270 紅蓮の挙句

270 紅蓮の挙句


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〜双葉〜

復讐に必要な条件ってなんだろう?
無念を晴らすってどういうことだろう?
星川が死んでからずっと断続的に、あたしはその事を考えてた。

仇の命を奪うこと?
それはもちろん必要だ。
でも、それだけじゃまだ足りない。

仇を苦しませること?
それは絶対に必要ってわけじゃないけど、あった方がいい。
だから、まだ足りない。

仇に自覚させること?
うん、これは大事。
自分がどうして死ぬのか、誰に殺されるのか。
それを理解させないまま命を奪うだけでは、消化不良もいいとこだ。
星川を殺したからあんたが殺される。因果応報。
それを思い知らせてから、殺す。
よし、あと1つ。

復讐に必要な最後の条件。
それはあいつに星川と同じ無念さを味わわせること。
あいつは死体を前に呆然とする星川を、無防備な背後から襲い、刺した。
卑怯に、無慈悲に。
あたしも死体を前に呆然とするアインを、無防備な背後から襲い、刺してやる。
卑怯に、無慈悲に。


だからあたしはこの状況を作った。
あの病院のあの惨劇を再現するために。
どれほど惨い手段で星川を殺したのかをあいつに思い知らせるために。

あの油断も隙も無いアインを星川みたく呆然とさせる―――
ここが一番悩ましいところだったけど、上手い具合に素敵医師がいた。
アインが唯一、執着しているらしいこいつが。
あの女と交わした言葉はそれほど多くないけれど、目を見ればわかる。
あれは、あたしと同じ目だ。あたしと同じ目で素敵医師を追っていた。
だからこいつを殺した。
殺したい相手を殺されたことに気づけば、あの女もきっと自失するから。

よし、舞台装置は整った。

血で真っ赤な病室が炎で真っ赤な森の中だ。
遙さんと神楽ちゃんが式たちだ。
エーリヒさんの死体が素敵医師の死体だ。
その亡骸を前に呆然と立ち尽くす星川がアインだ。
その無防備な背中を刺したアインがあたしだ。

だからあたしは攻撃に式神を使わない。
兵器化した植物を使わない。
鉄砲だって使わない。

あたしが使うのは―――メス。
この攻撃だけはあたし自身の手で刃物によって行わなければならない。
あたし自身が刺さなくちゃいけない。
それがあたしの選んだ、復讐。



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(二日目 PM6:26 F−5地点 東の森・双葉の道)

素敵医師の上半身しかない遺体の喉首にアイン必殺の包丁が鋭く突き込まれた。
投げ出された遺体の勢いはその刺突で幾分削がれたものの、
四肢に力の入らないアインは力負けをし、包丁を手放してしまう。
仰向けに地面へ叩きつけられる素敵医師。
アインの目が足元に落ちた彼を追い―――
2歩、3歩。
後ろへとよろめいた。

そのアインの背に、炎の中から飛び出した朽木双葉が衝突した。
手には医療用のメス。
それを、彼女は突き込んだ。
双葉なりの渾身ではあったが、腰の入っていないぬるい刺突だった。
故に刃先はアインの肋骨に刃を留め、勢い余った双葉の柔い掌を
深く切りつけてしまう。
しかし双葉は、意に介さない。
刃を握りこんだままアインにぴったりと身を寄せると、
吐息で耳朶を愛撫するかの如く、艶かしく濡れた声で募る思いを吐き出した。
怒りと恨みと憎しみがたっぷり篭ったぐちゃぐちゃでどろどろの呪詛を。

「――――いきなり後ろから刺される気持ちはどう?
 星川もね、あんたにこうやって殺されたのよ?」


たかがメスだ。
この一撃で殺せるなどとは双葉も考えていなかった。
ただ、お前が星川を殺したのだと、
卑怯にもこうして星川を背後から襲ったのだと
アインに伝わりさえすればそれで良かった。
たとえ振り返りざまの一撃で返り討ちにあったとしても、もはや悔いは無い。
彼女が命を失えば、制御を失った木々はたちまちに炎に飲み込まれる。
双葉の道は火葬場と化し、アインの命は必ず奪われる。

復讐は成った。
朽木双葉は緩やかに瞼を閉じる。

(星川、今、あんたのとこ行くからね……)

双葉に達成感はなかった。
満足感も恍惚も無く、嫌悪感も後悔も無かった。
彼女の五体を包み込んでいるのは、開放感。
やっと終わった。
五体に張り詰めていた緊張が解きほぐされていくのを感じた。
今まで蓄積してきた疲労が一気に噴出するのを感じた。
ただ疲れていた。
もう眠りたかった。
その永劫の眠りがアインによって与えられるのを待っていた。

しかし―――
予測していたアインからの反撃がまるで来ない。
そのことが、一度は弛緩したはずの双葉の心と体に再び緊張を与える。

(もしかして…… あたしのメスで死んじゃった?)


