097 戦うこと、殺すこと、生き延びること。その全てを適切にこなす方法を、私は知っている。でも、人を守る方法なんて、マスターは教えてくれなかった。

097 戦うこと、殺すこと、生き延びること。
その全てを適切にこなす方法を、私は知っている。
でも、人を守る方法なんて、
マスターは教えてくれなかった。


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(13:30)

体内遺留弾が、絶えず内臓を刺激する。
左脇腹。
位置的には大腸か腎臓のあたり。
振動のたびに感じる鈍い痛みが、そのどちらかとの接触を告げている。

内臓の破壊も心配だけれど、最も憂慮すべきは失血ね。
この全身の気怠さ、身の重さから判断すると、出血量は優に1000ml以上。
比して、私の体重はおおよそ42kg。
単純計算で2400mlの出血が命のボーダーラインになるわ。

それに加え、雨が標的の足跡や血痕を洗い流してしまったこと。
視力が著しく低下していること。
いくら標的が戦いの素人とはいえ、これらの理由から追跡の長期化は避け得ないから……
だから私は、病院に戻ってきた。
長期の追跡にも耐えられる体に戻すために。

 「神楽……どこ……?」

まず、体内遺留弾を神楽に摘出させないといけないわ。
あの子の思考パターンは驚く程に単純で、まぬけな程に善良よ。
私が「心を入れ変えた」演技をして、涙の一つも演出すれば、治療を拒めないはず。
輸血はそれからね。

 「アインさん、お帰りなさい」

病院の奥から、意外にも遙の声が聞こえた。
遙もあの惨劇の只中にいたのだし、それからあまり時間も経っていない。
だから私は、目覚めた遙は寝込んでいるだろうと予想していた。
ところが実際の彼女は、普段と変わらない調子で挨拶をしてくる。
思った以上にタフな精神力があるということかしら。

 「ただいま、遙」

近づいてくる遙から、清潔な石鹸の匂いが漂ってくる。
遙の髪は適度に湿り気を帯びていて、血色がとてもいい。
おそらく、シャワールームから出てきたところね。
よかった。
血と、死の臭いは消えたのね。
そういう世界は、あなたにはふさわしくないから。
太陽の下、変わらぬ平和な日常の中で、ささやかな幸せに身を浸せるのがあなた。
戦いは、私のような汚れた人間に任せておけばいいわ。


 「えと、お疲れ様でした。お茶を淹れましょうか?」

遙が私に歩み寄りながら、そう聞いてくる。
その時、微かに―――異臭。
この臭いは、腐敗臭?
それが、石鹸の匂いに混じって、遙を包んでいる……?

違和感。
戦いの最中に、襲撃の直前に、生と死の狭間に感じる感覚が膨れ上がる。
それは私の生命の危険を告げる、予兆。
どうして?
それが今、遙から感じられたの?

目線―――
常に俯き加減に、目線を逸らして話す遙が、私の目を真っ直ぐ見ている。
それがおかしい。
血色―――
腕、うなじ、頬はバラ色に染まっているのに、額だけ青白い。
それがおかしい。
声の響き―――
死の影から鬱に入っている印象を受けない。
かといって、躁に転じて興奮覚めやらぬ、というわけでもない。
心がとても落ち着いている印象を受ける、普通の声。
それがおかしい。

観察すればするほど、遙には遙らしくない、あるいは人としてどこかおかしい、
そんな点が見えてくるわね。
遙の背後にはまず間違いなく、第三者がいるわ。
とすると……
少しカマをかけてみるべきね。

 「遙。神楽がどこにいるかわかるかしら?」
 「えと、あの、外でエーリヒさんと星川さんのお墓を作ってると思います……」
 「そう」

私はあえて遙に背を向け、病院外に出る動きを見せる。
意識を背中に集中させて。
直後、背中に腕が伸びてくる気配。
―――やはり、ね。

トッ。

振り返りざまに遙の首筋、その急所に手刀を浴びせる。
もちろん、殺さない程度に力は抜いて。
 「え?」
注射器を握った腕を私のほうに伸ばしたまま、遙は崩れ落ちた。


遙の体を観察する。
その二の腕、内肘の少し上に、赤く不自然に腫れあがった部位を発見。
注射痕。
おそらく、遙は薬物投与された上で、催眠もしくは洗脳術をかけられたのね。
どの程度の薬物を与えられたのかは専門家ではない私にはわからないけれど、
先ほどの会話からは遙の自我らしきものは感じたから、人格崩壊には至っていないはず。
私がここから離れてから3時間と経っていないことから考えて、投与回数は1回〜2回。
大丈夫。
今ならまだ、元に戻せる。
短い悪夢で済ませられるわ。

