140 悲しいひと

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(18:30)


「……はナ…………まちきょ……」

 森の中、夕闇の向こうから、風に乗って微かな声が聞こえてきた。
 高町恭也はすぐ後ろについて来ている仁村知佳に、立ち止まれとゼスチャーで伝える。
 腰に差した小太刀―――すでに秋穂の形見となってしまったそれ―――を左手で掴み、
 声のした方へと向き直る。
「どうしたの?」
「……誰か居ます」

「ナ…ァー………あ…か」
「ぇ……は……あ……、………な…」
 声は続いている。
 意識を集中した知佳も、その声を聞き取る。
「恭也さん……」
 知佳は小声で男の名を呼ぶ。
 どうするの? 言外にそう伝えている。
 声の主は何者か。
 敵意はあるのか。
 敵だとしたら、強いのか、弱いのか。
 知佳を守りきれるのか。
 恭也はそれらを思案しながら声の主を探る。
 闇に慣れた目に映るものはただ樹木ばかり。
 集中した意識で探ってみても何の気配も無い。
 誰も居ない。
 自分を信じるならば、結論はそうなる。
 しかし、掠れた声は聞こえて続けている。
「が……………は」
「…………ま……」

「近づかないことにしましょう。音を立てないように、静かに歩いてください」
 恭也は知佳にそう囁く。
 知佳を守ることを最優先に考えた末の結論だった。
 知佳はためらいながらも言葉を返す。
「怪我とかして動けない人かも……」
 恭也はすこし考え込み、
「仁村さんは10歩くらい後ろに下がっていてください」
 と、声の反対側を指差して言った。
 知佳が指示通り距離を開ける。
 それを確認して、恭也は声の主に話し掛ける。
「こんばんは。俺たちに戦う意思はありません。
 姿を現してくれませんか?」

「聞こえていなかったのね」

 返事は恭也の後方から返ってきた。
 恭也は反射的に振り返る。
 知佳の真横に、亜麻色の髪をたなびかせた美しい少女が、茫と立っていた。
 自分が声をかける直前まで、声は確かに向こうから聞こえていた。
 気配も全く感じなかった。
 いつ移動したのか全くわからない。
 あの声自体が、巧妙な罠だったのか。
 恭也の頭に衝撃と混乱が走るが、少女の向こうに見える知佳の姿に冷静さを取り戻す。
 小太刀を抜刀。神速の踏み込み。
「待って!!」
 彼の動きを止めたのは知佳だった。

「このお姉さん、悲しいひとだから」

 知佳が続けた言葉は、意味不明だった。
「じゃなくてじゃなくて!! 戦うつもりがないみたいだから」
 自らの発言のおかしさに気付いたのか、知佳は慌てて訂正する。
 謎の少女は恭也の方を向いている。
 武器は持っていない。
 動く様子も無い。
 確かに、戦う意思は見られないと恭也も納得し、小太刀を鞘に収めると
「戦うつもりはないなどと言っておきながら飛び掛るような真似をして、
 本当に申し訳ありませんでした。
 あなたがあまりにも見事に気配を絶って現れたものですから、つい……」
 自らの非を認め謝罪する。
 しかし、少女はまるで聞いていないようだ。
 首を緩慢に後ろに回し知佳の存在を確認すると、恭也の言葉を遮るように
 おもむろに口を開いた。

「警告対象は No.8 高町恭也」
「NO.40 仁村知佳」
「該当する二名は」
「次の放送までに」
「協力関係を解除し」
「単独行動を取りなさい」
「さもないと」
「……死ぬことになる」

 伝えるべきことを伝え終わったらしい。
 少女は現れたときと同じく唐突に姿を消した。

 ひくっ、ひくっ、と知佳の肩が上下する。
 泣いていた。
「どうしたんです仁村さん!!
 あの女になにかされたんですか!?」
「あ、違うの、そうじゃなくて、たぶん、びっくりしただけ…… かな?
 心配かけてごめんね、恭也さん」
「俺がついていながら怖い目に遭わせてしまって…… 本当に……
 俺は、自分が不甲斐ないです……」
 恭也の自省が始まってしまった。

 ……しまった。
 知佳は自分の下手な嘘で恭也を落ち込ませてしまったことに罪悪感を覚える。
 しかし、知佳はこの嘘をつき通さなくてはならない。
 知佳が嘘をついた理由。
 涙の理由。
 先ほどの「悲しい人だから」という頓珍漢な発言の理由。
 それは、知佳が謎の少女―――
 監察官・陶子の心を、計らずも読んでしまったことに起因するからだ。
 読心能力を持っていることは悟られてはいけない。
 恭也には、気味悪がられたくない。
 この人に守られたい。
 この人を守りたい。
 知佳は、そう思っている。

知佳が陶子から読んだものは、心とはいえないかも知れない。
 虚無。
 薄ら寒い、底が見えない空洞。
 思わずその空洞を覗き込んでしまった知佳は、続けて絶望の歴史をも目の当たりにした。

 宇宙船の墜落。
 愛するパートナーの完全なる消滅。
 ひとりきり、永劫に繰り返される転生。
 不滅の定め。
 増殖する人々の思いに押しつぶされ、失われていくパートナーの記憶。
 薄れることの無い自分の愛。
 対象を喪失したままの、愛。

 たかだか100年に満たない時間で生を終え、全ての記憶を失い生まれ変わる、人間。
 そのサイクルは決して悲しいことなどではなく、とても優しいことなのだと
 知佳に悟らせるに十分な心象だった。

 知佳は思う。
 陶子は主催者側の人間だ。
 殺人を強要する邪悪なゲームを管理し、眉一つ動かさない。
 でも、あの人は、悪い人ではない。
 悲しみのあまり感情を封印しているが、人を愛することが出来る人なのだ。
 愛することにひたむき過ぎるのだ。
 ―――愛を知る人に、悪い人など居るはずがない。

(どんなに悲しくても、苦しくても。心を閉ざしちゃダメなんだよ……)

 知佳は闇に溶けるように消えた陶子に届くように、念じた。
 あの記憶が確かならば、陶子は記憶を読むことが出来るのだから。



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