かんでいた紫の光が消える。
変わって、見る見ると潤みを湛える。
「な、あ、えと…… これ、どーゆーこった?」
困惑するタカさんにまひるは一言、
「……ごめんね」
消え入りそうな声で謝意を告げると、素早く身を翻し闇の中へと姿を消す。
たたたたた。四足ではなく、二本の足で。
「ど、どーいうこった!? なにがあった!?
薫!! 説明しろ!!」
焦燥と混乱を怒りで包み、余裕の無い怒声で薫ちゃんに問い質すタカさん。
「ひくっ…… ぐしっ……
お、おかーたまに羽根が生えて…… 目が光って……
えぐっ、薫を食べようとしたの……」
薫ちゃんは泣き崩れながら、なんとかそれだけを口にした。
食べようとしたという薫の言葉に、タカさんは強い衝撃を受ける。
衝撃は震えを伴い、彼女の四肢を駆け抜ける。
タカさんの頭の中から、すでに夕刻の陵辱未遂の一件は消え失せていた。
かといって、何をどう考えているわけでもない。
彼女は混乱の極みに陥っていた。
「怖かったけど、死んじゃうかと思ったけど。
でもおかーたま、ごめんなさいってゆってた。
薫やおとーたまを食べなかった。だから……」
微動だにしないタカさんに向かって、薫が訴えかけるように言葉をかける。
その言葉に我に返ったタカさんは、大きく頷いた。
「そうだな。まひるはまひるだよな。アタシの嫁さんでお前の母ちゃんだ。
ちょっとぐれえケンカしても、すぐに仲直りしなくちゃいけねぇよな。」
タカさんの言葉に、薫ちゃんがひひひと笑う。
「お前は留守番してろ。アタシと入れ違いでまひるが帰ってくるかもしれねぇからな」
「うん! 薫はお留守番する!!」
タカさんはこの頼もしい息子の頭をわしゃわしゃと撫でる。
「鉄砲もバズーカはお前が持ってろ」
「でも、おとーたま…… 」
「いーんだ。アタシにゃそんなややこしい武器は使えねぇからな。
アタシはこれがあれば十分だ」
タカさんは詰め所の壁に立てかけてあったシャベルを手にとると、
一瞥もせずにまひるが去った方向へと駆け出した。
【高原美奈子】
【現在位置:漁協詰め所 → 】
【所持武器:シャベル】
【スタンス:まひる追跡】
【堂島薫ちゃん】
【現在位置:漁協詰め所】
【スタンス:留守番】
【所持武器:グロック17(残弾15)、M72A2】
【広場まひる】
【現在位置:漁協詰め所 → 】
【スタンス:誰にも会わずに逃げる】
【能力制限:天使化進行 → 片翼、千里眼。記憶混濁中】