145 月下復讐譚
145 月下復讐譚
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(19:00)
中天に凛とした満月。
その青い明りの下、路上に伸びる影が2つ。
彼らの影は病院に程近い路上で交錯した。
先に相手の存在に気付いたのは真人だった。
彼の目線の先、十メートル程先をこちらに向かって歩いてくる、
パジャマらしき衣服を着用している、セミロングの小柄な少女。
その足取りはどこか覚束ないものがある。
手足となる下僕を探していた彼の目に、そんな彼女は絶好の相手と映った。
道路脇の樹木の陰に身を潜め、彼女の通過を待つ。
ぱた、ぱた、ぱた。徐々に近づくスリッパの音。
それが近づき…… 通過する。
真人はその背後から無言で跳躍する。
風を切る音が見るものの耳に届く程の鋭い飛び蹴り。
伸びた爪先が少女の胸元に吸い込まれるように伸びてゆく。
対する少女は、その風を切る音で襲撃者の存在に気付いたものの、
回避するほどの余裕は無く、両腕の防御とスウェーで
なんとかクリーンヒットだけは免れる。
「!!」
彼は空手の全国大会出場経験者であり、攻撃は完全な闇討ちだ。
真人は自分の蹴りが防御されたことに驚く。
だが、その驚くべき少女の口から紡ぎだされた言葉は、彼をそれ以上に驚愕させた。
「私に戦う意思はありません。
死の恐怖に負けて人を傷付けるのは愚かなことです。
話し合いをしましょう」
真人にとって聞き覚えの有る、いや、忘れ様の無いフレーズ。
「……神楽」
「神条さん!?」
いきなりの最終目的の登場に身を翻えしかける真人だったが、、
胸に取り付けた虫型のブリーチの僅かな重みが、その弱気を断ち切った。
(ここで会ったのは天命…… いや、紳一の導きってヤツだ。
やってやる、今、この場で!!)
真人は立ち止まり、振り返り、神楽に話し掛ける。
「この島で一昼夜過ごし、数々の死に触れてもなお、お前は変わらないのか」
「正しいことというものは、普遍ですから」
「素晴らしい回答だ。それでこそ神楽。
復讐相手として申し分ない」
「復讐? 昨晩も申しましたが、私は妹さんのことは知りませんと……」
「違う。俺たちの復讐だ。
他爆装置などというたわ言で俺たちは縛られ、
その呪縛のせいで辱めを受け、誇りを失い、弄ばれ、虚仮にされ……
俺は深手を負い、紳一は、命まで失った。
その、無念の復讐だ」
真人は忌々しげに吐き捨てると、正面から神楽を睨めつける。
「それなのにっ……」
「 な ん で 巫 女 服 を 着 て な い ん だ ! ! 」
「え……?」
「あいつは大好きだったのに。
純潔の象徴、神聖にして侵されざるシンボル……
そこに凝縮された処女性がっっ!!」
真人は吠えた。
涙すら流し、失望と怒りと神楽にぶつけた。
「ええと、あの、深呼吸でもして、落ち着かれた方が」
「まさかお前…… すでに非処女、ってことは無いよな?」
「そ、そういうことはみだりに人前で口にしてはいけません!!」
うなじまで真っ赤に染めて狼狽する神楽。
真人はその様子を見て機嫌を治す。
「その慌てぶりならまあ、処女だろうな。
それならなんとか、あいつへの手向けになる」
そこでまた、目を吊り上げて狂気の絶叫。
「お前の顔をバキ殴ってっっ!!
お前の膜をビリ破ってっっ!!
壊してやる、全部っっ!!
