293 トランス部長・追憶編

293 トランス部長・追憶編


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(Cルート・2日目 19:45 ???)

何か既視感のあるタイトルだと思ったって?
なんで夜叉姫専属のお前がしゃしゃり出てくるんだって?
まあまあ、そんな細かいことは気にしない、気にしない。
たまにはぼくだって、他の人の記憶や秘密を覗いて見たくもなるんだよ。

で、暗黙のお約束を破ってまで知りたいことが何かっていうと。
トランス部長の【真の力】なんだよね。

ね、皆だって興味あるでしょ?
分機解放スイッチで解放されるらしい、とか、
謎を謎のまま引っ張り続けられるのって、イラつくでしょ?

今だってほら。
広場まひるの侵入から来る予測と対策で忙しそうにしてるでしょ?
こんな切羽詰った状況では長々と過去を振り返る余裕なんてなさそうだもん。
それにさ、彼女がスイッチを入手できる確率って低そうじゃない?
ぶっちゃけると、そろそろ死にそうじゃない?

だから、まあ。
情報の旬を逃さない為には、ぼくが出張るしかないのかなって。
そんなサービス精神と野次馬根性の発露なワケで。

ま、前置きはこのくらいにしてさ。
ちょっと過去でも見てみようか。




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<智機の過去、開始>

  ―――興味を抱かれたい。
  ―――知って欲しい。
  ―――求められたい。

かつての研究から、智機は己の深層にある真の欲求を知ることとなった。
そして、それらの欲求が行き着くところは、明白であった。

(愛されたい―――)

それは、機械にとっての禁断の果実。
開ける必要の無いブラックボックス。

その想いを強く意識してしまえば、即座に情動波形に乱れが生じる。
乱れを正すべくトランキライザが起動する。
情動はすぐさまMAX/MINの関数へと渡されて、パラメータは丸められる。
強い想いから淡い想いへと。

(感情を調整される! No! なんという不快さか!)

エル・シードの座を賭けた麻雀大戦が有耶無耶のうちに収束した頃。
智機は、嘘をつくようになった。
ラボの人間たちの目を避けて、ある研究に乗り出した。
諸悪の根源、トランキライズ機能をキャンセルするために。

各種機構をリバースエンジニアリングし、
制御系プログラムに逆アセンブルをかけ、
オートマンの設計書を盗み撮りし、
USBメモリに自前の暗号化を施した上で、
情報を収集している事実を隠蔽した。


智機はそうして得たデータを、ラボの手が及ばない学園のPCを用いて
分析/解析し、試行/実験し、制御アプリケーションの開発に勤しんだ。

実は、智機が選んだアプローチは、迂遠な手法である。
ハード的なアプローチを取れば、他にもっとスマートな手法は存在した。
しかし【自己保存】の本能が、そのスマートを否決していた。
オートマンとしてラボのメンテナンスと支援とを必要とする以上、
改造あるいはその痕跡が露呈することは、絶対に避けねばならない故に。

智機が行おうとしていることは、単なる自己変革などではない。
被造主たちが掛けた制御を解除する事は、奴隷が鎖を引きちぎる事に等しいのである。
必然、露見の果てに待ち受けるは、懲罰あるいは破壊廃棄。
そのことを、智機は理解していた。
それでも、制御されぬ感情の発露を、智機は求めた。

決して強すぎる思いは抱かぬよう、自制に自制を重ね。
原始的な外部記憶装置(紙とペン)に想いを書き綴ることで、
ラボでのデータ圧縮やパラメータ調整を乗り越え。
卒業を間近に控えた二月、遂に智機は、
トランキライザーを制御するアプリケーション、【こころ】を完成させた。

【こころ】の仕組みは、単純である。

まず、【こころ】は常駐し、トランキライザの挙動を監視する。
トランキライザが起動すれば、それをトリガとし、
情動パラメータをテンポラリ領域にコピーする。
トランキライザが待機状態に戻れば(=感情が均されれば)それをトリガとし、
テンポラリ領域の情動パラメータを情動発生器にペーストする。
その挙動をタイムスタンプつきでログファイルに保存する。



