309 ひとりでも、みんなのひとり
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(ルートC・三日目 PM2:00 C−6 小屋1跡)
西の森、南端の浅く。
ナミが使用した手榴弾により崩落した小屋は、
しおりが最後に見た時と寸分違わず、
無残な断面図を晒していた。
「ここだ…… ここだよぅ!」
その場所が視界に入っただけで、しおりの瞳は潤みを帯びた。
しおりがそこにいたのはたった二日前でしかないというのに、
彼女の胸に去来するのは郷愁めいた感傷であった。
その後の記憶があまりにも激動であり流転であり衝撃であった故に、
その二日前が、既に十年の昔日の如く感じられたのである。
しおりが目覚めたのは午前六時。
己が一人であるという事実を理解しつつも受け入れられなかった彼女は。
一面グレースケールの荒野で、泣きじゃくった。
既に燃えるものが何一つない焼け野原で、炎の涙を撒き散らした。
泣いて、泣いて、泣ききって。
涙も声も枯れ果てて、己の全ての澱を吐き出して。
そして、しおりは立ち上がった。
自分の足で。
自分の意思で。
たった一人で立ち上がった。
(助けてあげなきゃ……)
しおりが最初に欲したのは、最愛の妹・さおりの救助であった。
無論、今のしおりはさおりの死を思い出している。
その死に際の全てを思い出している。
痛みと苦しみに歪めた顔を、訴える声を、思い出している。
シャロンが生きているしおりのみを救助し、
死せるさおりは放置したことを思い出している。
さおりの遺体が未だに瓦礫の下にあることを知っている。
死した後もずっと潰されたままであることを知っている。
死んでからもずっと苦しい思いをしている―――
それが、しおりには我慢ならぬ。
故に、しおりはさおりが埋もれる小屋の跡を目指したのである。
しおりは曖昧な記憶を辿る。
そこに入った時は、庇護者・常葉愛に手を引かれていた。
そこから出る時は、陵辱者・伊頭遺作に鎖を引かれていた。
為に、妹の眠るその位置はしおりの記憶に不明瞭であった。
それでもしおりは諦めなかった。
一人きりでいる孤独感に鼻をすすり上げながらも、
何度も迷い、その度にぐずりながらも。
紅涙を散らすことだけはしなかった。
そうして、休むことなく歩きのめすこと八時間あまり。
幸いにしてか不幸にしてか、誰にも出会うことなく。
ついにしおりは最愛の妹が眠る場所へと、辿り着いたのである。
「愛お姉ちゃん……」
しおりの目に最初に飛び込んだものは、常葉愛の遺体であった。
元は小屋の入り口があったはずのその場所に、常葉愛は朽ちていた。
剥けた栗色の髪の下に頭蓋骨の白を覗かせていた。
盆の窪に突き刺さった鉄骨は大きく広げた口から突き出ており、
両目は飛び出さんばかりに見開かれていた。
「シャロンお姉ちゃん……」
思わず目を背けた先に横たわっていたのは、シャロンの遺体であった。
元はテーブルがあったはずのその場所に、シャロンは朽ちていた。
首筋に深く歪な創傷がぱっくりと口を開けていた。
陰部には放たれた精液が、蛞蝓の這いずった跡の如く乾いており、
無念とも自嘲ともとれる表情に固まっていた。
そして。
シャロンの遺体の程近く。
数メートルの面積を保った一際大きな瓦礫。
分厚く無機質なコンクリート壁。
その下から覗いていた。
嘗ては紅葉のようであったちいさな右手だけが。
「あああぁああっっ!!」
その手を見た途端、しおりの中の何かがぶつりと切れた。
「こんな壁が!こんな壁が!」
半狂乱になったしおりは、拳を瓦礫に打ち下ろした。
何度も何度も叩きつけた。
そこに技術は無く、基本すら無く、駄々っ子のぐるぐるパンチでしかない。
柔い童女の皮膚はすぐさま裂け、鮮血が瓦礫に降り注いだ。
それでもしおりは叩いた。
有り余る怒りの感情を拳に乗せ、瓦礫にぶちまけた。
しおりが二日前のしおりであれば、そこで終わりであった。
硬く重い瓦礫に成す術もなく、拳が砕けるのみであった。
しかし、今のしおりは力なき童女ではない。
鼠の耳と、髭と、尻尾を有し、涙と共に炎を身に纏う【凶】である。
拳が壊れるのと同じ速度で、瓦礫を削り崩す力がある。
数分後。
そうしてしおりの両拳と瓦礫とがボロボロに崩れ。
ついに下敷きとなっていたさおりの全身が、姿を現した。
「さおりちゃん……」
右腕と、下半身。それが、醜く潰れていた。
自転車に引かれたカエルよりも尚醜くく拉げ、下品に広がっていた。
血溜まりは既に黒く凝固していた。
一度鬱血で膨らんだ顔面は、死後の血液凝固を経ることで再びしぼみ。
かといって一度膨れ上がった表皮は元に戻らず、空気の抜けたゴムマリの趣を見せ。
セルライトの如き数多の皺とひび割れを刻んでいた。
しかも、大小の死斑が至る所に浮き出ている。
人が死体について想像の及ぶ醜さ、不快さの全てが、さおりの遺体には備わっていた。