心も!! 体も!! 尊厳もっっ!!」
真人はネコ科の猛獣の如く神楽に飛び掛る。
まず肘。
次に拳。
神楽はその軌道を冷静に見極め、小さな動きで回避する。
その動きは彼女本来の動きに比べれば精彩を欠く。
だが、真人のようなそこそこ強い一般人相手と互角に戦えるレベルまで
彼女の三半規管は回復していた。
「随分と錯乱されているようですね。
手荒なことはしたくなかったのですが……」
神楽はため息を一つ落とし、そこで呼吸を止め。
真人が放ってきた踵落としを躱しざまに、彼の制服の詰襟に向かって手を伸ばす。
掴み、引き、絞め、落とす。
彼女の頭の中にはこの後数秒の出来事が完璧にシミュレートできていた。
できていたはずだった。
しかし、伸ばした指先に、詰襟は無かった。
神楽に驚愕が走る。
ありえないと、その瞳が揺れる。
かかと落としに失敗し、片足で酔いどれ千鳥の如くよろけていたというのに、
体勢を立て直すことなく、上半身を反らすとは。
反らしてなお、転倒しないとは。
いったい何という体捌きか。
それ以上に驚いているのは真人本人だった。
彼は神楽が踵を躱し、踏み出してきたときに終わったと思っていたが、
その刹那、上半身が重力に引かれるかのように、自然に背後へと反ったのだ。
しかも、体のバランスは崩れない。
空を切った神楽の右手に、上から真人の肘が襲い掛かり、関節部にヒットする。
「うっ」
神楽は顔をしかめつつもすかさず左手を伸ばし、真人の袖を掴みに掛かるが、
この左手も、真人の手首の不可解な動きに成す術も無く回避される。
「勝てる!! 勝てるぞ!!」
真人はこの時点で復讐の完遂を確信した。
その後の神楽の空回りっぷりは悲しいほど滑稽だった。
襟を取ろうと伸ばした手が弾かれ、袖を取ろうと回した指先が躱され、
懐に潜り込もうと進めた足が捌かれる。
そのたびに、真人からの攻撃を数発食らう。
既に真人は素早い変な虫の恩恵に頼っていない。
神楽の「怪我をさせないで、気絶させようという」優しさが、
攻撃手段を「絞め」に限定させ、結果、攻撃を単調なものにしていたからだ。
真人ほどの使い手であれば、軌道の読める攻撃が躱せないわけが無く、
その隙を縫って攻撃を繰り出すことも容易い。
「これで終わりだっ!!」
満身創痍の神楽に向けて、容赦ない正拳が炸裂する。
腰をしっかり降ろし体重を乗せた、教本に写真が載るくらいの綺麗な型で。
顔面に。
その衝撃、威力、言うに及ばず。
みしりと嫌な音を立てて頬骨が陥没し、神楽は仰向けに吹き飛ぶ。
曲がった鼻から鮮血を飛び散らせながら。
「かはっ、かはっ……」
おそらく鼻から逆流しているであろう血液を咳とともに吐き出す神楽。
なんとか立ち上がろうと四肢を動かしているが、先ほどの打撃で
軽い脳震盪を起こしたらしく、態勢を変えることが出来ないでいる。
その様子を真人は満足げに眺めて、呟く。
「紳一、聞こえているか?
この女の処女膜を、今から突き破るぞ。
お前の大好きな苦悶の表情、地獄の底から鑑賞してくれ」
瞳に静かな狂気、口元に歪な笑み。
真人は芋虫の如く蠢く神楽にのしかかる。
「お゙よ゙じにな゙っでぐだざい゙!!」
神楽は反射的に真人の襟に手を伸ばし―――掴んだ。
この瞬間、勝負が決まった。
打撃中心の空手の世界では、地に伏した者は負けた者。
横になっては威力のある攻撃は繰り出せない。
真人は当然の如くそう判断していた。
だが柔術には、地面に伏したとしても、その先がある。
一瞬だった。
人を傷つけないことを是としている彼女の理性を、
純潔を守るという生理的な衝動が振り切ったらしい。
反復練習で体に染み付いた技術が、思考に先んじて神楽の体を動かしていた。
膝が入り。
袖を掴み。
踵が返り。
渾身の巴投げ。
真人の体は夜空に分度器で計ったような弧を描き、
あっという間も無く、受身無しでアスファルトに激突した。
―――後は静寂。
自分で掴みかかっていては、さしもの回避アイテムも発動のしようが無かった。
【現在位置:病院の近く、路上】
【紫堂神楽】
【状態:重症、薬の影響はだいたい半減】
【神条真人】
【状態:重態】