双葉の背筋を身震いと共に駆け昇ったのは動揺。
メスの一突きでアインが絶命したとするならば、
状況を再現するという条件については青写真以上の成果を上げたと言える。
逆に。
仇に自覚させるという条件についてはまるで達成できていない事になってしまう。
双葉の呪詛が、アインの耳に届いていない事になる。
完璧なはずの復讐に大きな瑕疵が生じてしまう。

(目を開けて、状況を確認しなくちゃ……
 でも、もし目に入ったのがアインの死体だったら……?
 もう取り返しはつかないのに……)

葛藤が双葉の胸を大きく揺さぶる。
双葉の額に冷や汗が流れる。
その彼女の耳に―――

ざり。
ざり。

音が、聞こえてきた。
双葉がその短い人生の中で、一度たりとも聞いたことの無い音が。
たまらなく不吉な響きを伴った、単調で重厚な音が。

ざり。
ざり。

音の重圧に負けて開いた双葉の瞳に映ったものは、
素敵医師の遺体に馬乗りになり、その首を切断せんと包丁を鋸の如く
挽いている、アインの姿だった。


「なにを……」

アインからはかつての彼女が持っていた機敏さやしなやかさが失われていた。
代わりに得ているのは緩慢さとバランスの悪さ。
これがかつてファントムの2つ名で恐れられた暗殺者の姿なのか?
彼女の過去を知るものが見れば、目を疑うに違いない。
それなのに。それゆえに。
怖気を震うほど、鬼気迫る光景だった。

「煙で目をやられたの? 良く見なさい、アイン。
 あんたが死に物狂いで追いかけてた男はもう死んでるの。上半身しかないの。
 あたしが引き千切って殺してあげたから」

双葉が悪寒を堪え、アインへと告げる。
アインは、無反応だった。
包丁に体重をかけて一心不乱に首を挽いている。

「もう死んでるって言ってるでしょ!!」

双葉は叫びと共にアインを蹴り飛ばす。
アインは腰砕け転がった。
糸の切れた操り人形を思わせる、無様な転がり方だった。
それでも。

ゆらぁり……
炎に不気味な影を揺らしてアインは立ち上がった。
墓場から蘇る屍鬼の如く、緩慢に、鈍重に。
双葉に何の反応も返すことなく、素敵医師の側へ。
そしてまた、首を挽く。ざり。ざり。


ざり。
ざり。

意図せぬ2種類の爆弾の炸裂。
それが閃光弾だけだったら、アインにダメージは無かっただろう。
それがカード型爆弾だけだったら、アインはダメージを軽減できただろう。
2つの要素が、この順番で、そのタイミングで、あの距離で。
全て揃ってしまったが故に―――
長谷川。首。わたし。包丁。
アインはその4つのことだけしか判らないくらい追い込まれた。
アインは「長谷川」や「わたし」の生死も判らないくらい追い込まれた。

ざり。
ざり。

哀れな双葉が膝を折る。
メスを突き込んだ時とは似て非なる、重々しい疲労感が彼女を飲み込む。
もう悟った。
諦めるしかなかった。
自分がどれほどもがいても足掻いても、アインに届くことはないのだと。
視界の端を掠めることすら出来ないのだと。
恋しい。星川。憎い。アイン。
双葉の伸ばした手はそのどちらにも届かなかった。
彼女の望む復讐は、無残にもここに潰えた。


……ごとり。

ついに素敵医師の首が落ちた。
アインはそれを拾い上げると、大切な宝物のようにぎゅっと胸に抱きしめた。
ところがその首の重さすら、既にアインの腕力の許容量を超えていたらしい。
膝立ちの彼女はふらりと後方に倒れてしまった。
その後ろでしゃがみこんでいた双葉の胸に抱かれるように。

「アイン……」

虚ろな目で仇の名を呟く双葉。
返事など期待していたわけではなかった。
倒れこんできたものを無意識下に確認しただけだった。
だが―――
その声にか人肌の感触にか、ともあれ、アインが反応した。

「そこに誰かいるのね……
 聞いてくれるかしら……?
 わたしの話を……」

双葉が息を呑み、魅入られたかの如くアインを見つめる。



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〜アイン〜

ねえ、あなた。運命って信じるかしら?
わたしは信じるわ。
今までのすべてことがこの瞬間のために用意されていたような気がするのだもの。
きっと、わたしが今まで生きてきたのもこの日のためよ。

わたしは人を殺すために生かされていたの。
殺して、殺して、殺して、殺す。
誰かが命じるままに、誰かに与えられるままに。
ただ受け入れてただこなしたの。
受動的に、機械的に。

様々な技術を身につけたわ。
雑多な知識も学んだわ。
全ては人を効率良く、高精度で殺す為に。
誰かが命じるままに、誰かに与えられるままに。
ただ受け入れてただこなしたの。
受動的に、機械的に。

それだけしか無い人生だったわ。

いつだったかしら。
そんなわたしに転機が来て、しがらみから逃げ出したの。
その時から、人を殺すために生かされていたわたしが、
人を殺さなくても生きてゆけるわたしに変わったわ。


