108 名探偵の不敵たる隠匿
108 名探偵の不敵たる隠匿
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(1日目 16:10)
気が付くとベッドの上にいた。
薄い布団を顎の下まで被っていた。
目に映る木製の古びた天井と、鼻を突く黴の匂い。
(ここは……)
22番
紫堂神楽の意識はそこで完全に覚醒した。
次いで彼女は意識を失う前の出来事を、包帯男の襲来を思い出す。
(いけない、みんなは!?)
彼女はベッドから勢い良く飛び起きる。
しかしその途端、世界が歪む感覚に襲われ、天地左右の境界を失って転倒する。
ドタ。
冷たく埃の溜まった木製の床にしたたかに顔を打ちつけた神楽は、
その痛みよりも、自分の体が思うように動かせないことに激しく戸惑う。
(な、これ、一体……)
耳の奥でグルグルと渦巻きが回転している感覚が、全ての感覚に優先されていた。
咄嗟に按手の治癒術を自分に施そうとする神楽だったが、
回転体の影響は肉体だけでなく、意識の集中をも不可能なものにしていた。
平衡感覚失調―――
素敵医師が投与した謎の薬は、うずまき管から前庭神経への信号発信をブロックし、
自分の位置・姿勢を肉体に把握させない作用をもたらす薬品だったのだ。
「むう、目覚めたようだな。…それにしても随分と寝相が悪いな」
ガラガラガラとスライド式のドアが開かれ、13番 海原琢麿呂が廊下から入ってきた。
ヨレヨレのトレンチコートを羽織り、飄々とした表情でタバコを咥えている。
神楽は彼が見知った、しかも人命救助をスタンスに据えている男であることに胸を撫で下ろす。
「病院の脇で君が倒れているのを発見したのだが、意識が戻らなかったのでな。
ここまで運んできてやったのだ」
「あの… ここはどこなのでしょう?」
琢麿呂は無言で南の窓を覆っていたカーテンをサァッと開く。
―――窓の向こうには運動場が広がっていた。
「保健室だ。学校の」
「主催者たちは、ゲームの趣向に反しないかぎり寛容なのだとわかったのでな。
潜伏している分には学校が一番安全だと推理できてしまった訳なのだ。
わざわざ恐ろしい主催者の本陣に立ち入ろうというバカはいないからな」
琢麿呂は、現在置かれた状況を今ひとつ把握しきれていない神楽に、状況をこう説明した。
神楽はそれを黙って聞いていたが、琢麿呂の説明が終了したのを確認すると、
彼女が今最も気になっていることを、おそるおそる口にした。
「あの、病院は……遙さんと藍ちゃんは……」
「倒れた君を発見した時―――病院内から銃声が聞こえた。
争う声と、狂ったような笑い声も」
「銃声!?」
「戦う術を持たん私には、君を助けてやるので手一杯だったのでな。
後ろめたさはあったが、病人には背を向けさせてもらった」
琢麿呂はもちろん、病院で起こった全ての出来事を把握していた。
アインと遙の悲劇的な結末も、藍が自ら単独行動を取ったことも、素敵医師の正体と目的も。
神楽の救助からして、素敵医師とアインが病院から離れたのを確認してから行っていた。
しかし、それを神楽にそのまま伝えては琢麿呂の本性が割れてしまうので、
彼は臆病さと後悔の念を演出することで、この問題を逃れることに決めていた。
「済まない。私に勇気があれば……」
「いえ、琢麿呂さんは悪くありません。
責められるべきは私です。
私が油断をしたばかりに、相手を見極められなかったばかりに、病院は……
守ると、約束したのに……」
「…その2人が上手く逃げているようにと祈ってやろう」
「……」
自省に重く沈み込む神楽。
「ところで……いつまでそんな格好をしているつもりだ?