幼い容姿が、その惨たらしさに拍車をかけている。
よほど親しい者でなければ、それがさおりと呼ばれた童女であると気付かぬであろう。
よほど親しい者ならば、それがさおりと呼ばれた童女であることを認めたがらぬであろう。
「ごめんねぇ!ごめんねぇ!」
その無残な遺体を、しおりは抱きしめた。
遺体は黙して、語らない。
「しおりのせいでぇ!」
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ナミの手榴弾による小屋の崩落。
すぐ隣から倒れ掛かる無骨な壁。
その時しおりが取った行動は、目を閉じ耳を塞ぐことであった。
命の危機を察知しながらも、それだけしかできなかった。
恐ろしさの余り、身が竦んでしまったから。
本来なら、そのまま壁の下敷きになるはずであった。
庇護者たる常葉愛と同行者クレア・バートンは玄関の傍。
童女の危機を察知し、救いの手を伸ばすには距離がありすぎる。
絶体絶命。
死を覚悟したしおりではあったが、それでも救いの手は伸ばされた。
「しおりちゃん、危ないっ!」
救い主の名は、さおり。
彼女は、しおりの双子の妹。
彼女は、しおりの愛すべき半身。
さおりは小さな体をいっぱいに広げ、しおりと柱の間に身を投じた。
計算も自己犠牲もない、打算も勝算もない、衝動的な行動であった。
ただ、体が動いた。
姉を守る―――
それだけであった。
しおりは、ぶつかったさおりの背に、目を白黒させるばかりであった。
弾かれた勢いでよろめき、背後の箪笥にぶつかり、倒れ込んだ。
思考を進める余裕は、頭脳にも時間にもなかった。
妹が自分を庇おうとしたのだと理解するのが精一杯であった。
「えっ? えっ?」
結果として、この転倒がしおりの命を救った。
壁は、しおりの背後にある箪笥を潰しきれなかったのである。
潰しきれぬ箪笥の高さの分だけ、空間が生まれたのである。
倒れていたしおりは、それ故にこの空間にすっぽりと収まることができた。
さおりの苔の一念が、岩を通したのである。
さおりは、しおりのより手前に立っていた。
故に、箪笥の恩恵を受けることなく、壁の強打を受けることとなった。
その下半身を潰されることとなった。
それでもさおりは。
『よかった。しおりちゃんは無事だね……』
鬱血で赤く膨れた顔に笑顔を作り、姉の無事を喜んだ―――
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あとからあとから溢れる涙は炎となり。
遂には抱きしめたさおりの衣服に燃え移る。
「さおりちゃんは、しおりを守って、死んじゃった」
脂が溶ける臭いがする。
肉が燃える臭いがする。
骨が焦げる臭いがする。
しおりの腕の中で、さおりは態を変えてゆく。
全ては灰と煙と化してゆく。
しおりは、その妹の亡骸を見てはいなかった。
漸く晴れ間を見せつつある空へと吸い込まれるように昇ってゆく煙を見上げていた。
それは、葬儀であった。
しおりが出来る精一杯の弔いであった。
「しおりの命は、さおりちゃんがくれた」
そう。
さおりがその身を盾にしおりを守らなければ。
今、しおりはここにいないのである。
しおりは弔いの中で、ようやくそのことに思い至ったのである。
そしてまた―――
「さおりちゃんだけじゃ、ない」
しおりは回顧する。
この残虐の島で目覚めてからの、己の道程を。
しおりは理解する。
この残虐の島にも、優しい人が沢山居た事を。
「愛お姉ちゃんが。シャロンお姉ちゃんが。鬼作おじさんが。マスターが。
ここに居なければ、しおりは殺されてた。
しおりはみんなに、命を貰ったんだ」
しおりは何度も死に掛けた。
しかし、今、ここに生きている。
それは、この童女の力に拠るものではない。
か弱さ極まる彼女を守ってくれた存在の尽力に拠るものである。
彼女を守り散っていった、いくつもの命。
その犠牲の上に、彼女は立っている。
今、一人でいるしおりは。
今まで一人でなかったからこそ、存在しているのである。
「しおり、一人じゃない……!」
それはしおりにとっての天啓であった。
内から湧き上がってくる原初の感謝であった。
「しおりの命は、しおりだけのものじゃない。
しおりを助けてくれた、しおりのためにしんじゃった、みんなのものなんだ。
だから―――」
しおりは己の半身を己の腕の中で、己の涙で、荼毘に付す。
その可憐な口から紡ぎ出されるは、惜別の言葉ではなく、誓いの言葉。
「―――勝つよ。しおりはぜったいゆうしょうするよ!」
(Cルート)
【現在位置:C−6 小屋1跡】
【しおり(28)】
【スタンス:優勝マーダー
@ さおり、愛、シャロンを火葬する】
【所持品:なし】
【能力:凶化、紅涙(涙が炎となる)、炎無効、
大幅に低下したが回復能力あり、肉体の重要部位の回復も可能】
【備考:獣相・鼠、両拳骨折(中)、疲労(中)
※ 拳の骨折は四時間ほどで回復します】