018 機械と人外

018 機械と人外


前の話へ<< 000話〜049話へ >>次の話へ 下へ 第一回放送までへ




千鶴

(やっぱりここでも、一人なのね……)
学校の北東の森を抜け、農道に出たその女性は、腰まで伸びた髪を指先でくるくると弄りながら、
深いため息をついた。

彼女は、とても責任感が強い女だった。
しかし、裏を返せば人に頼るということが出来ない女でもあった。
気立ても良い。器量も良い。良縁が無かったわけでもない。
けれども、家庭では3人の妹たちの母親代わりをしなくてはならないという責任感が、
社会人としてはグループ500人の生活を護らなければならないという責任感が、
自分の幸せを追うことを『無責任』であると位置付けてしまい……
もう31だ。

去年から、彼女は一人で暮らしていた。
かつては確かに暖かな団欒のあった、あの大きな家に一人きりで。
次女は、学生結婚してしまい今では立派な2児の母になった。
四女は、自立することを決意し、彼女の制止を振り切って単身上京してしまった。
そして三女は……従兄の青年の元に嫁いでしまった。
「耕一さん……」
柏木千鶴(No.21)は、三女の夫である従兄の名前を、愛しげに呟いた。
31年の人生の中で、唯一、彼女が愛した男。
しかし、その思いは遥か昔に封印したまま、彼に伝えたことはない。
妹の幸せを願う母心が勝っていたから。
彼を殺そうとした自分に、彼を愛する資格はないと思ったから。


年甲斐も無く涙ぐみそうになり、慌ててそらを見上げると、西の空に丸い月が赤く光っていた。
あの『覚醒夜』、水門の上で見た悲しい月と同じ色の。
「耕一さん。」
もう一度名を呼んだその時

 ぱららららっ!

胸に衝撃を感じた。何度も何度も。
視線を戻すと、10メートル程先に、メイド服を着た少女が見えた。
(迂闊だった…)




(一日目 3:31)

千鶴の体はサブマシンガンから発射される銃弾を全身に受け、奇妙なダンスを踊っていた。
(これだけ撃てば、さすがに死にますよね?)
あとは倒れるだけだ。見るまでもない。
ナミは勝利を確信し、ブラックボックスに報告を開始した。
「ご主人様、ナミは今、一人目を殺しました。
 さっき2人組に逃げられたのは残念でしたけど、サブマシンガンを手に入れることが出来たので、
 エネルギーを温存しながら戦えます。
 結構生存確率が高まりま」
「有無を言わさず……ですか。」
ナミは言葉を失った。
計算上、とっくに死んでいなければならないはずの攻撃対象が、話し掛けてきたのだ。
それどころか、ダメージも軽微なものでしかないように見受けられる。
(????)
「それならば、私も。」
千鶴の目が、真っ赤に光る。爛々と。
空気そのものが緊張しているかのように張りつめてゆく。
「あなたを、殺します。」
 シュ…
言葉と共に千鶴の姿が消えた。


ナミの情報処理機構は、この現象を人工網膜のエラーと判断した。
原因は、さきほど喰らったスタングレネードの後遺症の確立81%だと分析する。(total:0.06秒)
では、今千鶴はどこにいるのか。
サーモセンサで半径20mの温度を瞬時に分析。
それと同時に同範囲の気流の乱れをチェック。(total:0.20秒)
……サーモセンサ、異常なし。
気流の乱れ…… 上空地表に向けて2m程度。(total:0.68秒)
風圧訂正。2.5mに上昇。(total:0.70秒)
風圧訂正。3mに上昇。(total:0.73秒)
(どういうこと?)
この急速な気圧変化を、中枢コンが異常事態と認識。
即座に目視による確認を神経系に要求する。(total:0.92秒)
首を上に向けたナミの目に映ったもの。
それは、満月を背にナミへと向かい落下してくる、千鶴の姿だった。
結論 → 対象は目視レベルでは確認できない速度で跳躍した。
データ変更 → 対象はデータに登録されているどの生物でもない。未知なる脅威である。
この間、1秒。


