005 輝ける第三帝国
005 輝ける第三帝国
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こりゃまた、とんでもないことになったのぉ。
魔屈堂は、腕を組んで思索を巡らしていた。
ちらり、と自分の前の男の顔を見る。
生粋のオタクである彼は、当然のごとく熱烈なドイツ軍ファンであった。
目前の静観な顔つきの老人は、
エーリヒ・フォン・レヴィンスキー・ゲナント・フォン・マンシュタイン。
ドイツ軍屈指の電撃作戦の司令官であり、
ハリコフでは「バックハンドブロウ」と呼ばれる芸術的な機動防御で全軍の瓦解を防いだ名元帥である。
ただし、痛いことをずけずけいうという、権力者に煙たがられる人間の典型でもあった。
結局1944年に解任、そのまま終戦と共に連合軍の捕虜となったはずの男だ。
問題は、何でそのような男が、この場にいるかである。
見たところ、齢60過ぎ。記憶が確かなら、第二次世界大戦時の彼の年齢がそのくらいなのだ。
「とんでもない裏がありそうじゃな」
魔屈堂は、そう呟いて、自慢の白髭を撫でた。
見まわせば、まるで中世ファンタジーから出てきたような男がいる。
どこぞの姫君と見紛う扮装の少女がいる。
どこからこれだけの人材を集めてきたというのだろう。
彼は、己の命の前に、そういう細部のディテールにこだわってしまう男であった。
「コスプレさせているわけでは、あるまいな」
それは、確かだった。歴戦のオタクである彼が、まがい物の扮装と真の闘士を見紛うはずがないのである。
だとすれば。
クローン。多次元宇宙。リバーワールド。
ろくでもない妄想が、一瞬のうちに魔屈堂の頭の中を駆け巡った。
自分の番が来る。袋を選んで、建物を出た。袋はズシリと重い。
目の前には、深い森。魔屈堂は、周囲に人の気配がないのを確認すると、ためらわず森の中に踏み込む。
自分がやるべきことが殺し合いなどではないことは、明白だった。
まずは、現在の状況を確認することだ。続いて、全員が生き残る道を探す。
「ほっほっほ、オタクの血が騒ぐわい」
袋の中を確認すると、食料と水と一緒に、何ダースものチョークの箱が入っていた。
黒板に文字を書く、白墨である。ハズレであったが、オタクの自分にとってはこの上もない武器にもなるかもしれない。
魔屈堂はニヤっと笑って、チョークの何本かを懐に収めた。
ひと飛びで、頭上の木の太い枝に飛び乗る。
木の影から影へと機敏に動く、エーリヒを見つけた。
それと同時に、エーリヒの鋭い眼光が、魔屈堂を射抜く。
互いに歴戦の古強者だ。一瞬で相手の力量を察知し、射線を遮る位置に移動する。
「待て、待て。今お主と戦うつもりはない」
木の影に隠れて、魔屈堂はドイツ語で叫んだ。真なるオタクにとって、
英語・ドイツ語の習熟は必須項目である。
エーリヒの答えはない。
「お主の考えが聞きたい。この事態を、お主はどう捉える?」
意外にも、帰ってきた答えは日本語だった。
「少なくとも、貴様が私の為にドイツ語を使う必要はない」
「ぬ……」
一瞬、気をとられる。
次の瞬間には、彼の目の前にエーリヒがいた。
その手には、見たこともない拳銃が握られている。
「どういう、ことじゃ?」
「私と貴様は、明らかに別の言葉をしゃべっているつもりだ。
だが、互いに意志は通じる。そういうことだ」
「………。テレパシー…とはちと違うの」
「難しいことはわからん。正直、殺し合いをする気もない。
私のような老いぼれより、未来ある男女に生きる道を与えるべきだとは思わんか」
魔屈堂に敵意がないことを見抜いたのか、エーリヒは拳銃を懐にしまってそう問いた。
「ワシは、そもそもこの勝負自体に興味がない。この勝負の裏側にある真実にこそ、興味がある」
魔屈堂は、エーリヒの視線を正面から受け止めた。
「エーリヒ・フォン・レヴィンスキー・ゲナント・フォン・マンシュタイン。
偉大なるドイツの英雄よ。ワシに力を貸してはくれんかな」
「それが、栄光あるドイツ軍人にとってもっとも正しい選択であるならば」
「約束しよう。ワシのこの、熱くたぎるオタク魂にかけて」
それが何の保証になるかはまったくわからなかったが、魔屈堂という老人の真摯な瞳に、
エーリヒは深くうなずくのだった。