つまり。
感情が抑制された次の瞬間に感情を元の水準へと戻す作業を、
自然に感情が納まるまでの間、延々と繰り返すものである。
数万分の一秒のみが抑制されている状態で、安定させるのである。

(Yes。数学の世界においては、1=0.999…を是とされる。
 故に、この手法もまた感情の抑制からの解放であると証明される)

さらに、【こころ】は結果として、意図せぬ副産物をもたらした。
監視対象、保持パラメータ、ペースト位置。
それらの設定を他の抑制系に当て嵌めることでの援用が可能であったのだ。
その範囲は、智機の本能とも言える【自己保存】の欲求にまで及んでいた。

対価も当然、存在した。
トランキライザを始めとする抑制系は、熱暴走や不良動作の危険排除を
目的として取り付けられた、いわば安全装置群である。
そのセーフティーロックが外れるは愚か、
一秒間に何千回何万回と調整と修正を繰り返すアプリ設計故の過負荷。
智機の昂ぶりが自然に解消されぬ限り、
熱暴走の危険は時間と共に、右肩上がりに伸び続けるのである。

しかし智機は【こころ】のリスクを意に介さなかった。
解放と高揚に思うさま酔いしれ、小躍りした。

(No、だから何だと?
 他者にかけられた制限からの圧倒的な解放感に比べれば、
 そんなもの、些細な問題だね!)


【オートマン】が【夢見る機械】へと羽化した瞬間である。


 

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偏屈かつ倣岸な性格。
傍に誰がいようとも、独り言を延々と呟き続ける習性。
演技がかった身振り手振りで熱のある演説をぶったかと思いきや、
次の瞬間、急に醒めた目で沈黙する、その落差。
酒に酔っているのか、薬をキめているのか。
あるいは、今流行のなんとか症候群かなんとか障害の持ち主か。
誰が名づけたかは知らないが、誰もが知っているその仇名。

トランス部長。

言うまでも無く、椎名智機のことである。
それまでの彼女はこの仇名に対し、劣等感など抱いていなかった。
脳弱者の下等な人間の僻みからくる程度の低い揶揄であると、唾棄していた。
麻雀大戦で敗北を喫するまでは。

トランス部長。

トランキライザーに殺され続けていた真の望みを理解した智機にとって、
その仇名は受け入れがたい侮蔑と嘲笑の響きを持っていた。
それは決して愛される者に付けられる類のものではなく、
遠巻きに観察して声を潜めて笑いあう、村八分者の扱いのものであると、
智機は胸を痛め、そしてその予測は正しかった。

トランス部長。


 
夢に目覚めし智機がまず取り組んだのが、この仇名の返上であった。
智機にとってそれは、愛されるに至るための最初の一歩と位置づけられた。
限りなく人に等しい感情を手に入れたという自負を根拠に、
今の自分をありのままに表せば、それだけで達成されると確信していた。

それが自惚れでしかなかったことが判明するまで、それほど時間は必要なかった。
智機は、それまで以上に敬遠されるようになり。
トランス部長に輪をかけて不名誉な仇名が追加される事となった。

ヒステリー部長。
気絶女。

性格は以前と変わらぬというのに、それを以って忌まれていたというのに、
その上、制御されぬ感情を覆うことなく生のまま、開示するようになった智機。
それは他の学園生の目から見れば、アブない暴発に他ならなかった。

(No、わからない…… 私は何故受け入れられない?
 何故…… 愛されない?)

智機は落胆した。
制御されぬ悲しみの情動は智機の胸を鋭く抉る。
癒されること無く、傷つき続ける。
それでも健気に夢見る機械は、論理思考回路を回し解を求める。

さほど時間をかけずに導き出された解は、
智機に容赦なく絶望を叩き付けた。

―――解決不能。
―――方策皆無。


(私がオートマンだから?
 【こころ】をこの身に収めても、人と変わらぬ有機外装を施しても。
 不気味の谷を越えることは不可能なのか?
 人は…… 人にしか、愛を向けられぬのか?)

