182 秘密
182 秘密
前の話へ<< 150話〜199話へ >>次の話へ
下へ 第六回放送までへ
(第二日目 AM08:30)
彼らはようやく火の手が収まり、焦げた匂いを漂わせてくる森を南に迂回する道を選んだ。
「ねぇ、これからどうしようか、おにーちゃん?」
考え事をしていたアズライトはしおりの呼びかけに我に返った。
目をやると、しおりは眉を寄せ頬を赤くしている。どうやら怒っているらしい。
「おにーちゃん、さっきからず〜っと、レティシアさんのこと考えてるでしょう?」
「え、そんなことないよ。これから――そうだね、とりあえずは鬼作さんを探して…、
学校へ行って、鬼作さんの仲間の人に助けてもらうっていうのがいいと思う…けど…。あの、聞いてる、しおり?」
しおりは無言なまま寂しそうな目でアズライトのほうを見ている。
「しおり?」
「え、う、うん。聞いてたよ、学校でしょ?」
言ったきり、しおりは神妙な顔をして黙り込んでしまう。
アズライトも引きずられるように口を閉ざしてしまう。二人の間に奇妙な沈黙が横たわる。
とっさにごまかしたものの――そして、到底ごませたとは思えないが――
しおりの言ったとおりアズライトはレティシアのことを考えていた。
無意識のうちに、あるゆる所作の、あらゆる日常の隙間から染み込んでくる。
アズライトにとってレティシアとはそういう人であった。
意識しなくとも、いつでも彼は彼女のことを考えていた。
アズライトは様子を見るようにちらりと隣を歩く少女に視線を送った。
しおりは軽くため息をついて、首を横に振っていた。そして、しょんぼりと肩を落とす。
しおりとつないでいるアズライトの手は先ほどから痛いくらいに握られていて、彼女の手の爪は白くなっている。
「おにーちゃん……わたし…」
立ち止まり、うつむくしおり。
「わたし……」
つながれた手がかすかに震えている。
かける言葉が見つからず、アズライトは足を止めて、あとに続く彼女の言葉を待つ。
悲しそうな彼女を見て、ただそっと手を握り返して待っている。木の焦げた匂いが鼻についた。
「ア〜ズ〜や〜ん!!」
そのとき、しおりの言葉をさえぎるようにして、向こうから叫びながら走る人影が現れた。
ぶんぶんと嬉しそうに手を振りながら、
情けない声をあげて走ってくる薄汚れたジャージに、毒々しいくらいに黄色い手ぬぐいをかけた男。
「あ、鬼作さん」
「ずいぶんとぉ…ハァハァ……探し、ましたよぉ・・・ハァハァ」
鬼作は二人の前まできてへたり込むと大きく息を吸った。
「あの、すみません、鬼作さん、僕、勝手に…」
「ごめんなさい、おじさん」
膝の上に両手をついて呼吸を整える鬼作に二人はそろって頭を下げる。
「おじっ…いえいえ…ハァ…、しおりさんとは…ハァハァ、
合流できたんでございますね…ハァハァ、それは、ようございました」
「あの、大丈夫ですか?」とアズライトが顔を覗き込む。
「ハァハァ…、なんの、これしき…大丈夫でございますよ」
「ぜんぜん大丈夫そうじゃないですよね?」
背伸びをしたしおりがおかしそうにアズライトに耳打ちする、アズライトも苦笑いを浮かべる。
鬼作は何事か楽しそうに話をする二人を怪訝な顔をすると、気を取り直すように明るい調子で言った。
「ささ、私めはもう大丈夫でございます。先を急ぎませんと」
鬼作に促されて、三人はふたたび歩き出した。
あの時二人を照らした太陽が今度は大地に三つの短い影を作る。
命綱である二人に合流できたことで安堵した鬼作は長々とした安堵の息を吐く。
手をつないで歩いていられるだけで嬉しいのか、しおりはニコニコと笑っている。
右手に広がる草原の向こうには磯が広がり、その向こうには青い海が静かに凪いでいる。
