010 別離と帰還
010 別離と帰還
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(一日目 05:39)
朝の訪れを最初に知ったのは、皮肉にも朝日を最も憎んでいる男だった。
島の東端に位置する灯台の見張り台に立ち、今まさに昇らんとする太陽を暗い眼差しで睨めつける男。
名をグレン(No.9)と言う。
伝説の『天魔』を発見し天使へと育て上げた、魔術史に名が残るほどの偉大な魔術師だ。
だが、今の彼からは、才気の一片すら感じられなかった。
こけた頬。黄色くにごった目。乾きにささくれ立った唇。
伸び放題の髪。垢のたっぷり詰まった爪。
悪臭を通り越し、異臭すら漂わせているローブ。
その姿はどう見ても浮浪者でしかなかった。
(まばゆく輝くあの光が、全てを奪ったのだ……)
かすれた声で憎々しげに呟き、グレンは決別の日を思い出す。
娘であり、恋人であり、実験対象であり、崇拝対象であり……
グレンの全てだった、マナとの別離の朝を。
(追憶)
いつのことなのかは記録に残っていない。
もしかしたらこの世界とは違う世界なのかもしれない。
とにかく、はるか昔。はるか遠く。
獣人や妖精たちと人間が共に暮らしていた、神話のような時代のこと。
冬の凛とした空気に映える見事な朝焼けの中、若き日のグレンとマナは、
屋根の上で昇り来る太陽を見つめていた。
二人並んで、身じろぎもせず。じっと見つめていた。
いつまでも太陽が昇らなければと、心の中で願いながら。
なぜなら、この太陽が完全に昇ったら、天魔の娘・マナは天使として、
里親・グレンの元を巣立たなくてはならない定めだからだ。
いつしか父と娘という絆を越えて、男と女として愛し合うようになっていた2人にとって、
この別れは身を裂かれるよりなお苦しいものだった。
それでも。
2人は別れなくてはならなかった。
天使は一つ所に留まってはいけない。誰か一人を想ってもいけない。
多くを愛し、多くを助ける。
それが天使の決まりであり、存在理由なのだから。
一介の魔術師や天使ごときが逆らうことなど不可能な、神の決めたルールなのだから。
「ありがとう、お父様…… だいすきだよ」
マナはかすれた声でそれだけを伝えると、くるりとグレンに背を向け、立ち上がった。
その勢いのまま太陽めがけて飛んでゆく。振り返らずに。
まっすぐ、前だけを見て。
グレンは、屋根の上に立ち尽くし、マナを見送っていた。
姿が見えなくなるまで。
見えなくなっても。
日が沈むまで。
日が昇っても。
彼は来る日も来る日も、マナの飛び去った東の空を眺めて暮らした。
気高く清楚な純白の翼を、金色に輝く髪を、
女の子から少女へと移り変わる、その危ういバランスの上に乗っかったシルエットの美しさを、
ただ、思い出し、反芻し、涙して暮らした。
マナのいない世界のことなど、興味は無かった。未練も。
(一日目 05:55)
水面は、真っ赤な太陽の光をギラギラと乱反射し、追憶に浸るグレンの濁った目を照らす。
網膜に浮かんだマナの後姿をかき消すには十分な光だった。
(お前は… 思い出に浸ることすら邪魔するのか!)
呪詛の篭った目で太陽を睨み返すグレン。
その時。
グレンは太陽より手前の空に、何かの影を認めた。
人型の、翼を持つ影を。
(まさか…)
彼は目を擦った。何度も何度も。
そして目を凝らす。
その影は、気高い純白の翼をはためかせていた。
その影は、陽の光を浴びて金色に輝く髪をたなびかせていた。
その影は、女性ではなく少女のシルエットを持っていた。
その影は。
「マナ!」
歓喜にグレン五体が打ち震える。
帰ってきたのだ、マナが。
再び、このグレンの、お父さんの元へ!