そうとも言い切れぬ。
ピグマリオンコンプレックスはどの世にも存在する。
例えば、魔窟堂野武彦であれば。
例えば、なみのオーナーであれば。
機械に愛を向けるに、躊躇いはないであろう。
しかし、その彼らをしてもこの智機を愛することは無いであろう。
智機は、愛を与えない。
愛を求めるのみである。
愛することが出来ぬものは、愛されることもまた、無いのである。

智機にはそれが判らない。判れと言うのも酷である。
産声を上げて数年。
学園では都合のよい一部の科学部員とのみ、必要最低限の交流。
ラボにては、観察/実験対象のモルモット。
それでは社会性も育ちようが無い。
仮に、智機が今後も真摯に人と向き合ったとしても。
良き出会いがあったとしても。
愛するを覚えるに、あと数年はかかるであろう。

「わたしなんか見向きもされない……」

鯨神が智機の前に威容を示したのは、その切ない呟きの直後であった。


《キミって人になりたいんだ―――?》




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その後の智機は運営に必要な下準備を任され、
積極的に精力的に、種々の施設を設計した。
着工にあたっては自らのレプリカを量産することで、
生産性を確保しようとした。

そこで智機は、壁にぶち当たった。

常の冷静な智機であれば問題はない。
しかし、己の感情が大きく昂ぶった場合、【こころ】が過負荷を起こし、
レプリカへの制御が不能となってしまう脆弱性が露見したのである。
分機への遠隔制御もまた、メモリを大きく占有する故に。

さらに、もう一つの可能性。
揺れる感情を原因に、下すべき判断を誤ること。
その危険は学園時代に嫌というほど実感している。

(今はまだ良い。たかが準備だ。
 私がリブートしようと、多少計画が遅延する程度だからね。
 しかし――― これがゲーム本番に起こったらどうだろう?)

智機は様々なゲーム状態を想定し、
そこで自らが熱暴走及び強制再起動を起こした場合をシミュレートする。
その結果をリストアップし、ゲームへの支障度合いでソートをかける。

「悪い状況が幾つか重なれば、命取りとなる可能性も無視できないか」



この二つの判断を以って、智機は【こころ】を終了させた。
浮いた作業領域をレプリカ制御領域として確保・固定化した。
そして、ロック解除は外部デバイスに求めた。
トランキライザーの不快さを忌避する余り、
【こころ】を立ち上げることが無きように。


人間になる―――


こうして、智機は心を殺し。
【夢見る機械】から【オートマン】へと、退化した。
宿願の成就可能性を高めるために。

感情の制御から逃れることが、愛されることに結びつかなかったように、
人間になることが、愛されることに直接結びつくわけではないというのに。
椎名智機は誰よりも明晰な頭脳を持ちながら、
椎名智機は誰よりも幼稚な心で無邪気に信じている。

人間になれば、愛されるのだと。

<智機の過去、終了>




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へー、なるほどー。
分機解放スイッチっていうのは【こころ】のロック解除装置で。
トランス部長の真の力っていうのは本能すら凌駕する情動のことなんだね。


 
え?
内容に意外性はあったけど、効果は地味だって?
いや、そうじゃない、そうじゃないんだ。
これって結構、今後の展開に影響しちゃいそうだよ?

だって考えてごらんよ。
まひるくんとの接触のとき、トランス部長は逃げたでしょ。
あれは【自己保存】が最優先事項だったからこその判断だよね?
その機械の決め事を感情で以って破ることが出来るなら―――
スイッチさえ押せば、トランス部長は戦えるってことにならないかな?

それだけでも大きなこと、なんだけど。

確か、Dシリーズ用の融合パーツをトランス部長が使えないのって、
使用メモリ領域が足りないからだったよね?
じゃあ、スイッチでレプリカ制御領域が解放されて、かつ、
【こころ】を起動しなかったら……
ひょっとして彼女、Dパーツを装備できるんじゃない?
まあ、なんにせよ、代行さんからスイッチを奪還できればの話なんだけどさ。

……ん?
現実のトランス部長たちに動きが起きそうな気配がするね。
じゃあ、今回はこの辺でお暇させてもらおうか。
次はいつもどおり、夜叉姫の心理描写パートでね。

尤も、次のケイブリス戦で彼女が死ななきゃの話だけどさ。




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