ぱんつが見えているぞ」
長く続くと思われた沈黙は、琢麿呂によってすぐに破られた。
「え、」
神楽は自分の格好を慌てて確認する。
ベッドの上に残った左脚の影響で、パジャマのズボンが太腿までずり落ちていた。
雪の様に白い神楽の肌が、かあっと真っ赤に染まる。
「え、あの、いやです、そんな、その、…見ないで下さい」
「…もしかして、動けないのか?」
「お恥ずかしながら、そうなんです……
意識を集中しようとしても眩暈がするので、治癒術も使えなくて……」
「そうか」
申し訳なさそうに目を伏せる神楽に手を伸ばした琢麿呂は、ふわりと彼女を抱き上げた。
途端、神楽は昼過ぎの「許してちょんまげ」なるワイセツ行為を思い出し、身を硬くする。
「な、何をなさるのですかっ!!」
「……ベッドに寝かせてやるだけだが」
「え、あ、そ、そうですよね… ありがとうございます」
性的なことに全く免疫の無い神楽は、琢麿呂に抱き上げられたことで、
平衡感覚失調を起こしている内耳異常に、頭と心をグルグルさせてしまう。
ぽふりとベッドに寝かされて、琢麿呂の手が離れても、グルグルとドキドキは止まらない。
彼女は恥ずかしさの余り頭までスッポリと布団を被ると、
なだらかでつつましい胸に手をあて、脈打つ鼓動を鎮めようとする。
―――そこで偶然、気付く。
胸ポケットにしまっておいたはずの大切な物が無くなっている事に。
神楽は布団を跳ね除けると、激しい眩暈に意識が遠くなりかけるのをこらえ、
先ほどまで自分が落ちていた床下を覗き込む。
しかし、そこには彼女が無くした物は落ちていなかった。
「…どうしたのだ?」
「スイッチが……他爆装置のスイッチが、無いのです」
「他爆装置?」
神楽は首をひねっている琢麿呂に、他爆装置と、それを嵌めた紳一と真人について説明する。
「なるほど。死なないためにはお互い守り合わなくてはいけないわけだな。
それは厳しいお仕置きだな。
君も可愛い顔をしてなかなかやるではないか」
「それが… スイッチは入れていないのです」
「……ほう」
「私はお2人に冷静に戻って頂きたかったから、協力の素晴らしさを知って頂きたかったから、
つい、差し出がましい真似をしてしまいましたが……
尊い命を奪ってしまうかもしれない賭けまでは出来ませんので」
「ふむ。まあ君の性格からすると、そうだろうな」
「ああ、私は何と言うことを……
あれを拾った誰かが、誤ってスイッチを入れてしまったら……」
神楽は顔面蒼白になってうろたえる。
琢麿呂はそんな彼女の頭にぽんと手を置くと、力強く頷いて見せた。
「よし。
それではこの私が、そのスイッチとやらを探してやろうではないか」
「琢麿呂さん……」
「むぅ、しかし…
考えてみれば、君を一人で放っておいてしまうことになるか…
身動きすらままならないと言うのに」
「私のことは大丈夫です。
たぶん、暫く安静にしていたら動けるようになるでしょう。
私は、普通の人間とは違いますから」
力弱い笑みで、琢麿呂を促す。
「琢麿呂さん、ですからどうか、お願いいたします」
「むう。君は健気で優しい子だな。
わかった。装置の捜索と回収は、この名探偵・琢麿呂様に任せるといい。
それでは、形状と大きさを教えるのだ」
神楽から必要な情報を聞き出し、琢麿呂は颯爽と保健室を後にする。
と、にゅうと顔だけ出して、
「ついでに病院の様子も見てきてやる。
君もあまり自分を責めるな。ポジティヴシンキングだ。
遙ちゃんも藍とか言う子も、きっと逃げ延びている。
そう信じておけ」
それだけ告げると、琢麿呂は今度こそ保健室を後にした。
神楽は琢麿呂の言葉で、少しだけ、心が軽くなったような気がした。
(同日 16:30)
琢麿呂は保健室から出たあと外へは出ずに、離れた位置にある教室に入り、腰を降ろしていた。
口では調子のいいことを言っていたが、この男に人助けをする気などサラサラ無い。
神楽を助けたのも、「薬箱」としての彼女の能力を利用・独占するためでしかなかった。
そんな彼にとって今の神楽は使えないお荷物でしかなかったが、
回復の見込みがありそうだったので、懐のCOLT.45の使用は見送っていた。
「…なるほどな。他爆装置のスイッチというわけか」
彼は己のデイバックの中から鈍く光る小さな機械を取り出し、確かめる。
その機械こそ、先ほどの話題に上ったスイッチだった。
琢麿呂は神楽救出の折に、彼女の所持品チェックを行っており、
この妖しげな装置に探偵の嗅覚が反応したので、こっそりと失敬していたのだ。
「確か指輪をつけられたという紳一と真人は、昼頃15番の女に犯されていた奴らだ。
アホらしいのでその後あいつらは無視して来たが……
今どうしているのか、ひとつ盗聴してやろうじゃないか」
彼はそうひとりごちつつ、盗聴器の「20」と刻まれたボタンを押す。
【13番 海原琢麿呂】
【現在位置:学校1F・教室】
【所持武器:他爆装置のスイッチを取得】
【22番 紫堂神楽】
【現在位置:学校1F・保健室】
【能力制限:平衡感覚失調につき移動不可、治癒術使用不可】