それにしても、このやり口はまるで……
 「サイスのような…」
ふと、口を突く名前。
かつて私がマスターと呼んでいた男。
薬物投与とマインド・コントロールは、彼の常套手段だったわ。
―――だとしたら。
敵がサイスのような特性を持った人間だとしたら。
今この瞬間も、おそらく遙と私の様子を伺っている。
自分が弄した策の、結末を見届けるために。

臭覚に意識を集中して、遙の匂いを嗅ぐ。
遙から微かに感じられた腐敗臭は、敵から移ったと考えられるわ。
これは、敵の所在や痕跡を発見する上で重要なヒントになる。
……これで臭いは覚えたわ。

 「……狩り出しの開始ね」

立膝で抱きかかえていた遙をソファに寝せる。
SPAS12のセイフティロックを解除し、マニュアルモードに固定。
そして、私は遙に背を向け、病院の奥に向き直る。

―――それが、痛恨のミスだった。

 「あ、あの。…隙アリ、です」

遙の済まなそうな声と共に、足首に軽い痛み。
いつのまにか伸びていた腕が、注射針を突き刺していた。
―――危険。
私はその腕を取り、肘関節を逆手に拉いで、体重をかけ床へと落とす。
あ、
ダメ、
これ、
遙の腕なのに。

バキ。


……やってしまったわ。
訓練のせいで、身に危険が迫ると反射的に防衛してしまう。
相手は遙だと解っていたのに。

 「遙、大丈夫?」
 「やっぱりアインさんは強いなぁ……
  ほら見てください。腕、折れちゃいましたよ?
  ぶらーん、ぶらーん、って……なんだか笑っちゃいますよね」
 「痛みは……無いの?」
 「えと、ご心配なく。 今のわたし、痛覚が麻痺しているので」

……迂闊だったわ。
遙は落ちてなんていなかった。
相手が薬物使いなら、急所をリンパや毛細血管の膨張で閉ざすことも可能…ということね。

 「テストしてください」

テスト…?
その発言の意図、内容ともに不明。
さらにワナを仕掛けているとも考えられるけれど…

 「あの、アインさん、言ってたましたよね。
  『力ある者は取り込み、ない者は―――捨て置く』って」

確かにそう言ったわ。
でも、それはあなたを守る為で……

 「わたし、戦う力とか知恵とか無い普通のおんなのこだから……
  病院に捨て置かれてるんですよね?」

サイスが言っていたわ。
『催眠にしろ洗脳にしろ、術がかかるには受け手の心に隙間が必要になる。
 欲望、悔恨、コンプレックス……
 渇望という名の淵が深ければ深いほど、暗示もより深くかかるのだよ』

 「わたし、いやなんです。
  お荷物になったり、腫れ物扱いされるのは。
  だから、アインさん、わたしをテストしてください」

つまり、私が遙を追い込んだ……?

 「わたし、頑張ってアインさんと戦います。
  戦って、アインさんを殺してみせます。
  それが出来たら―――
  わたしのこと、仲間だって認めてくれますよね?」

遙、あなた……なんて健気で、悲しい渇望を持っていたの。
私はあなたがとても繊細で、感受性が強いひとだって解っていたわ。
でも、本当に感受性が強いと、そんな風に感じてしまうなんて
……私には解らなかった。
だとしたら、痛恨のミスは遙に背を向けたことではなく、遙を病院に残してしまったこと?
遙に、孤独感を抱かせてしまったこと?

 「あ、あの、アインさん。どうしてさっきから黙ってるんですか?」

―――駄目。
今は心を使っては駄目よ。
感傷は判断を狂わせる。
使うのは、頭脳と体だけにしなさい、アイン。


まず、遙から距離を措かなくては。
予想外の事態に直面し判断が即座に下せないときには、撤退が基本だもの。

がくん。

―――え?

足が……動かない!?
さっきの注射、局部麻酔だったと言うわけね。
だとしたら、
さっきまでの会話は……悲しい訴えは、麻酔が回るまでの時間稼ぎ?
どこまでが真実?
どこまでが演技?

……また、私の心が動いているわ。
駄目、だから、考えては駄目よ、アイン。
ここはもう、戦場なのよ。

 「わたし、それだけアインさんを戦いに集中させているんですか?
  それってわたしが頑張れてるって事ですよね?
  嬉しいな」

にっこり。
柔らかく儚く、照れと憂いを同時に内包した笑み。
やめて、遙。
今、その笑顔を私に向けないで。

―――でも。
遙はその眩しい表情のまま、研ぎ澄まされたメスを懐から取り出した。

 「えと、あの。
  それじゃ、いきますね」



            【現在位置:病院・待合室】

            【遙】
            【スタンス:アイン殺害】
            【能力制限:筋力を限界まで使用可能、感覚鋭敏、痛覚麻痺、急所無効】
                   薬が切れると酷使した神経・筋肉に揺り返しあり
                   右腕骨折】

            【アイン】
            【能力制限:右目視力低下、大量失血、体内遺留弾:脇腹×1
                   右足の筋弛緩で歩行不可】




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