それからのわたしの隣にはいつも彼がいたの。
今はもう、上手く彼のことを思い出せないけれど、
表裏一体で運命共同体、命を預けあっていた気がするわ。

だからね。
わたしは振舞ったわ。
彼が望むままに。彼の導くままに。
ただ受け入れてただこなしたの。
受動的に、機械的に。

わたしはそういう人間だったの。
環境が変わっても、立場が変わっても。危険な時でも、平和な時でも。
誰かが指し示す方向にしか進めない人間。
機能だけを磨かれた、ヒトガタの道具。

この首はね。
そんなわたしが初めて、自分が欲しいって思ったものなの。

憎かったような気もする。
愛しかったような気もする。
悲しかったような気もする。
どうしてこれが欲しいと思ったかなんて、もう思い出せないけれど。
それでもね。
わたしはずっとこの首のことを想っていたの。
そのことだけを願っていたの。
欲しい、欲しい、あの首が欲しいって。
これでなくちゃいけない。そんな固執を抱いたのは初めてだったし、
その気持ちを理性で制御できないことも、初めてだったわ。
感情の波に揺さぶられる。眩暈がするほど鮮烈な経験よ。


それをね。
今まで何も望まなかったわたしが望んだたった一つの物をね。
わたしは手に入れたの。

わたしの技術と
わたしの経験と
わたしの知恵を
わたし自身が
わたしの為に働かせて
わたしの為に駆使して
わたしの願いを
わたしが叶えたの

わたしの全てを、わたしだけの為に使って。

だからね、はっきりといえるわ。
わたしの人生は幸せなものだったと―――



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「……ぁぃ…、… ……ぁわ……」

アインの告白は言葉になっていなかった。
既に死しているような怪我を妄執の力によって動かしていたのだ。
その妄執が解決されれば急速に崩れてしまうことは自明だった。

「なによその顔はぁっっ!!」

一度は覇気を失っていた朽木双葉が絶叫する。
アインのうわごとは聞き取れないし、聞き取りたくもない。
なぜならアインは笑みを浮かべているから。
安らかであどけない、幸せそうな顔をしているから。

「笑うな!! そんな満ち足りた顔をするな!!
 こっちを見ろ! あたしを見ろ!」

満ち足りて死ぬ――― そんな身勝手な死に様、許すものか。
なんとか、どうにか、このまま逝かせるのだけは阻止しなくては。
ほんの一筋だけでも、この女の意識にあたしを刻まなくては。

復讐心の燃えかすが憤怒を燃料に再び燃え上がる。
双葉はアインの頬を両手で挟みこみ、自分の顔に引き寄せると、
計算も策略も無く、ただ真っ直ぐに己の胸を内を叩きつけた。

「あたしは双葉!! 朽木双葉っ!!
 星川を、あたしの王子様をあんたが殺したから!!
 あたしがあんたを殺すんだ!!」

激する双葉に気づかぬままに、アインの瞼がゆっくりと閉じられてゆく。


朽木双葉は怒り狂っていた。朽木双葉は嘆き狂っていた。
暴れる2つの狂気が鬩ぎ合い、五体がバラバラになりそうなくらい軋んでいた。

「星川をっっ!! 思い出しなさいっっ!!」

思わず手が出た。平手を見舞った。

「星川っっ!」 唇を噛み締めて平手を見舞った。

「星川っっ!」 血を吐く思いで平手を見舞った。

「星川っっ!」 叫びながら平手を見舞った。

「星川っっ!」 肩をわななかせながら平手を見舞った。

「星川っっっっ!!!!!」

双葉の痛切な叫びを聞き届けたのは、神か、悪魔か。
幽冥の境に旅立ちかけていたアインの意識が呼び戻された。
アインは眩しそうな気怠そうな表情で、一度閉した瞼を開ける。
そして、焦点の合わぬ目で虚空を見つめて、つぶやいた。

「ほし…… かわ……」
「そう、星川!! あんたが奪った!!」

双葉の声が歓喜に震える。
伸ばした手がアインに届いた。その感触に。

「……って……」


「…………………………何だったかしら」


絶句。

誰だったかしらですら無い、それがアインの遺した最後の言葉だった。
アインの瞳から光が消え四肢がだらりと垂れ下がる。

その瞬間、最後の人型式神が崩れ去った。
まるでそのチャンスを待っていたのだといわんばかりの炎が、
双葉に襲い掛かった。
怒髪に炎が絡み、天を衝く。

「あえ:いrjhぱえいおあぁっっっ!!!!!」

言葉にならない絶叫を迸らせて、双葉は地面を拳で叩いた。
何度も何度も打ち付けた。
狂奔する怒りに支配され、叫び続け、叩き続けた。

アインはその隣で静かに横たわっている。
殺されたとは到底思えない、安らかな死に顔で。
素敵医師の首を胸に抱いて。

満ち足りた思いも、深い絶望も平等に、炎は全てを飲み込んでゆく。


【16 朽木双葉:死亡】
【23 アイン:死亡】


―――――――――残り 8



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