海は青、空も青、雲は白、果てなく続く草原は緑色。あたりまえの光景がどこまでも広がっている。
三人は三人それぞれの考えを抱いて夏草を渡る。
朝の涼しい風が彼らの肌をなぶって抜けていく。
「合流したばかりですが、お二人はこれからどうするおつもりだったのでしょうか?」
肩にかけたズックの紐の位置を直しながら鬼作が尋ねると、
アズライトは先ほどしおりに言ったこととまったく同じ内容をもう一度繰り返した。
「ふむ、そうでございますな。おそらく、それがよろしいでしょうな。
ただ、そうしますと、もしこれから向かいます学校にあいつらがいた場合はいかがいたしましょう?」
「あいつら?」としおりがオウム返しにたずねる。
「主催者たち、とでも申しましょうか。あの時あの場所にいた五人のことでございます」
得心したのか頷くとしおりはアズライトのほうを見た。
その目は「どうするの?」と聞いているようだった。
「そのときは、僕が…戦います」
「あぁん?」
きっぱりとしたアズライトの言葉によほど驚いたのか、
鬼作は理解できないものを見るような顔でアズライトを見る。
「ですが、戦いは出来るだけ避けたいのではなかったのですか、アズライトさん?」
鬼作は一瞬崩れかけたポーカーフェイスを繕いながら、慎重に言葉を選んでたずねる。
「はい、たしかに僕は戦うのは嫌でした。誰も傷つけずに助かることが出来ればいいと思っていました。けど…」
「けど?」と言葉尻を拾う鬼作。
「戦うことでしか守れないものがあるのなら、僕は戦います」
しおりにやさしく微笑んで、アズライトはそう言いきった。
「おにーちゃん!」
ぱっと顔を輝かせると、しおりはアズライトに抱きついた。
「なんとすばらしい、まさに男子の鑑でございますな」
「そんな、僕なんて……」
「いやいやいや、何かを守るために戦う。
口にするのは簡単ではございますが、実践するとなるとなかなか難しいものでございます
敬すべき兄の命すら守ることの出来なかった私には、それだけの力のあるアズライトさんがうらやましい」
自嘲気味に笑う遺作を見て、忘れかけていた罪悪感が、アズライトの胸をチクリと刺した。
「おにーちゃん?」
しおりが心配そうにアズライトのほうを見上げている。
アズライトは少し疲れたような笑い顔を見せた。
遠くに村落が見えてきた。
「そうだ、しおり。さっき、何か言いかけてたよね?」
誰もいない廃村に敷かれた石の上を歩きながら、アズライトは思い出したように口を開いた。
「え?」
「ほら、鬼作さんと合流する前に…」
「あ、ああ。あれね…、あれはぁ…」
「何のことでございますか?」
「なななな、何でもない、何でもないの、ねぇ、おにーちゃん?」
「え、あ、うん。何でもないです」
しおりの剣幕におされてアズライトは思わず頷く。
「二人だけの秘密というわけですか。よろしいですなぁ、お若い方は…」
しみじみとつぶやく鬼作は、
アズライトがデアボリカで自分の何倍もの歳を経ているということを失念しているらしい。
お邪魔してはいけませんな、といって少し離れて歩く。
アズライトがすまなそうに頭を下げると、遺作は笑って答え、見えないよう顔をそむけてから舌打ちした。
「あのね、おにーちゃん」
「うん」
「あの、恥ずかしいから…今は言えないけれど、きっと、いつか、ちゃ〜んとお話しますから…」
「うん、待ってる」
肩をたたいて安心させようかと思ったが、一本しかない手はずっとしおりとつながれたままになっている。
アズライトは小さな暖かい手を、優しく握った。
「それまでは、二人だけの秘密だね?」とアズライトは女の子のように小首をかしげる。
「あ……、はい!」
しおりは嬉しそうに笑って手を握りかえした。
民家がまばらになり、村を端から端まで貫く大きな道は、もうまもなく途切れようとしていた。