183 暗がりに光るもの

183 暗がりに光るもの


前の話へ<< 150話〜199話へ >>次の話へ 下へ 第六回放送までへ




(第二日目 AM09:00)

「あの時は気づきませんでしたが、これはなかなかの年代ものですなぁ」
最後尾を歩く鬼作が、あたりに首をめぐらしながら場違いに間延びした声をあげた。
人影のない廃村を抜けたあとほどなくして見えてきた暗い校舎の中をアズライト達は歩いていた。
入り口のいくつかをのぞけば、窓という窓には目張りが施されており、
日の光が届かぬようになった廊下の暗がりにぼんやりと浮かぶ木の柱や壁は所々ひどく傷んでささくれていた。
教室と廊下とをへだてる窓枠に残された申し訳程度にガラスの隙間には
黒と黄の段だら模様も不吉な蜘蛛が大きな巣を張っているのが見える。
「ここにはもう誰もいないのかな?」
アズライトは前を見たままで、誰に言うともなしにこぼす。
「やだ、変なこと言わないで、おにーちゃん」と言ってしおりがぴたりと寄り添ってくる。
アズライトはその声を久しぶりに聞いた気がした。
暗がりを恐れているのか、校舎に入ってからの口数はずいぶんと減っていた。
ごめんと謝りながら、アズライトは廊下の暗闇に耳を済ませてみる。
長々と続く廊下の向こうにはやはり誰もいないのか、何の音も聞こえてこない。
鬼作の懸念は杞憂に終わったようだ。
「ねぇ、おにーちゃん。わたしたち、帰れるのかな?」
ポツリとこぼれでた言葉がじんわりとアズライトの中に染み込んでいく
しおりは、わたしたち、の部分に微妙なアクセントをつけていた。
「帰れるよ、きっと。どうしてそんなことを聞くの?」
アズライトはわけがわからず、目をしばたたかせる。
「うん」といったきり何も言わず、しおりは自分のつま先を見つめて歩く。
しおりの言葉を反芻しながら、アズライトはもう一度「どうして?」とたずねた。
静かな校舎に床のきしむ音が残響する。
「だって、わたしがいたところには、おにーちゃんみたいな人はいなかったんです」


「僕みたいな人?」
しおりの言いたいことをつかみかねてしおりのほうを見ると、それまでうつむいていた彼女と目が合った。
彼女のしっとりとした目は、自分で答えを見つけてほしいといっているように見えた。
彼女の言わんとするところを捕らえようと頭を働かせながら、
アズライトはつい数時間前にもこういう光景があったなと軽い既視感を覚える。
続く沈黙に、目を閉じたしおりはふたたび歩き出し、
「デアボリカ」とだけ言った。
アズライトの視界がぐらぐらとゆれた。
小さな、けれども、はっきりとした声だった。
彼女はこう言ったのだ、「わたしの世界にデアボリカはいない」と。
アズライトの視界はまだゆれている。
レティシアのところへ帰る。アズライトはただそれだけを考えていた。
しおりは違う。デアボリカであるアズライトにはそれが痛いほどわかる。
凶となったしおりはアズライトともにあることだけを考えていたはずだ。
「それ…は……」
「それは?」
振り向かず、間を置かず、今度はしおりが繰り返す。それは別離を意味する。
アズライトは言いよどんだ。もとより答えられるはずなどない。
帰えることが出来たところで同じ世界に帰ることが出来る確証などどこにもない。
が、それを言ってしまうのはあまりに残酷で、あまりに無責任なことに思えた。
しおりは答えを待っている。答うべきアズライトは答えを持っていない。
うなだれる彼には薄暗い闇がありがたかった。闇はいつでも多くのものを覆い隠してくれる。
「しおり、僕は…」
「ウ〜ソ!!」
「え?」
「ウソです。ウソ、いまの冗談です。えへへ、本気にしちゃいましたか、おにーちゃん?」
振り向いたしおりは楽しそうで、先ほどまでの暗い調子は微塵も見せない。
「あたしとおにーちゃんは、うんめーの赤い糸で結ばれてるの。
だからぁ、ずっと、ず〜っと、一緒。でしょ、ね?」
手のひらを口に当て、しおりはころころと笑う声が聞こえる。
アズライトが立っているところからはしおりの表情は窺えない。
ただ目張りの隙間からこぼれてくる光が彼女の頬を伝うものをかすかに照らしていた。



前の話へ 投下順で読む:上へ 次の話へ
183 暗がりに光るもの
時系列順で読む
185 まひると紗霧サン

前の登場話へ
登場キャラ
次の 登場話へ
182 秘密
アズライト
184 Menschliches, Allzumenschliches
しおり
伊頭鬼作