すぐ頭上に迫る千鶴に、咄嗟にサブマシンガンで応戦しようとしたナミだったが、
 ガイン!!
目の前を凪いだ何かによってマシンガンを砕かれてしまった。粉々に。
その破片と共に、千切れたナミの指も飛ぶ。
目に映る、5本の赤い残照。
「な、なんなのですか、その武器は……
 なんなのですか、あなたは!!」
「私は、鬼です」

静かな声で答えるや否や、千鶴は猛攻撃を開始した。
 ザシュッ!!
袈裟斬りに、左肩から一撃。
 ザシュッ!!
ナミに体勢を整える間を与えず、返す刀で右脇から左肩へ。
ナミの小さな……しかし100kgを越す重量のある体が、宙に浮く。
そこへもう一発。
 ドゥ!!
強烈なショルダータックルを鳩尾に受けたナミは、農道を超え、顔面から水田へ突っ込んだ。
その飛距離、約14m。
どの一撃も、今大会1・2を争う防御力を誇るナミが相手でなければ、致命傷を与えていたであろう。
それほどまでに圧倒的な、鬼の……狩猟者のパワーだった。

ナミの自己保存プログラムは一連の攻撃におけるダメージの算出を、各神経系デバイスに命ずる。
破損個所、確認。
ボディ、肉感性シリコン、断裂多数。アーマー層に亀裂一本。
高速移動用冷却装置、応答せず。
左手、人差し指と中指紛失。神経ケーブルより漏電あり。
自己保存プログラムはメインプログラムに演算結果を返す。
(大丈夫です、まだまだ戦えます。でも……)
先ほどのコンボを成す術も無く喰らったとき、ナミのレンズは身を切り裂く赤い残光の正体を見極めていた。
それは、赤く肥大化した『手』そのもの。
禍々しく伸び、異物に弯曲した5本の『爪』。
(武器を奪って敵を無力化することは不可能です。
 どうすれば……何か方法は……)
ナミは、持てる演算回路を全て起動させ、その解を求めた。


(今、私は完全に押している。
 あの子がリズムを取り戻さないうちに、畳み掛けないと。)
水田でよろよろと立ち上がったナミを見て、千鶴は瞬時にそう判断した。
今度は上空ではなく、前方に向かって跳躍する。
 とぷん。
瞬きする間に水田まで到達。
ナミは防御するでも反撃するでも無く、だらりと左手を下げた。
「さようなら」
必殺の手刀を繰り出す千鶴。
しかし、それより先に、ナミの左手が水面に触れた。
……神経ケーブルが剥き出しになった左手が。

 バリバリバリバリ!!!

千鶴の体全体に、落雷のようなショックが走り。
「!」
悲鳴をあげる間もなく、ばしゃりと前のめりに倒れこむ。
カッと見開いた目に、「さようなら」の「ら」の形に開いたままの口に、容赦なく泥水が沁み込んでくる。
(いったい、何が……)
千鶴には状況が飲み込めなかった。
 ヴイィィィィィ…
甲高くヒステリックに唸る音が千鶴の耳元に迫る。
その音を鳴らしているものが、千鶴の首に触れた。
 ぎゃるぎゃるぎゃるぎゃる……
 ぶぢゅるるるるるる……
振動にあわせて、全身がガクガク揺れる。

(耕一さん……
 私があなたに甘えることが出来ていたなら、違う未来があったのでしょうか……)

高圧感電により肉体感覚が麻痺していることが、千鶴にとってせめてもの慰めだった。




「ご主人様。
 さっきは話の途中でごめんなさいでした。
 改めて報告しますね。
 今、一人目を殺しましたよ。」

ナミは、泥水にぷかぷかと浮かぶ千鶴の生首を眺めながら、
ブラックボックスに向かって報告の続きを始めた。嬉しそうに。


【21 柏木千鶴:死亡 】

―――――――――残り 36



【現在位置:村落から少し北西に離れた農道】
【能力制限:エネルギー切れまで、あと30時間程度(千鶴との戦いで疲弊したため。)】
【能力制限:冷却装置破損のため高速移動不可】
【能力制限:防御力、若干低下】




前の話へ 投下順で読む:上へ 次の話へ
013 お姫様とゴブリン
時系列順で読む
022 守りたいもの、ありますか?

前の登場話へ登場キャラ次の登場話へ
015 協調と崩壊と
なみ
022 守りたいもの、ありますか?
初登場
柏木千鶴
死亡