「こっちだ!!」
(変異性遺伝子障害)
近年の脳医学者たちが、こぞって研究している障害がある。
和名を変異性遺伝子障害。
この障害は原因・治療法共に不明だが、生命を脅かすような症状は殆ど無い。
ならば大仰に研究などせずに、そっと放置しておけば良さそうなものだが、
学者が騒ぐには騒ぐなりの理由がある。
その障害を持つ者の、20人に1人が超能力者なのだ。
よって研究も医学的見地というより、科学的な見地で進められていると言える。
あるいは、表立ってはいないけれども、軍事的な見地で。
一口に超能力と言ってもその表れは多種多様だ。
空を飛ぶ力。外見を変化させる力。衝撃波を放つ力。……などなど、挙数に暇がない。
そんな能力者の中で最も高い能力を持つとされているのが、種別XX(ダブルエックス)障害だ。
あまりに膨大なエネルギーは、手術やアクセサリーでコントロールしないと暴発してしまい、
感情的になると、周囲のあらゆるものを意図せずして破壊してしまうとさえ言われている。
そんな種別XX障害者が、この殺人ゲームの参加者の一人に選ばれていた。
仁村知佳(No.40)である。
(一日目 05:55)
今、知佳は島の東端から離れること2kmほどの沖合いを、島に向かって飛んでいた。
「天使のようだ」と耕介を感動させた、純白のフィン(光の翼)を力弱く震わせながら。
(夜、明けちゃったよ……)
昨晩、学校から出発するや、知佳はXXの飛翔能力を使って島からの脱出を試みた。
しかし、進めども進めども、波の向こうに広がるのはただ波ばかり。
島や船など影も形も見当たらなかった。
それから4時間余り経ち、今。
飛びつづけたことでの疲労と、深夜から明け方にかけての冷え込みは相当堪えたらしい。
休養を取るために、本当なら2度と足を踏み入れたくないあの島へと、
泣く泣く戻っているところだった。
この瞬間にも人が人を殺しているかもしれない、恐ろしい島に。
唐突に。
(……あ。あれ?)
ふ、と目の前が暗転すること数秒。
超能力を濫用したときに起こる、猛烈な倦怠感が襲ってきた。
意志の力を無視して、肉体の力で無理やりブレーカーが下ろされる前兆だ。
(おかしいな、いつもならもう少し飛べるのに)
それは緊張・疲労・恐怖が、脳に過負荷を与えていることを考慮に入れず、
ラボの実験と同じ感覚で自分の限界を測ってしまった、知佳自らが招いた危機だった。
集中力が途切れたら、飛翔能力は解除されてしまう。
海の藻屑になってしまうことは明白だ。
……血の気が引く。
そして、引いた血の気と共に再度意識が途切れかかる。
(お姉ちゃん、リスティ、さざなみ荘のみんな……)
(おにいちゃ…… ん……)
またしても暗転。
(あいたい、よ。)
知佳の願いも虚しく、引力は無慈悲に彼女の体を下へ下へと押しやる。
(もうだめ…… なの、かな……)
知佳の頭を『あきらめ』がちらついた、まさにその瞬間だった。
「こっちだ!!」
ぼやけた意識に、叫びという名の楔が打ち込まれた。
視界がクリアになる。
「こっちだ!!」
声のするほうを見やると、灯台の上から、誰かが知佳を呼んでいた。
ぶんぶんと手を振って。声を限りに。励ましている。
(だれ、だろう…… 遠くて…… 顔が見えない……)
聞いたことの無い声だと気付きかけた知佳だったが、
疲れきった体と麻痺した頭では、物事を深く考えることはできなかった。
(わたしを待っていてくれる人、が、あそこにいる…… 行かなくちゃ……)
(おにいちゃん、かな…… それとも、おねえ、ちゃん…… か……)
知佳は疲労と重力に耐えながら、声に向かって飛んでゆく。
ふらふら、ふらふら。
誘蛾灯に誘われる蛾さながらに。
(一日目 05:59)
−−数分後。
灯台に到着するも、精も根も尽き果ててしまった知佳をふわりと抱きとめたグレンは、
優しく暖かく、その薄桃色の耳に囁いた。
「おかえり、マナ。」
そして、知佳は答えてしまった。
「ただ、い、ま……」
知佳の意識は、そこで闇に落ちた。
【グループ:グレン(No.9)、知佳(No.40)】
【所持武器:両者共に不明】